3.生徒会から大流行!?消しゴムのおまじない(室町×茜)
本当は、茜はいつも自分のことを「茜」って言うんだけど。
とりあえず、今回は茜が主人公らしいので、めんどくさいから「自分」って言うことにします。
訂正。やっぱり、「茜」って言ったり「自分」って言ったりするよ。
話は戻って、茜・・・・栗原茜は、今、苦手な人がいます。
もともと、男子がきらいというわけではないが、すきでもない。
いじってない生まれつきの眉に、色が黒くて、声がハスキーボイスで、
長い髪は嫌いだからベリーショートで、自分で言うのは何だけども陸上部のエースで。
という茜のことを、「男女」なんて言って馬鹿にする男子のことは、大嫌いだったりする。
けれども、今会いたくなくて、話したくもなくて、目も合わせたくない人がいる。
とにかく、苦手なんだよな・・・あの人。
それは・・・
「栗原、手が止まってるぞ」
「ひぃっ!はい、ごめんなさい!」
コイツ。ではなくて、室町駿。
いきなり、そのサラサラした前髪の間から覗く、細長い目で睨まれて、誤ってシャープペンを落としかけた。そうだ、今は生徒会室で仕事中だった。うっかり、いつものぼーっとする癖が出てしまった。そんなことを考えている間に、落としかけたシャープペンは指先をすり抜けて、床に落下していた。
「気をつけろ」
「ごめんなさいぃぃ~~」
床を転がっていったシャープペンを拾うと、手渡してくれる。その冷たい目で呆れたように見られると、背中がゾクゾクする。先ほどの言葉を自分的に訳すと、「もっと仕事真面目にやれよ。お前会計のくせに、俺の足を引っ張る気か?あー?」となる。
いつもの茜はこんな人じゃないんだよ?もっとこう・・・ぼーっとぬけた感じなのに。
この、室町駿に話しかけられると、怖すぎてこうなってしまうわけだ。
スラッとした長身に、ものすごく足が長くて。前髪も目にかかるぐらい長くて。
おまけに目も細くて長くて、鼻も長くて・・・・って、これは高いっていうのかな?
とにかく、長いものずくしの、その全てがすごく怖い人。
もともと、自分と室町駿では特別な接点はないのだけども。いや、本来なら全く無いはずなのだが。3年生の室町駿と、2年生の茜。確かに室町駿は、親友のつかさの姉であるめぐみさんの幼なじみの二条院さんの、友達だけど。そんな親戚のまた親戚って感じぐらいに、遠い存在なんだけど。それがまた、同じ生徒会役員なんです。しかも、あたりまえだけど、自分より上の役職で議長であったりする。とにかく、A型って感じの人で、テキパキしててパリパリしてて、ちょっとのミスも許せないって雰囲気。
「ちょっと茜、大丈夫?声が裏返ってるわよ」
「え!そうだった??」
「気付いてないの?すごかったわよ」
「茜はもともと、ハスキーな声ですからね」
親友の二人、つかさと京子が物珍しげにこっちを見ている。
何が珍しいのか分からないけど。とにかく、そういう目はやめてほしい。
こっちだって、好きでそんな声出してるわけじゃないのに。ハスキーなのは元々だし。
そんなこんな、つかさと京子に色々言われながらあっちこっち見ていたら、いきなり指に鋭い痛みが走った。
「あぁっ!!!!」
生徒会室中に響く声で叫べば、みんながこっちを見る。
でも、茜の目は自分の人差し指に釘付けだった。
そこには、書類をとめるためのホチキスの芯が見事に突き刺さっていた。赤い血が滴り落ちたかと思えば、それが先ほどからずっとホチキスでとめていた書類の紙に染みをつくった。
「栗原!!」
「ひいいぃぃ!」
かと思えば、室町駿の怒りの声が稲妻のごとく自分に突き刺さった。
その後、廊下に引っぱり出されて、くどくどと約30分の説教をされたのは言うまでもなく。
「しっかし、茜って分かりやすすぎ!」
それは、生徒会が終わって、もうすっかり周りが真っ暗になってしまっている時間帯。
3月はまだ風が冷たくて、みんなはまだ厚着している。
つかさは、もこもこしたオレンジ色の上着の前のチャックを閉めながら言った。
「はっ??」
「だってアンタ、室町のこと好きなんでしょ?」
「はぁっ!?なんでそうなるの!?」
こっちが驚いてるっていうのに、つかさは「驚き~」みたいな顔をしてる。
しかも全然顔が信じていない。「まだ気付いてなかったの、驚き~」みたいな顔になっている。
「やめてよ!茜は、室町駿が苦手なんだってば!なんで親友なのに分かってくれないの!?」
「え、だっていっつも室町への態度だけ違うくない?今日だって声裏返ってたし」
「だから、室町駿が苦手なんだってば!」
「なんでフルネームなんですか」
「分かんないかなーこの茜のむしゃくしゃした感じ!」
こっちから願いだけだよ!とは言えない。
どこかで聞かれていたら、恐いから。
あと、自分はそういうのに興味は一切ないから。室町駿だからとか、そういうのではない。
先ほどから黙っていた京子も交えて、会話は違う方向へと発展していく。
「だってあの人、恐くない?目がこ~んな風に細くて、こ~んな風につり上がってて。背がすっごい高いし!足も細くて長いし!睨まれると、メヅゥーサみたいに固まっちゃうよ!」
「なに言ってんのよ!アレこそ整いすぎた美形ってヤツでしょ。背もモデル並に高いし、足もスラっとアレこそ美脚よね。切れ目で恐い雰囲気はあるけど、好きな子だったらあのメヅゥーサの瞳の虜になりたいもんでしょ?クールだから超人気あるけど、告白する勇気のある人は少ないのよねー!まっ、生徒会では衛が一番だけど!いやっ生徒会だけじゃなくて世界ナンバーワンが衛よね!」
つかさは全く聞いていない様子で、一人で喋って勝手に盛り上がっている。
きっと、頭の中はあの二条院さんのことしかないんだろうなー。
「盛り上がってるところ申し訳ないですけど。メヅゥーサじゃなくて、メドゥーサです。それから、メドゥーサの目は相手を虜にもできませんし、メドゥーサの瞳によって固まるんであって、メドゥーサは固まりませんよ」
妄想パラダイスを一人繰り広げていたつかさは、現実に引き戻されたようにしばらく沈黙していた。茜は、京子の言った言葉の意味がしばらく分からなかった。
「そうよ、メドゥーサよ、茜がメヅゥーサなんて言うからうつっちゃったじゃない。と・に・か・く!!もし室町にその気があるなら、あたしは応援するから!」
「だから、そういうじゃないんだってば!」
「どうせ、茜が室町先輩にフラれるのを見て楽しもうとか考えてるんじゃないですか」
「あっ、ばれた?」
「ひどいぃーー!」
てへっ、と可愛くウィンクして見せたつかさは、小さく舌を出した。
もうすっかり暗くなった学校で、玄関にやっと辿り着いた。
下駄箱から自分の靴を取り出し、上履きを代わりにしまい込んだ。
その間中もずっと、つかさがブツブツと何か言っていたが、気にしないことにした。
何にせよ、自分がこれだけ苦手だと言っているのに。つかさはまるで分かっていない。
京子はきっと理解してくれているだろうと、一応信じてはいるが。
その時だ。
ガタン、という小さな音で正面玄関が開いた。外から入って来たのは、先生だった。
先生の・・・・
「丸山先生」
そう、丸山先生。名前は、知らない。忘れた。
「おー、お前ら。まだ帰ってなかったのか」
「あっ、丸山じゃ~ん」
「乾、お前なぁ~先生には敬語をつかえって、習わなかったのか?」
「なにそれ、初耳っ♪」
こんな中年オヤジだけど、一応は担任の先生だったりする。
そして、あの気持ち悪い堂本先生がクビになった後釜として生徒会の顧問でもある。
ちなみに気持ち悪い堂本先生よりは教師歴は長いんだよ。独身だけどね。ゴリラっぽいけどね。
つかさいわく、最近頭の髪の毛が薄くなってきたことを気にしている、らしい。
あだ名は、ゴリラ。
「まったく、気を付けて帰れよ」
「は~い、丸ぴょ~ん!」
「では、先生。失礼します」
「おやすみなさ~い」
「あ。おい、栗原。まだ課題の作文提出してないだろ。お前だけだぞ~。明日までだから、忘れるなよ」
「はーい」
適当な返事をして、丸山先生から逃げ出した。
なんたって、課題の作文なんてすっかり忘れていた。それの期限が明日だったなんて。
先生に言われなかったらきっとそのまま忘れてた。よかった~。
軽く走っていけば、少し前を歩いていたつかさと京子の背中に追いついた。
二人とも待っていてくれたようで、学校の正面玄関を出てすぐの場所に立っていた。
「なに、ゴリラに何か言われた?」
「今度のテストは赤点とるなとか、それ系ですか?」
「んーなんか、課題の作文すっかり忘れてたみたーい」
「は?あれって確か・・・・提出期限明日じゃなかったですか?」
「うん。らしーね」
あんまり特に、そのことについては深く考えていない。
横をゆっくり歩いていた京子は、急に固まったように顔色が少し悪くなっていた。
自分のことでもないのに、変な京子。
