小道の先
三題噺もどき―にひゃくさんじゅうご。
「……さむ」
思わず声が漏れた。
その声は、誰に聞かれるわけでもなく。
暗闇に溶けていく。
「……ぅ」
ふるりと、身を震わせるも、それで暖かくなるわけでもなく。ただ寒いという事実だけが、この身を襲ってくる。一応それなりに厚着はしているはずなのだが。
それでも、風は隙間から入ってくるから、寒さはどうにもならない。
「……」
街灯の照らす住宅街を歩く。
ぽつぽつと並ぶその灯りは、道しるべとして帰路を浮かばせる。
今日は、月明かりもはっきりとあるから、なんだか普段より明るく見える。
「……」
何を考えるわけでもなく。
いつも通りの道を、1人静かに歩いていく。
今日はなんだか、疲れた。
仕事でのあれこれが。
ぼうっとしている頭の中を巡りだす。
「……」
ミス。
ミス。
ミス。
ミス。
「……」
もうなんだか……。
今日に限って、そんなに重なるだろうかという程に、失敗の連続だった。
それがまぁ、自分ひとりのミス程度ならよかったのだが(いや、よくはないのか)。
「……」
何が面倒って。
他人のミスの尻ぬぐいもしないといけなくて。
それも、ミスをしてしまって。ミスの重ね塗りだ。失敗に失敗を重ねた。
……なんだそれは。どこの新人でもそんなことはしないっての。
「……」
ぼうっと。
ぼうっと。
ホントに。
「……」
失敗が頭を巡って。
回って。
もうそれ以外、考えが及ばなくなって。
慣れているはずの帰路を―
「……」
外れていた。
「……は?」
もうほんとに。なんなのだろう。
今日は。
何もかもがついていない。
良いこと一つもない。
「…どこだ……」
どこだここ……。
ホントにどこだここ。
知らない土地ではないはずなのに。
目の前に広がっているのは、知らない景色だった。
「……」
いや、道自体は、多分見慣れたいつもの道なのだ。
ただ、こんなに細い道があったかという。
人1人歩くのがやっとという、道。路地裏?
でもこんな道……。
「…え…?」
よくわからない不安に襲われる。
突然に。
ざわざわと、何かが思考に侵入してくる。
さっきまでの、仕事の事の思考が。もう。居ない。
恐怖に似合た不安に襲われ、身体は止まる。
足は、止まる。
「……?」
その視界の隅を、何かが横切る。
動物…?
いや、違う。それにしては。
「……はなびら…?」
ひらりと。
風に舞うその花びらは、薄いピンクに染まっている。
「……さくら…」
この時期に?
2月って、そんな時期でもないと思うんだが。
可能性としては、梅というのもあるが、それにしては色が薄い。……いや、そういう種類のもあるかもしれないが。
しかし、どうにも、桜だとなぜか確信が持てた。
あれは。
この季節外れの、この知らない道を舞うこの花弁は。
桜だ。
「……」
足は、なぜか、その道の先に向く。
先程までの恐怖が、不安が嘘のように。
何も考えずに、ただ操られるように、足は小道の先に進んでいく。
「……」
なぜだろう。
私は、この桜を。
この道を。
―知っている。
「……」
進む先から、幽かな声が聞こえてきた。
優し気な。悲し気な。ゆらゆらとした。
不安定な。
それでいて、美しい。
「……ピアノの、」
―音。
美しく、儚い。
ピアノの音。
私は、この音色を、知っている。
「……」
足はひたすらに、道を歩く。
いつの間にか、地面は桜で埋め尽くされている。
その上を、急ぐように。
息が上がりそうだ。
「……ぁ」
ざぁ――!!!!
突然、一際強い風が、襲う。
桜が舞い上がる。
とっさに、瞼が閉じられた。
「……」
無意識に伸びていた掌が、空を切った。
いつもの住宅街の道が、広がる。
「……ぁ」
身体が重力に引かれるように、地面に落ちる。
膝はくずおれ、腕はだらりと力なく垂れ、頭が異常に重く感じる。
「……」
私は、何をしていたんだろう。
何を、求めていたんだろう。
何に、なろうとしていたんだろう。
「……」
目の奥が、酷く熱い。
鼻の奥が、酷く痛い。
心臓が、張り裂けそうなほどに。
―悲しい。
お題:桜・ピアノ・月