死の流儀(中)
部屋の片付けをしながら、どうやって逝くかを考えた。
出来る事ならば、朝起きたら亡くなっていたと、いうのが理想だ。
後に残された人が、余り罪悪感を抱かずに済むのと、自分も楽に逝けるからだ。
まぁ、死んだ事がないので楽かどうか、本当の所は分からない。
しかし残念な事に、これまで一度も大きな病気や怪我などした事がない。
親に感謝するべきか悩ましい。
心の病気は、初めてで、自分ではコントロール出来ず、どうする事も出来ないのが辛すぎる。
そして朝起きたら亡くなっていたと、いうのも、自分では決められず、どうする事も出来ないのは、同じだ。
そうだ、以前、年老いた姉妹が餓死したニュースを見た。
食欲が湧かず、一食の今なら、餓死する事も考えられる。
おかしな話だが、死のうと考えている今、食事を摂っている事に、我ながら呆れている。
考える必要もないが、餓死も直ぐにとは逝かないし、逝けたとしても、発見されるまでに時間が掛かり、部屋に臭いが充満して…それは駄目だ。
練炭!練炭自殺ならどうだろう。
そういえば、子供の頃、冬は練炭のコタツを使っていた。
そのせいで家族全員が死にかけた。
朝目が醒めると、顔馴染みのお医者さんが側にいて、「良かったな、家族全員で死ぬ所だったぞ。」と、言われた。
当時の私は幼かったので、何の事か分からなかったが、そこそこ大きくなってから、あと少し気付くのが遅ければ、練炭による一酸化炭素中毒で家族全員が死ぬ所だったと、母親から聞かされ、驚いた。
練炭を使って、車で…。
いやいや、車を持っていなかった…コレも駄目だ。
(おいおい、本当に死ぬ気はあるのか?)
いっその事、飛び降りるか。
考えを巡らせば、巡らすほど、どうすれば良いのか分からなくなる。
全てを終わらせるのは、そう簡単な事ではないのだろうか。
世の中には、生きたくても、生きられない人もいる。
そんな人から見れば、何を贅沢な事を言っているのかと、叱られてしまうだろう。
しかし、そんな人達には申し訳ないが、自分が恵まれているとは思えない。
私の残りの時間を、分け与える事が出来るのなら、喜んで差し出す。
これも、出来ない事と分かっているから、言える事なのかもしれない。
だから、こうして罰が与えられているのだろう。
思い通りにはならない罰。
さてと、春と夏は迎えられそうにないから、必要のない洋服は処分してしまおう。
あー、死ぬには、どうすれば良い。