「アンタ大丈夫なの?」
「うん。徹夜で書くよー」
京子は深く考えすぎなんだよ。いつも満点に近い点数をとって、「調子悪かった」とか言うから。
提出期限の一ヶ月前にレポートとか出しちゃうから。
「京子はいつ課題作文終わったのー?」
「2月にはすでに」
「つかさはー?」
「あたし?昨日終わったわよ」
ほら、こんなもんなんだって。
京子がつかさを軽蔑の眼差しで見てたけど、つかさは全然気にしてなかった。
その夜は、寮に帰って夜ご飯を食べて、テレビを見て、ベットに入った。
×-×-×-×-×
大騒動というか、大混乱が起こったのは、次の日の朝。学校に登校してからだった。
いつものように、つかさと京子と一緒に1年2組に足を踏み入れた時、すでに教室が賑わっていた。なんのことやら耳を澄ませば、みんなが同じ話題で盛り上がっているように聞こえた。
「なんなのかしら」
「朝から騒々しいですね」
「どうしたんだろー」
噂好きで、情報通のつかさもこの状況を飲み込めずにいるようだった。
とりあえず、自分達の席に座って、鞄を置いた時だ。
急に廊下が教室の中以上に騒々しくなった。
沢山の足音・・・って感じかな。
廊下をものすごい行列、じゃなくて形相で走ってきたのは、上級生の男子達。
いや、そういえば。同じクラスの男子達も自分達の周りに集まり始めていた。
上級生の男子達も、先生の声も聞かず廊下を走ってきたかと思えば、この2組にものすごいスピードで入ってきた。その全てがこっちに向って突進してくる。
なんだー!?って驚いてるのは茜だけで、横ではつかさの目がきらきらしちゃってるし。
「いや~ん、も~!!つかさちゃん、モテ期到来しちゃった感じ?」
なんて、悠長なことを言ってるし。
「いやー、つかさじゃなくて、京子目当てだと思うよー」
大きな声で言ってみたけど、男子達の騒々しさで聞こえてないみたい。
隣では、「あきれた」って顔に書いてある京子が静かに立ち上がった。それだけでも、集まってきている男子達から歓喜の声が上がる。なにが嬉しいんだか、さっぱりだよ。
「とにかく、ここはひとまず逃げましょう」
そんな京子の冷静すぎる判断で、自分達はこの場をやっと逃げ出した。
今だ変な妄想をしているつかさを引っ張るようにして、男子達から逃げ回った。
いったいなんで、こんなことしてるんだか、分からないまま。
普段あまり活発ではない京子走っている姿に、追いかけてくる男子数名が後ろで倒れた音が聞こえたりもした。いや本当は、つかさの手を振る姿にときめいたのかもしれないけど、そのへんはよく分かんないや。
ここで呑気に説明するのも変だけど。
京子はめちゃくちゃモテる。とにかく、男子にしたらめちゃくちゃ可愛いらしいよ。
だから、今朝も下駄箱の中にラヴレターが10通ぐらい入ってた。本人は中身見ずに捨ててるらしいけど。毎日毎日大変みたいだから、文句はいえないよねー。好きなのは分かるけど、相手の迷惑をちゃんと考えてこそ、相手のことを想ってるってことじゃないのかなあ?
そんなこんな、逃げ回ってるうちに保健室に辿り着いて、保険医の加藤先生にわけを話して、かくまってもらった。
成績優秀、優等生の京子が言えば、どんな先生だって納得してくれる。
しかしさすがに学校中走り回ったから、京子はしばらく椅子に座って、ぐったりしていた。
自分はそうでもない。あのぐらい陸上部なら準備運動にもならない。
つかさはというと、やっと正気に戻ったらしく、椅子にすわってちゃっかり足をくんでた。
「はぁ。授業をサボるだなんて、初めてです」
「なによ、一年に一回ぐらいあたりまえのことでしょ」
「この高校に入学して以来、一度として休んだことはありませんでした」
「そうなのー京子ってすごーい」
「あーあーこれだから優等生ちゃんは。とかなんとか言っちゃって、風邪の時は休んでたんでしょ?」
「なにがなんでも出席した時もありましたけど、ほとんどは先生に頼んで個人授業をしてもらいました」
「あーやだやだ。周りの人達に風邪うつるかもっていう、迷惑は考えないわけ?」
「つかさは鼻風邪で、授業休んだんでしたっけ。そうやって、テストで赤点とるなら、自分の心配した方がいいんじゃないですか」
「あら、あたしはいつだって自分中心に生きてるつもりよ。サボる喜びを知らないなんて、損な学生ね」
「何言ってるんですか。勉学に励む人を学生って言うんですよ。学生に損得はありません」
「なんかもーややこしー」
しかしまだ、ブツブツとつかさと京子が文句の言い合いをしていると、職員室に行っていた加藤先生が戻ってきた。一瞬で京子が加藤先生の方に向き直り、つかさはくんだ足をとこうとはしなかった。
「宇佐見ちゃんも大変ね。廊下はまだ騒々しいから、しばらくここにいた方がいいかもね」
「すいません、ありがとうございます」
「いいのよ。騒ぎで授業もまだ始められそうにないみたいだから」
「そうなのー?大変だねー」
「しっかし、何なのあの騒ぎ?加藤先生はなんか知らない?」
「あらあなた達。騒ぎの出所も知らないで逃げ回ってたの?」
「そうよ。教室に行った瞬間、アレだったからね」
「そうなの。本当に大変だったわね」
また椅子に座ってぐったりしかけた京子は、小さく「疲れました」と呟いた。茜はまだまだ元気なんだけど。というか、この保健室にはなぜか椅子が三つかなくて。普通の椅子二つと、保険医の加藤先生用の椅子と三つ。要するに、今茜だけが立たされているわけで。それを全く全員が気にしてくれていないのが、少し悲しかったりもする。別に、疲れてないけど。
「お茶を出すわね。カモミールとローズヒップ、どっちがいいかしら?」
「カモの飯?薔薇のお尻?」
なんて不気味なものなんだ、とビックリマークを頭上に浮かべる。
しかし最近ではそういった類の、へんちくりんな名前のお菓子が続出している。
と、目の前の加藤先生が手で口元を押さえて、小さく笑いをこらえていた。
さっぱり意味が分からない。笑うところなの?
しかし、隣の椅子に座っていた京子が、はぁ・・・とため息をはいて茜の肩に手を置いた。
「なんで単語は分かるのに、お茶の名前は分からないんですか」
「お茶っつってんのに、カモのご飯なんて出すわけないでしょ!っていうか、薔薇にケツなんてないわよ」
「つかさ、お尻って言って下さい」
「なによ、ケツでしょ。お尻なんて言ったら、桃みたいでやーよ」
「どっちも変わりませんよ」
「もういいよ、二人とも!分かったから、ローズなんとかでいいから!」
また言い合いを始めるつかさと京子の眉間から、火花がバチバチ噴き出していた。
しかしそれを察知して、早めに止めるべくして二人の間に飛び込んだ。
その間もずっと、加藤先生はくすくすと鼻で笑いっぱなしだった。
本当はあの笑い方、やめてほしいんだけどなあー・・・。
その後、長々と加藤先生との話は続いた。
どうやら、今日の大騒動には小さな小さなくだらないわけがあるらしい。ということが、分かった。
「消しゴム?」
「そうよ、消しゴムのおまじない」
それは、どこからそんな話が流れているのか、出所は不明。
その名も、「消しゴムのおまじない」。
昔小学校で流行ったと思われるおまじないが、今になって、しかも高校で復活したらしい。
「真っ新な消しゴムに、好きな人の名前を書くと両想いになれるらしいの」
そう、真っ新な消しゴムのカバーを外した中身に、好きな相手の人の名前を書くと両想いになれるらしい。名前を書いた後は、再びカバーをかけて、誰にも見られないように使い切る。
それが両想いになるポイント。小学生でもできる、おまじない。
まったくと言っていいほど、茜は興味ないけどね。
しかしながら、それが発端となって今日の朝から学校中の生徒が大騒ぎしているらしい。
好きな人の消しゴムの中になにが書かれているのか、みんなが気になっている。
誰にも見られないように使い切らなければ、両想いにはなれない。
もし自分以外の誰かの名前であれば、阻止するべくみんなが見たがるというわけだ。
そのため、普段からモテモテな京子は、朝から追いかけ回されたようだった。
まさか、あの京子が消しゴムに好きな人の名前を書くなんて、ありえるはずがないのに。
それは親友だからこそ、分かることだけどね。
しかし、おそらく。モテモテの京子が追いかけ回されたのだ。このハニカミ学園のモテモテな男子達は、女子の手にかかって大変なことになっているかもしれない。
「あなた達もやってみたら?私もやってみようかしら」
なんて言って、机の中から消しゴムを取り出した加藤先生。
もう片方の手にはマジックペン。
ありえない。って、自分だけでなく、つかさも京子もそんな顔をしてた。
しかし、急につかさが奇声を上げて立ち上がった。
そして、「衛が危ない!」とかなんとか言って、大げさに保健室を飛び出していった。
これこそ、開いた口がふさがらないってやつかな?
つかさって、ほんとにおめでたいよね。
×-×-×-×-×
すべての授業が終わって、放課後になるまでに、消しゴムが行方不明になった人が多発した。
そんな騒ぎも今は朝よりは収まって、しかしみんなが消しゴムを見てはソワソワしていた。
茜は、自分の消しゴムのカバーをなんとなく開いてみて、閉じた。
書きたい名前なんて、ないし。
つかさはというと、二条院さんが見つからなかったのか、しぶしぶ授業を受けていた。
京子は、まだ危ないから保健室に居て、直接生徒会室に行くってさ。
朝から放課後までずっと授業を休むなんて、ってすっごく落ち込んでた。
茜からしたら、そんな嬉しいこともないのに。
「って佐野、アンタねー!!」
生徒会室に行ってすぐ、つかさが怒った。
それもそうだ。この騒ぎ、佐野が流したうわさだったらしい。
「なに怒ってんだよ~。俺は今、ちょーハッピーなんだよ」
「な~にが、ハッピーよ。今あたしはちょーアンハッピーよ!」
「なんでだよ」
「アンタのせいでしょ!!」
佐野が流そうが、誰が流そうが、うわさはうわさ。
みんなが気に入れば広まるが、気に入らなければ、広まらない。
馬鹿な佐野だけど、いったいどこから「消しゴムのおまじない」を見つけてきたのやら。
そういえば、今日の生徒会室はちょっと雰囲気が違った。なぜか、会長席に佐野が座ってるし。
そうだ、つかさのお姉さんのめぐみさんがいない。
つかさの話によると、今日は用事があって、珍しく生徒会には顔を出せないらしい。
ぼけーっと椅子に座っていると、生徒会室の扉が開いた。
入ってきたのは、二条院さんと、室町駿だった。目を合わさないように、天井を見上げた。
「あっ!衛!無事だったのね!」
「つかさ、どうしたの?」
あの騒ぎを苦とも思わない二条院さんの表情は、なんか・・・すごい、モテ慣れてるって感じだった。いや、決してね、京子がモテ慣れてないってわけではないんだよ?
京子は、ただ走り慣れてないだけ!
「よし、みんな集まったな!」
「春日くん達がまだきてないよ、佐野」
「いやっ、いい!俺は待てない!もう発表する」
「なんなのよ、佐野のくせに」
二条院さんの待ったも、つかさの呆れ顔も無視して、佐野はジャージのポケットから何かを出そうとしていた。そういえば、2年1組は最後の授業が体育だったみたい。
同じ組の二条院さんがちゃんと制服を着こなしているのに、なんで佐野だけジャージなの?
しかもかなり擦り切れてた。汚そう・・・臭そう・・・。
そこで佐野が手に持ってみんなに見せたのは、消しゴムだった。
「俺は、机に置きっぱなしだったペンケースから、この消しゴムをこっそりくすねてきた」
自分は勇敢・偉大・雄々しいとでも言いたげに胸を張る佐野に、「誰のだよー」という声があがる。
隣で立ちっぱなしだったつかさがこっそりと、「キモっ」とつぶやく。
向かい側で同じく立ちっぱなしな室町駿は、手で顔を覆って小さくため息をはいた。
その仕草さえもが怖ろしかった。
「俺は今から、この消しゴムのカバーをとり、中に誰の名前が書かれてるか見たいと思う」
呆れた顔で、「もうそろそろミーティング始めません?」と京子の顔が訴えている。
そしてまた、「だから、誰のだよー」と声があがる。
そういえばいつの間にか、春日さん達も生徒会室に入って来ていた。
「諸君、俺の名前が書いてても混乱しないでほしい」
みなが「え?」と混乱する中、木下さんだけ「誰なんですか?」とぼかんとした表情をしていた。
こんなにじらされると、茜段々眠くなっちゃうよ~。
隣のつかさを見れば、「ウザっ・・・」ってぼやいてた。
ほんと、誰のなんだろ?
「聞いて驚け!これは、乾会長の消しゴムだ!」
そう言った瞬間だけ、その消しゴムが天井の蛍光灯の光を反射したように見えた。佐野は呑気なものだ。みんなが「スゲー!」って自分を見てるつもりでいるらしい。そんな表情だ。茜はどうでもいい。どっちかっていうと、人のもの盗むなんて、軽蔑だよ。本人困ってるんじゃない?
一瞬の間みんながひるんだけど、一番最初に騒ぎ出したのはつかさだった。
「ちょっと!今日、めぐみは英検があるのよ!だから今この場に居ないのよ!消しゴム無かった困るでしょうが!」
「あっ、そうなの?でも、乾会長だったら、二つぐらい持ってんじゃね?」
「そういう問題じゃないでしょ!プライバシーの侵害だわ!返しなさい!」
「あ?お前、さっきまで誰のだよーとか言って、他人面してたじゃねーか」
「それはそれ、これはこれ。姉の好きな人をバラされるかもしれないって時に、そんな綺麗事なんて言ってられないわ!しかも、佐野なんかに!」
会長席前に堂々と立っていた佐野に、つかさが思いっきり突っ込んでいき、二人が思いっきり追突した。しかし、二人とも一歩も譲らず、ひとつの消しゴムは佐野の手にがっちり握りしめられていた。つかさが騒ぎを大きくすることに、生徒会役員達はただただため息を落とすばかり。京子なんて、一人で勝手に書類のまとめを始めちゃってるし。佐野なんかに付き合ってられない。茜も書類まとめよー。
京子がまとめる書類の山から数枚をとって、ホチキスで止める。
その時、大きな音と共に会長用の椅子が派手にひっくりかえった。
同時に、小さくて柔らかい物が飛んできて、茜の頭にぶつかった。
力を失って、床に落ちそうになったそれを手のひらで受け止める。まだ新品って感じのそれは、つかさと佐野の衝突でぐちゃっとつぶれているが、おそらく消しゴムのカバーだった。
「つかさ、佐野、大丈夫?」
「いい加減にしろ、佐野」
「コレ・・・・」
心配する二条院さんに、呆れ顔の室町駿。
手にとった消しゴムカバーを渡そうと、椅子から立ち上がった。
会長椅子は倒れたまま。その横で、床に倒れたままつっぷしているつかさと佐野。
二人は佐野の手の中の、裸の消しゴムをじーっと見つめたまま石のように固まっていた。
「まっまっまっまっまっまっ・・・ままままま・・・!!!!」
「え、なに。つかさ?」
「衛うううぅぅぅぅぅぅっっっっ・・・!!!???」
つかさの唇が、言葉も喋れないぐらい痙攣してるみたいだった。
佐野の顔が青に変わって、重石を背中に乗せられたみたいに、動けなくなっていた。
佐野の手のひらを覗き込む。
消しゴムには、「二条院衛」と書いてあった。
×-×-×-×-×
次の日。
「ああ、あれか。あれは拾った物だ」
「え"っ」
「なんだ、どうしたんだ?」
めぐみさんの言葉に、気抜けした、って表情のつかさと佐野。
昨日の夜は、相当ショックだったらしく、「まさか姉妹で同じ人を好きになるなんて」とか言って、「消しゴムのおまじないだなんて、小学生じゃあるまいし」って言いながらも雑貨屋に行って、消しゴムを買っていた。丁度自分の消しゴムもなくなりかけてたところだったし、一緒に買うことにした。ペンギンの絵柄が最近人気な、「ペンギン太くん」。茜は誰かの名前なんて書くつもりはさらさらないけど、つかさは書く気満々だったみたい。
ぼーっとしてる間に、つかさがめぐみさんに昨日のこと事細かに説明していた。
おまじないのことだけ、綺麗サッパリ抜かしてだけど。
「そうか、あれは衛の消しゴムだったのか!持ち主が見つかってよかった。渡しといてくれ」
と言う感じで、やはり「消しゴムのおまじない」のことを話していないだけに、状況がイマイチ分かってないみたいだった。つかさが教えてあげないから、しょうがないんだけど。
それにしても、これだけ大騒ぎしてるのに、ちっとも何も感じていない会長さんもすごい。
「私は今とても、昨日の英語検定の結果が気になる」
とまぁ、会長さんはこんな感じ。
「って・・・・・・あれ?」
またもや、ぼーっとしていて、気付いたらつかさがいなくなっていた。
「つかさは?」
驚きながらも周りを見回し、会長さんの隣の席に座っていた佐野を見た。
「あ?つかさ?だったら、『あたしの衛が危ないわ~!』とか言って、あっち走ってったぞ。衛のヤツ、昨日はトイレの入り口で待ち伏せされて、トイレからずっと出られなかったみたいだからな~。今はなにしてるやらなー」
機嫌が良い佐野は、つかさの台詞のところをノリノリでつかさの声マネをする。
それがとても気持ち悪かったのはおいといて、佐野が指でさした方向に勢い良く走りだした。
そんな自分は、
「あ、まちった。つかさはあっちだったぜ」
「佐野くん。それは絶対、わざとだろ」
佐野につかさとは反対方向に誘導されたことを、知るよちもなかった。
そんなこんなで、今、廊下を一人うろちょろと走り回っていた。ここ何階だったかなー?
実を言うと、つかさを見失ったのは自分のせいではない・・・・と思う。
会長達の教室を飛び出した時、ある女生徒に正面衝突したのだ。
相手は黄色のネクタイをつけてたから、自分の先輩の2年生であることは間違いない。
相手も周りをあまり見てなかったみたいで、お互い謝ってその場はおさまったんだけど。
ぶつかった衝撃で、お互いの荷物が散乱して、片づけるのに少々時間を食ってしまい、完全につかさから切り離されてしまった、というわけだ。
廊下をうろちょろしているうちに、次第につかさを探すのが面倒臭くなった。
というか、つかさを探し回る意味が、今更だが分からなくなった。
「教室もどろ~」
教室にいれば、戻ってくるよね?
一旦、教室に引き返すことにした。これ以上探していても、学校の中で迷うだけだし。学校で迷うなんて、ありえなさそうだが、入学当初一度だけ迷ったことがある。上級生の人に助けてもらったんだけど。まぁ、その話はおいといて。
教室に戻ると、教室の入り口付近で丸山先生が仁王立ちしていた。
ゴリラを絵に描いたようなヤツ、とつかさは言っていたけど。ほんとに、その通り。
茜はあまり気にしないけど、丸山先生はすごい毛深い。手とかもっさもさ。
おそらく自分のことを待っているであろうその姿に、一瞬だけ何かヤバイことを思い出しかけた。が、思い出せない。
「栗原」
「丸山せんせいー」
「いつもなら、つっこみたいところだが、今日はそんなことをしている暇はないんでな」
いつもと違って、いやテンションは同じだが、なんだか違う雰囲気の丸山先生。
トゲトゲしているというか、呆れているというか。
きょとんとしていると、その手に持っていたプリントを渡された。
無理矢理腕に抱え込まされて、嫌とは言えなかった。茜一人分にしては・・・多くないですか?
「あの~、茜は生徒会役員であって、クラス委員ではないんですけどー・・・」
「なんだ、お前はその紙がクラス全員に配布される物に見えるのか?」
「えっ違うの?」
確かに、厚さ的にはクラス全員分はなさそうだ。
じゃぁ、生徒会用?それにしたって、生徒会用ならめぐみさんに渡せばいいのに。ポカンと口をだらしなく開けて、丸山先生を見てると、いつもの呆れたって顔で丸山先生は口を開いた。
「忘れてるどころか、俺の顔を見ても思い出せないとは。ほんと危機感のないヤツだなあ、お前は」
やっぱり分かんない。危機感とか、なに言ってるの。
確かに、茜はめちゃくちゃテストの点数は悪いけど。補習ちゃんと受けてるじゃん。部活も頑張ってるし。そんなことを思ったところで、丸山先生に通じるわけもなく。
先生の顔に呆れたって言葉が、さっきからずっと張り付いて剥がれない。
だからか、ちょっとした危機感が生まれた。それはまだ、わけの分からない危機感だけど。
さっきから腕の中にある重みが気になってしょうがない。
この危機感に、この紙が関係しているのだろうか。
紙の端っこの方をつまんで、一番上の紙だけめくってみた。
「お前、俺は言ったよな?『提出期限明日だからな、忘れるなよ』って」
嫌な汗が背中をつたい落ちた。
「その時、『はーい』って『徹夜で書くよー』って言ってた馬鹿はどこのどいつだ!」
やっと思い出した。
教室の入り口付近で仁王立ちしていた丸山先生を見たとき、思い出しかけて思い出せなかったこと。このわけの分からない危機感の正体。それは、課題の作文だった。
それはおそらく今も、寮の自分の部屋の机の上のファイルの中にしまい込まれているはずだ。
「先生、立ち聞きしてたんですかー」
「よし、正直に自白したから罰は軽くしておいてやろう」
「自白してないしー!」
「一ヶ月、寮の掃除当番な」
「えー!それはないよー!」
「あと、俺の仕事の手伝い」
「茜はすごく忙しいんだから!自分でやれよ~!」
「なんて、そんなことするわけないだろ」
ほっ。まさか、本当にトイレ掃除させられるかと思った。
そんなことしてたら、きっと丸山先生の雑用係として、生徒会にも部活にも行けなくなるところだった。部活には行きたい。生徒会は別にどうでもいいんだけど、行かないと「生徒会活動に支障がでる」とかいう人がいるから、休むわけにはいかない。
だから、期待のこもった表情で丸山先生の顔を見た。
「テストはいつも赤点、部活しか脳がなくて、男みたいなヤツだが、仮にも俺の生徒。たとえ可愛くない生徒でも、俺はそんな鬼のようなことはしない」
「全然素直に喜べないんですけどー・・・」
「まぁ課題の作文は多めに見てやろう」
「ほんとう!?」
「その代わり、そのプリントを10日以内提出するように。平均70点以上で合格だから」
「え?そのプリントって・・・このプリント?」
「おお、そうそう。お前が今持ってるやつ」
え?これ?
今自分が抱えているプリントと、丸山先生の顔を何度か交互に見た。
だってこれ、さっきめくった時に、難しそーな公式の数々がやまほど書かれてあったような・・・。
「このプリント10枚を10日後に必ず、俺のところに持ってこい。じゃなきゃ、お前は留年だな」
「ええええーーーー!!!???」
ええええええ・・・・・・・・留年って、なんで、だって・・・そんな!!
茜、ちゃんとした健全な高校生やってたよね?
この一年間、風邪で学校を休んだことなんてないし。雨の日でも風の日でも雪の日でも登校したし。授業だって、そりゃあ、つかさの誘惑に負けてサボったことはあったけど。
「簡単な問題にしてやったんだからいいと思え。それでもお前一人では絶対無理だ。そこで、俺は優しいから、誰かに協力してもらってもいいとしよう。だが誰かに代わりに書いてもらえば、お前の字は特徴的だから、すぐ分かるかなら」
「あの、でも、あのっ・・・茜は、部活とか生徒会とかですごく忙しいんですけどー・・・・」
「ん?ああ。なら、そのプリントを提出するまで部活は休み」
「えぇぇえ!!?それはないよー!!茜から部活とったら何がのこるのさ!」
「あーあと、プリントの進み具合によっては、生徒会も休みにするからな」
それにはついに、ブチっといった。
だってありえない。茜は、この名門高校にどうやって入ったか分かる!?陸上部に入部する推薦枠で入学したんだよ?成績なんて最初っから悪かったんだよ。それなのに、今更成績のことであーだ、こーだ言われて、部活まで取り上げられたら、茜は・・・どうなるのさ!
怒っているのはこっちなのに、丸山先生からもプチって音が聞こえた。
「いいかお前!確かにこの学校は、推薦枠でお前をとった!それは中学の陸上部でお前がずば抜けて優秀だったからだ。しかし、先生の俺としては!確かに高校でも陸上部エースのお前は鼻が高いが、中学の時よりも成績は下がり、その低レベルな頭のまま社会にお前を出すだなんて、恥ずかしすぎることこの上ない!テストでは毎回赤点、赤点、補習、補習!この前のテストではギリギリ赤点をまぬがれたが。お前がどんな大人になるのか期待2割に、不安8割だ!お前の将来は今のままではお先真っ暗だ。お前がこの高校に入学した当初から、俺の目的は少しでもお前の成績を上げることだった!それなのに、お前の鈍い脳みそは中学の時から少しも変わっていない!だから、このままお前をストレートに卒業させるわけにはいかないんだ!」
「ごめんなさい、あの、要約してもらっていいですか・・・?」
感情のままに興奮した丸山先生は息をはき続けた。
呆然としたまま聞いていて、最後には話の意味が分からなくなっていた。だって、長いし早いし。
自分の言葉に、呆れた表情を見せるわけでもなく、丸山先生は一息ついた。
「要するに、このままだと遠く離れたお前の両親に、現状を書いた通信簿を送らなければならん」
「それはダメ!」
それはダメ!絶対ダメ!
それこそ、あの五月蠅い親から解放された茜の大切な高校生活が、終わってしまう。
とたえそれで、数学プリント10枚を10日以内に提出しなくちゃいけなくても。
留年してつかさや京子と一緒に卒業できなくても。って、卒業できない自体で、親に絶対知られるけど。とにかく!あの人には絶対、知らせちゃいけない。何が起こるか分からないもん。
あの人は、五月蠅くて親ばかで、部活より成績が大事で、茜を女の子っぽくさせたがる!小学校も中学校も、ずっとつきまとわれてきたから、高校だけはって・・・・家から離れた所にしたのに!すべてが台無しになってしまう。きっとあの人なら、「私も一緒に住むわ」とか言いかねない。
と決まれば、答えは一つしかない。
「お願いします、丸山先生。それだけはやめてください」
×-×-×-×-×
とは言ったものの。
「私、一週間後に情報処理検定があるんですよね。だから、生徒会以外の時間は勉強するんで。ごめんなさい」
頼みの綱の京子には速断られた。
「もう少しで新入生が来るだろ?それで色々と忙しくてな、今週から来週はほとんど居残りしなくてはいけないんだ」
第二の頼みの綱。つかさの姉であり生徒会の会長である、めぐみさんに頼んでみたが、ダメだった。みんなこの時期はそれなりに忙しいらしい。ちょっとぐらい、茜のために時間をくれたっていいんじゃ・・・。
ショボンとしていると、「めぐみはどう?」と紹介してくれたつかさが隣でだらしなく笑った。
「ごめんねー!あたしも消しゴム騒動が収まるまで、ずっと衛の側にいなきゃいけないから♪」
こっちは本気で進学するか留年するかって時に、つかさはでへでへと笑っている。
っていうか、つかさになんか頼んでないし。
ところで、「消しゴムのおまじない」はというと、まだしずまることを知らない。
朝ペンケースを開けたら消しゴムが入ってないなんてこと、周りではしょっちゅうらしい。
京子なんてモテモテだから、今日の朝もつかさの消しゴムを借りていた。
ほんとに、どうやって消しゴムなんて盗むんだか、見当もつかないよ。
ちなみにつかさの消しゴムも茜の消しゴムも、ちゃんとペンケースの中にあった。
話は戻って、色々な友達に頼んだんだけど、みんな答えはほぼ一緒。
口を揃えて、「わたし教えるほど頭よくないし」と言う。ため息をつきたくなる。
部活の人達はほぼ部活命って人達で、頭はやっぱりそんなよくない。
そりゃまあ成績いい人もいるけど、そーいう人達とは仲良くないしなあ。
そんな風に悩んでいると、同じ陸上部仲間の女の子に言われた。
「茜、生徒会役員でしょ?生徒会には頭のいい人が沢山いるでしょ~が」
「いい人ってそんなだってー・・・・」
会長さんには断られたし・・・・・と続けようと思ったけど、やめた。
そうだ!いた!一人、まだ茜の勉強を見てくれそうな人がいたよ!
笑顔が素敵?で、優し?くて、生徒会で一番モテモテ?な、人!
「僕に?」
「はい、お願いします!」
そう、この人。つかさの想い人、二条院さん。
放課後の生徒会室は、現在自分を入れて役員5人を欠いた7人がいて、静まり返っている。つかさは今、トイレだ。そこで、二条院さんは少し驚いたように自分を見ていた。
なにせ、生徒会役員だけど、普段はつかさの友達としてしかあまり関わりがないから。
でも今はそんな細かいことを、いちいち気にしている場合ではない。
「10日以内に数学のプリント10枚提出しろって、ゴリに言われたんです!早く提出しないと、茜・・・・部活休んで生徒会も休まなくちゃいけなくなるんです!それどころか、進学できなくなっちゃうかも・・・・・お願いします!どうか断らないで!」
「ゴリ・・・って、えっとまあいいんだけど」
二条院さんは相当驚いていたみたい。
勢いあまって、担任の先生のこと「ゴリ」だなんて言っちゃったし。多分、誰のことか分かってないと思うけど。二条院さんに向かって、頭を深々と下げた。もう、頼るところはここしかない。
参考書を買ったって、教科書を見たって、今から自分で勉強して10枚のプリントを提出するなんて絶対無理!
「頭上げて、茜ちゃん。いいよ、自分でよければ」
「ほんとですか!?」
頭を上げて、二条院さんの顔を見れば、優しく笑い返してくれる。
別につかさみたいにときめきはしないけれど、今は二条院さんが神様みたいにキラキラ輝いて見えた。救いの手をさしのべてくれた唯一の人だ。
「ただあの、佐野も一緒でよければ」
「えっ・・・」
ほっとしたのもつかの間。
少し申し訳なさそうにした二条院さん。
その時ナイスタイミングで、佐野が生徒会室に入ってきた。
「佐野はこの前のテストで赤点をとっちゃってね、来週の補習で70点以上を先生に要求されてるんだよね」
「そんな・・・!」
「だから、佐野と一緒でよければ見てあげられるけど。あ、あとつかさもいるけど」
がががーん。頭の上にレンガが落ちてきたみたいな、ショックだった。
まあそれでも、頭はハッキリとしているが。自分が言うのはなんだが、佐野はものすごく頭が悪くて、佐野の勉強を見るだけでどれだけ時間がかかることか。
さらにつかさが何だかんだと騒ぎ立てたら、余計に勉強がはかどらない。
茜だってスラスラ解く自信なんて全然ないし。10日後に提出なんて絶対無理だよ・・・・。
最後の望みにも見放されて、放心状態になってしまった。生気が一気に口から抜けていった。
「あ、でも、室町なら教えてくれるよ」
「え!?あのっ・・・ええええっと・・・でもあの、いやあの・・・!」
「室町、どうかな?さっきの話聞いてたよね。茜ちゃんの勉強手伝ってあげてくれるかな」
茜の言いたかったことを一切無視して、二条院さんは早口に言葉をつむいだ。
あわあわと怖ろしい物を見るような目で、二条院さんの肩越しに後ろを見る。
生徒会室の真ん中にある長テーブルでは、議長席に座って書類に目を通していた室町駿がこっちを見た。一瞬だけ視線が合って、ぎょっとしたように目をそらした。やっぱり、あの人苦手だ。
室町駿が成績が良いことは分かってたけど、見た目怖いし性格怖そうだし、だから避けてたのにな。だから、二条院さんが最後の頼みの綱だったんだけど。
ビクビクしながら相手の返事を待った。どうで、断られるだろうに。
二条院さんもダメとなれば・・・・どうしよう。もうほんとうに、どん底だよ。
こうなったら、京子に泣きついて教えてもらおうか。
「いいぞ、見てやる」
「いぃぃっ!!?」
「よかったね、茜ちゃん」
トントン、と見ていた書類をまとめてテーブルに置いた室町駿。
その目の奥が密かにキラリと光ったのは気のせいじゃない。
それなのに、危機感もなく目の前に居た二条院さんは、にっこりと笑った。
そして、ひぃぃぃ~~~!と思わず声をあげてしまった。
「なんだ~、お前も補習か?」
佐野があきれ顔でこっちを見たかと思えば。
「ちょっと茜!衛となにやってるのよ!」
「なんだ!どうした騒がしいな」
「騒ぐなら、廊下でお願いしますよ」
「栗原さん、どうかしたんですか?」
いつの間にか、生徒会役員が勢揃いしていた。
そんなことで、自分、栗原茜はもっとも苦手な人・・・・室町駿に勉強を教わることになった。
×-×-×-×-×
次の日は朝からソワソワしてた。じゃなくて、ドキドキしてた。そして、ガタガタしてた。
朝目が覚めた時からすでに、体中が震えてた。
茜、病気かも。
そんなこんなで今は放課後。
他の生徒がいなくなって、暗くなりかけた外を一人ぽつんと教室の窓から眺めていた。
自分の席に座って、普段ならつかさの座っている隣の席を見る。あたりまえだが、からっぽだ。
今、自分は室町駿を待っている。
昨日、あの場で早速今日から数学のプリントを見てもらうことに決まったのだ。
いつもテキパキとしている室町駿は、自分が呆然としている間に時間帯を設定していた。
授業が終わったら速、数学のプリント!それから、生徒会。
この時期だから、茜の部活はない。から、いいものの。
なんて、ほんとは全然よくない。体中の震えがまた止まらなくなってきた。
勉強中のことを考えるだけで怖ろしくてたまらない。テキパキとしてて、神経質そうな室町駿のことだ。さらに成績優秀で真面目で、絶対「勉強が趣味です」とかいう、ありえない人だよ、あの人。だからこそ怖い。分かりません、とか言ったらどうなるんだろう。怒鳴ったり、悪態つかれたりとか?殴られたりするのかな・・・・。
ぶるぶるっと寒気がはしったので、背筋を真っ直ぐに正す。
そして自分の机の上に、数学の教科書とプリントがしっかりと置いてあるか、再度確認する。
その瞬間、1年2組の教室のドアが開いた。
「ひぃっ!」
幽霊でも見たかのように、一瞬固まる。
だが、相手は全く気にしていない。いつもの、無表情な室町駿だった。
「こんにちは・・・」
「早速はじめよう」
蚊の鳴くような自分の声は、室町駿の耳には届かなかったようだ。
固まったまま、椅子に直角に座っていると、室町駿が素早く他の机を動かして、鞄を置いた。
向かい合うようにして立つと、鞄の中から何やら数学の教科書・・・・以外の本を取りだしてきた。
どうしよう、すごい・・・むずかしそう。
「じゃあ、ちょっとやってみろ」
「え?」
「とりあえず自力で解るところだけやってみろ」
「あっ・・・ハイ」
いきなりむずかしい公式とか言われるのかと思えば、そうではなかったようだ。
一応昨日の夜に目は通してみたものの、実際解くとなると、いきなり鉛筆を持つ手が動かなくなる。向かい側の椅子に腰を下ろした室町駿の視線が、プリントに移る。
「なんだ、どこが解らないんだ?」
「えっと・・・・ここが・・・」
まさか一問目から分からないなんて・・・・想像通りだが、室町駿相手にそれは言えない。
つかさとか京子だったら分かってくれているから、「茜だからねー」で終わるが。
室町駿は、自分のことを全然知らない。だからこそ、「予想以上の馬鹿以前の、予想外の馬鹿だ!」なんて言われかねない。ああ、どうしよう・・・。
「なにが解らないんだ?」
「なにが解らないのか、分かりません・・・」
「・・・」
「・・・」
空気が重い。
あらためてここで、自分の正直さに嫌気がさした。
嘘をはくのがいいとは思わないが、室町駿が言葉を失っている。それが悲しい。
しかし、本当にすべてが分からないのだから、嘘のつきようもない、というのが本音だった。
「・・・・・分かった」
しばらくして、考え事をしていた室町駿が自分を見た。
長い前髪から覗く、細い目が自分を睨んでいる。怖い・・・・!
「基本からすべて教える。だから、分からないところはすぐに言え」
「えっ・・・・ハイ・・・」
驚いた。
ピシィって顔にガラスの割れ目みたいなのが入って、火山の爆発みたいにバラバラに砕けちゃうのかと思った。
神経質で怒りっぽくて、さっきからずっと怒りをこらえて、茜を見ているのかと思った。
その後、室町駿はずっと辛抱強く茜に公式をたたきこんだ。
分からないところだらけで、プリントはいちいち横道にそれたが、それでも室町駿は怒らなかった。それどころか、ため息一つつかず、愚痴一つ言わなかった。
たまに室町駿が動くだけで、茜がビックリしちゃうこともあったけど。
神経質そうだけど忍耐強い人なんだなぁ、ってこと分かった。
けどやっぱり、室町駿の言葉とか態度からは恐怖がぬけなかった。
別になにかされたわけじゃないんだけど。
辛抱強い言葉とは裏腹に、心の中では何を思ってるんだろう、って考えてしまう。
プリントに書いては消し、書いては消し。
室町駿に見てもらい、間違っているかあっているかを確認してもらう。
書き直した問題を室町駿に見てもらっている間に、気付いたことがあった。
ペンギン太くんの消しゴムだ。それは、この前つかさと一緒に行った雑貨屋さんで買った物だ。
実は茜にはある癖がある。物に自分の名前を書いてしまうこと。
教科書とかノートとか、色々と。しかし、その消しゴムには名前が書いてなかった。
おかしいなー。書いたつもりだったんだけどな~。
そこで、ペンケースに入っていた青いボールペンで、名前とクラス番号を書いておくことにした。
「あれー・・・?」
おかしい。
茜の疑問の声が、プリントを見ていた室町駿の視線を集めてしまった。
「どうした?」
相手も疑問に思ったのか、茜の視線の先の消しゴムに目をとめた。
思わずビクビクっとしてしまった。だって、そんな、大層なことではないんですが。
でもほんとに、この消しゴム変だよ。なんか、カバーの下に文字が・・・・。
そして、カバーを外して、思わず声を失った。
いや、室町駿と一緒にいて失いいかけていた声を、取り戻した。
「なにこれっ!?」
白い消しゴムの本体には、「室町駿」と華奢な字でくっきりと書いてあった。
なにこれ!ありえない!これ茜の消しゴムじゃない!
心の中で絶叫していると、やたら視線を感じた。
「栗原」
顔を上げれば、忘れかけていた室町駿の存在があった。そうだ、この人いたんだ、ここに。室町駿本人を目の前に、「室町駿」と書いてある消しゴムを使う女子、ってこのシュチュエーションやばくない?室町駿の視線は自分の手の中にある、ペンギン太くんの消しゴムに釘付けだ。
「えっとあのこれは・・・!!」
言うが早いか、素早くペンギン太くんの描かれたカバーをはめ直す。
恥ずかしすぎる。それ以前に、なんて言い訳したらいいの!
「違うんです!これはあの、茜のじゃなくて・・・っていうか、茜は好きな人いなくて!ってそれ言いたいんじゃなくて・・・あ、別に室町駿さんが好きっていうんじゃないってことです!あれはちょっとした手違いっていうか、えっとなんて言ったらいいのか。どうやって茜のところに来たのか分かんない、迷子さんっていうか、えーっと・・・・・・・あっ!!」
もう言いたいことが定まらなくなってきた。
呆然と自分を見ている室町駿の意識を、とにかくそらしたかった。
「あっ!!」という声をあげれば、室町駿の視線が一瞬そっちにそれる。
その瞬間を狙って、窓から外に思いっきり消しゴムを投げ捨てた。
ゴミを捨てるなんて罰当たりなことを、でも今回だけは許して下さい!後で拾いに行くから!
とにかく、一時はほっとする。
「ほんとに勘違いなんです!茜はぜんっぜん室町駿さんのことは好きじゃないんです!ほんとです、うそついてないです!分かってください!」
こっちに向き直った室町駿が、一瞬眉間にシワを寄せる。
ひぃぃぃ!!
「ごめんなさい、間違えました!好きじゃないだけで、別に嫌いじゃないんです!ほんとです、ごめんなさい!だから、勉強見るのやめるなんて、それだけは言わないでーー!」
「分かった、落ち着け」
「ひぃぃぃいー!」
「栗原、落ち着け。分かってる。あれはお前の消しゴムじゃない、ってことは信じる。お前は嘘をつくようなヤツじゃない」
「ほんと?そうだよね、茜うそつけない体質だから」
涙目で言えば、室町駿は少し残念そうな表情をした。
何かと思えば。
「だが、わざわざ投げ捨てる理由が分からない。誰かが拾ったらどうするんだ?」
「あああああああああーーーーー!!!!しまったー!!」
すぐにその場を駆けだしたのは、言うまでもなく。
プリントも鞄も教科書も、すべてを教室に置き去りにしたまま、全速疾走して外に飛び出した。
その日、終わったプリントの枚数は、一枚だった。
×-×-×-×-×
「ないなあ~・・・」
次の日の朝、必死に茂みをかき分けたものの、消しゴムの姿はいっこうに見つからない。
朝からずっとこの状態で、今日何度目かのため息をはいた。
昨日の夜は、結局消しゴムは見つからなかった。
すぐに駆けだしたものの、教室の下にあたる場所が暗さで特定できなかったのだ。
そのまま一時間ほど校庭をぶらぶらとして、疲れて寮に帰った時、すべてを教室に忘れたことをやっと思い出した。しかしながら、生徒会の寮の自分の部屋のドアの取っ手には、自分の鞄が丁寧にかけてあった。瞬時に室町駿の怒りの顔が頭をよぎって、寒気が走った。が、消しゴムのことが頭から消えなかった。
ということで、朝早くからずっとその辺をうろうろとしているのだが。
もうすでに授業は始まってしまっている。要するに、サボりということになる。
「あーどうしよう・・・。もうすでに誰かが見つけちゃってたりとか・・・。どっちにしても室町駿に会うの怖いなー・・・怒ってるよね、なに言われるんだろう。用事があるって生徒会休んじゃおうかなぁーでも、プリント残ってるしなぁ~。あーでも消しゴムも探さなくちゃー」
独り言が次から次へと飛び出すのは、この時間ほとんどの生徒が授業を受けていて、校庭には誰もいないからだ。だからこそ、安心して独り言でもなんでも言えるんだけど。
そのせいで、周りに気を向けることを一切していなかった。
「俺は別に怒ってない」
急に後ろから、しかも近場から、男子の声が聞こえて、瞬時に飛び上がった。
ひぃぃぃ!!という情けない声を出して、少しその場を離れてから振り返る。
「お前はここでなにをしてるんだ?」
振り返って、そこに立っているのが室町駿だということを知ってから、もう一度ひぃぃ!!と叫ぶ。
しばらく返事をできないでいた自分をほっておいて、室町駿はその場にしゃがみ込んだ。
手に持っていた鞄を横に置いて、自分がさきほどからずっと探し回っていた茂みの中を覗き込み出した。
「あのー・・・・なにしてるんですかー・・・?」
「探しているんだろ、あの消しゴムを」
「あー・・・はい・・・でもあのーそーじゃなくて・・・」
「俺も探してやる。二人の方が早く見つかるだろ」
「えっ・・・あーはー・・・」
なんとも気の抜けた返事だったが、内心かなりビックリした。
あの室町駿が、消しゴムごとき買い換えろ!と言いそうに見えて、言わないなんて。
ホントは・・・・茜の想像してるような人じゃないのかなぁ?
一応、昨日は鞄を茜の部屋まで届けてくれたし。勉強教えてもらった側なのに、無言で、しかも忘れて帰っちゃったなんて、やっぱ謝った方がいいよね。
「あのー、昨日は」
「お前、授業はどうした?」
謝ろうとしたところで、室町駿の声に遮られる。かなり、ばっとたいみんぐ。
授業はどうしたって、どう考えてもこの状況、サボっているとしか言いようがないじゃないか。
一瞬、むっとする。相手に聞こえない程度の声だが、ぶつぶつ言わないと気がすまない。
「そーいう自分はどうなんだよー・・・」
「一限目の授業がないだけだ」
「えっ・・・」
「そういう栗原は、サボったんだな」
この人、地獄耳だし!どーせ茜はサボり魔ですよーだ!つかさほどじゃないけど。
その後、室町駿は無言で黙々と消しゴムを探し続けた。
その横顔が何とも真面目、というか真剣で。やはり怖ろしかった。
一瞬でも謝ろうとか、お礼言おうとか、想像と違うのかも、とか思った茜が馬鹿だったよ。
×-×-×-×-×
その後、昼休みにも室町駿と一緒にプリントをやることになった。
以外にもむずかしくて、そのうえ消しゴムを探さなくちゃいけなくて。
暗くなったらよく見えなくなるから、明るいうちってことで、放課後は生徒会前に消しゴム探しをしなくてはいけない。
プリントに向かう鉛筆の動きが止まる。
昨日やったところだが、イマイチ理解不能だったばしょだ。
思わず考え込むように無言で問題と睨めっこしていると、室町駿の視線を頭の上にものすごく感じた。まさか、分からないとは・・・自分からは言えない。って、なんか変な話だけど。
「解らないんだったら、言え」
「・・・はい、ごめんなさい」
「俺がいつ謝れと言ったんだ」
「・・・言ってません、ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃなくて、解りませんだろ」
「解りません」
「どこがだ」
「・・・ぜんぶ」
そんなんでも、一応会話にはなっている。
謝ればすむって話じゃないけど、一応謝っておく。だって、怖いんだもん、この人。
顔から殺気が出てる。今も、目の前で、茜のことを睨んでいる。
臆することなく睨み返すことは出来ないから、視線をそらして棒読みの言葉を繰り返すだけだけど。そうすれば、室町駿が小さくため息をつく音が聞こえた。
放課後になって、今日もまた自動的に室町駿と一緒に消しゴムを探していた。
隣では、室町駿がみるからに嫌そうな顔をして、周りを見回していた。
眉間にシワを寄せて、深刻な顔をしている。この人は、いつもそうだ。
「あのー嫌なら、無理に探してもらわなくても・・・・」
「考え事をしているだけだ」
一応、自分の顔が怖ろしく見えるということは、理解しているらしい。
しかし、そんなとってつけたような嘘をつかなくても・・・。
そんなとき、水を流すためにつくられているコンクリートの溝の中に、キラリと光る物を見つけた。
丁度そこは自分達の教室の真下だから、消しゴムが落ち込んでいる確率はある。
しかしいくらなんでも消しゴムが光るはずはない。雪が溶けて、顔を出したコンクリートの溝は落ち葉などがたまったままだったのか、色んな物が入っていて汚い。
だが、光るものへの好奇心につられるがままに、溝へと手を突っ込んだ。両手でかき分けながらそれを探す。落ち葉が邪魔になってなかなか、それを掴むことができない。
「・・・・・あぁぁっ!!」
途中、急に奇声を発すると、横で探し物をしていた室町駿が驚いてこっちを見た。
「どうした」
声が出なかった。その尋常ではない叫び声に、室町駿も消しゴムを見つけた歓喜の声ではないことには、気付いているらしい。疑わしげな目というか、心配する目つき・・・なわけないけど。そんな表情が見て取れた。
「あのいや・・・えっと・・・」
室町駿には見えないように、と自分の後ろに手を隠す。
自分でも呆然としながら、痛む手を状態を確認したとき、手のひらを赤い血がつたい落ちた。
言い訳する言葉も浮かんでこない。
鈍い痛みが、ドクドクという鼓動と共に手のひらで脈打っていた。
キラリと光る、その物体は古くなって錆びた釘だった。
「何してるんだ、お前は!」
「ひえええぇ!!」
呆然としていた自分の視界には、室町駿の険しい顔が飛び込んできた。
たいしたことないよ、と自分に言い聞かせていたところなのに、どちらかというと室町駿の顔に驚いてしまった。というか、今までにないぐらい怖ろしい。そりゃぁ、こんな時に怪我するなんて、めんどくさいヤツだけどさぁ・・・。
「たいしたことないです!ただちょっと切っちゃったから、バンソーコとかあれば・・・」
「馬鹿かお前は!保健室行くぞ」
「ひえええ!!ごめんなさいぃ~~!!!」
自分の叫び声は虚しく響き渡った。
その後、怖ろしい形相の室町駿に引っ張られるようにして、保健室に連行された。
「はい、これで大丈夫。錆びた釘とかは、ばい菌で化膿したりするから気をつけるのよ」
保健室では、手当してくれた加藤先生が、にこにこと笑っていた。
何がそんなに面白いのか、茜にはさっぱり分からない。
とにかく、部活でも怪我しても保健室には絶対に来ない茜だから、手当されるのとかはすごい新鮮な感じ。
でもそのことを素直に喜べないのは、となりで仏頂面している室町駿がいるから。
「加藤先生、ありがとうございます。それでは、失礼します」
「また、いつでも来てね」
茜に何の断りもなく、挨拶してからさっさと茜の服を引っ張って保健室を出た室町駿。
そのせいで、茜だけ挨拶する暇がなかったじゃないか。
静かに保健室のドアを閉める。
「もうお前は、寮に帰れ」
「えっ!?そんな!だってまだ消しゴムも見つかってないし、生徒会にだって行かないと・・・」
「生徒会には俺が行くから、大丈夫だ」
「あの・・でもいや、ただの怪我だし・・・」
「とにかく帰れ」
もっと言い訳したかったのだけど、有無を言わせない室町駿の表情に、口にチャックがかかってしまった。この人、ほんと・・・・怖い。けど・・・・なんだろ?
しょうがなく、そのまま学校の正面玄関まで向かう。
見送りしてくれるつもりなのだろうか、室町駿も横をずっと着いてきた。
別にそれを拒む理由もなければ、話す内容もないので、その沈黙がちょっと痛かった。
しかし、正面玄関に辿り着いて、下駄箱から自分の靴を取り出して、床に置く。
そこで室町駿も同じように下駄箱から自分の靴を取り出したので、驚いた。
「寮まで送っていく」
自分の驚いた視線に気付いたのか、的確な返答を返してくる。
でも、その後に、なんで?と疑問符が浮かんでくる。
確かにこのハニカミ学園の寮は少し離れた場所にはあるが。ここから歩いて、約10分。
暗い夜道を歩いて帰るのはいつものことで、今日はいつもよりまだ明るいというのに。
だがはやり、断る理由もなかった。
部活ではいつも、男のように扱われ、「マネージャー送ってけよ」とかよく言われる。
茜も一応女なんだけどなーって思ったのは最初のうちだけで、最近ではもうなれっこになった。
だからか、気を使うことは慣れているが、気を使われることは慣れていない。なんか変な感じ・・・。
「お前はもっと、自分のことを大切にしろ」
「え・・・?」
黙々と歩くこと、数分。ずっと黙っていた室町駿が、急に口を開いた。
思わず聞き返してしまった。ちゃんと聞き取れてたのに。
「今日は絶対に寮から出るな」
「えーっとあの・・・・この怪我を気にしてくれてるんですか・・?」
「もし酷くなって、試合に出れなくなったらどうするんだ」
「・・・陸上部の・・?」
少し見上げるように斜め上を見ると、室町駿が静かにうなずいた。この人、おかしい。
陸上部って、茜はランナーだよ?ランナーって・・・手のひら怪我して棄権したりするっけ。
「バトンとか渡したりするだろ」
それは、リレー競技だけだよ。
ってはっきり言ってしまうのはなんだから、ちょっと違うニュアンスにする。
「陸上部はあんまり手のひら使わないよ」
「そうか」
一瞬茜の顔をじっと見た室町駿。驚きって顔してる。
そりゃぁ、鍛える時とかは手はやっぱり必需だけど。それで試合出場停止はないと思う。うん。
どちらかというと、生徒会活動とかのとき手は大事だと思うけどなー。
「それから、早く治さないと、生徒会活動にも支障が出る」
「あのー・・・それは、茜に勉強を教えてる段階で、出てると思いますが・・・」
「それもそうだな」
またもや、室町駿の新しい顔。言われて初めて気付いたって顔をしている。
なんか、驚き・・・というか、新鮮。室町駿もこんな顔するんだ。
それから、もっと驚き。あの室町駿が、口角を上げて笑った。
「室町駿さんも笑うんだー・・・」
つい口をついて出た言葉に自分でもビックリして、後々口を手のひらで押さえ込んだ。
その手はさきほどの怪我した跡として、包帯が巻いてあった。随分と深く突き刺しちゃったらしい。
「なんだ、栗原。人をことを機械みたいに言うな」
「えっ、違うんですか・・・」
「お前の観察力が鈍いせいだろ」
観察力とか、茜はそんないっつも室町駿と一緒にいないし。
そんなの分かるわけないじゃないか。睨みながら、ぽかんと口を開ける。
「口を閉じろ。虫が入るぞ」
むっとしたが、本当に虫が目の前を飛んでいったので、急いで口を閉めた。
すると、先ほどの会話で口に油を塗ったかのように、室町駿は話をやめなかった。
「だいたい、おかしいだろ。なぜ、俺だけフルネーム呼びなんだ」
「茜が?室町駿って?」
「上か、下かどっちかにしろ」
「えー・・・・じゃぁー・・・室町、先輩」
「いきなり普通になったな」
「じゃぁ、どうすればいいんですかー」
「まぁそれでいい」
室町・・・先輩?なんか、変な感じ。茜の中では、いつまでたっても室町駿なんだけど。
でもそれでも、なんかちょっと満足したって表情の室町駿を見て、室町先輩でも・・・まぁ、いいかなって思った。
話し終えたころ、丁度寮の前まで来ていて。
そこから、室町・・・・先輩はまた学校に引き返すみたい。
なんのためにここまで送ってくれたのか、以外にも道は明るかったし、意味がなかったといえばなかった。けれども、意外な室町先輩の一面を見れたといえば、見れた。
得したか損したかって聞かれれば、もしかして得したのかもしれない。
「おやすみなさい」
「ああ」
軽く頭を下げると、室町先輩は来た道を引き返して行った。
ホントに、変な人だ。
成績優秀で堅物って感じなのに、陸上部のこと全然知らないみたいだし。
以外に鈍いし。でも茜のことを女の子?扱いしてくれてるみたいだし。しかも、ちゃんと笑えるみたい。名前のことなんて、いちいち気にしてるし。変な人ー・・・。
でも、もしかしたら・・・・・・本当は、優しい人なのかもしれない。
×-×-×-×-×
周りがガヤガヤと五月蝿い。
当たり前だ。なにせ、今日は日曜日なのだから。
それも、人が良く集まりそうな駅前の本屋さん。
その漫画コーナーで今、つかさも京子もいない独りで立ち読みをしていた。
この本屋さんといえば、漫画本にカバーがかかっていなくて、立ち読みには最適なのだが。
「栗原」
「ひぃ!」
少年漫画で、主人公がボスキャラを倒すという白熱のシーンを読んでいる最中、肩をつかまれた。いきなりのことだったため、驚きの奇声とともに振り返った。
そこには、いつものように仏頂顔をした室町駿・・・室町先輩がいた。
手にはなにやら、数冊の本を抱えていた。
えっと・・・こんなところで、お会いするなんて奇遇ですね・・・。
「お前は、今なんのためにここに来てるんだ」
「茜のレベルでも解る低レベル用の参考書を買いにです、ハイ」
そうです、そうでした。ごめんなさい。
最近発売したばっかりで、読んでなかった少年漫画につい夢中になってました。
決して表情が変わりはしないが、室町先輩の怒りが手にとるようにわかる。
瞬時に持っていた少年漫画を棚に返した。
「いいか、お前は少し危機感が足りないぞ」
「はい、ごもっとも」
漫画を読みきれなかったことを少々残念に思いながらも、室町先輩の後に続いて歩き出した。
室町先輩はどうやら、自分に合う参考書を見つけてくれたらしく、レジへと向っていた。
分厚い参考書が、3冊ほど。考えるだけで、くらくらした。
今日は、室町先輩と一緒にせっかくの日曜日なんだけど、こんな時でもないと時間がとれないので、参考書選びにわざわざ駅前の本屋さんまで足を運んでいる、というわけなんだけど。
参考書のあるスペースに行ってから、室町先輩が数十分も動こうとしなかったから。
飽きちゃって、漫画コーナーに勝手に逃亡してたってわけだ。
「栗原」
「ひぃ!」
「お前のその声はなんなんだ」
「その声ってなに」
「その奇声だ。いちいち、俺のことをなんだと思っている
その話に突っ込まれるとは夢にも思ってなかったせいか、言葉につまる。
隣を歩く室町先輩からは今のところ視線を感じない。
どういいわけしようか・・・。
う~んと、悩んでいると、室町先輩の方に反応があった。
「いつもいつもその反応をされると、傷つくんだが」
「えっ・・・そうなの?」
「お前、本当に俺のこと機械だとでも思ってるんじゃないのか」
「いえっそーいうわけでもないよーな。あるよーな・・・」
「どっちなんだ」
「うーん」
機械とは・・・前までは少し思ってたかも。
怖い、ターミネーターみたいな?
でもどっちかっていうと・・・・真面目で堅物で神経質で、苦手だった。
帰り道で気づいたんだけど、なんかいつの間にか室町先輩が参考書のお金払っちゃってた。
忘れてたみたいで、茜がバカみたいに聞こえるけど。
ホントに本屋さんを出るまで気づかなかった。そして、室町先輩も気づいてないのか、気にしてないのか。しっかりしてるんだか、しっかりしてないんだか。
なんていうか、見た目とのギャップがあるっていうか。想像とすごく違うっていうか。
横を見れば、また室町先輩が難しそうな顔をしている。
眉間にシワをよせて、本人が言うように考え事をしている顔。お得意の顔だ。
一点を見ているようにも見えない、でも睨んでいるようにも見える。その顔を見ると、少しずつ変わってきた室町先輩への印象が、一瞬で元にもどってしまうってものだけど。
「あのー・・・」
声をかけようとして、思った。
きっとまた、考え事をしている、とか答えられちゃうんだろうから、質問の仕方を変えよう。
「なに考えてるんですか?」
「なぜ分かったんだ」
「いや、分かったもなにも・・・顔怖いですよ」
控えめに言ったつもりだったのに、室町先輩が勢い良くこっちを見た。考え事をしているときの顔のままで、見られると、睨まれているような・・・いや、実際睨んでるのかも。
とにかくすごく、怖い。迫力がある。
思わずたじろぐと、室町先輩の表情が和らぐ。
「そうなのか?」
気づいてないって感じで、驚きって表情。なんで、気づかないかなぁ~。
っていうか・・・じゃぁ、それは自ら意識してる顔じゃないってこと?
店を出て歩いていた町の通りだったため、ショウウィンドウがあった。
そこで足を止めた室町先輩につられて、自分も足を止めた。そのショウウィンドウの中は、もう随分前につぶれてしまった洋服屋さんだ。中にマネキンが数体あるだけだった。
中を見ているのか、ショウウィンドウを見ているのか。そこをじっと見つめる室町駿の表情は真剣だった。思わず自分も一緒になって、ショウウィンドウに映るもう一人の室町駿を見てしまった。
「なにしてるの・・・?」
「こんな顔をしているつもりはないんだが」
一生懸命自分の顔を見ている室町先輩。
色んな表情をしてみせる。笑ってみたり、普通の顔をしてみたり。眉間にシワを寄せてみたり。
しかし、普通の顔さえも気難しい表情になってしまっていた。
口角を上げようとして、ぴくぴくと引きつっている。
この人、おもしろい・・・!
テレビではよく、鏡の前で自分の表情をチェックする女の子とかいるけど。
男の人が・・・しかも、笑顔がひきつってるし。
「つかさが言ってたよ。いい笑顔をするには、顔をマッサージすればいいんだって」
「顔をマッサージするのか?」
「茜はやったことないけどねー」
「こうか?」
「こうかなー?」
「こっちか?」
「それかもー」
二人で一緒になって、ショウウィンドウ前で顔のマッサージをした。
以外にも、頬とかを手で揉むと痛かったりする。これって、こってるの?
つかさがよくお肌をもみもみしてるのは見てたけど、結構効果ありそー。
隣では、室町先輩が真剣に頬を触っていた。その姿が見たことがないほど、おもしろい。
こらえきれず、鼻につまるような笑い声を出すと、室町先生の視線がショウウィンドウからそれた。
「何を笑っているんだ」
「えっ、いやあのっ・・・!」
すごまれて、二歩も三歩も後ずさりする。
しかし、長い手足を有効に活用して、室町先輩にすぐさま捕まった。
頬を思いっきりつねられて、いたいのなんのって・・・。
「いだだだだだっーー」
「面白いのは、お前の顔だ」
室町先輩の表情が柔らかくなる。
でも、痛さのあまりこっちの表情は硬くなる。
そんな様子を、町を歩く通りすがりの人達が、笑いながら見ていたのを、二人は知らなかった。
×-×-×-×-×
それからの数日間は、とても足早に過ぎて行った。
いつも男呼ばわりされる、自分にしては珍しく、その記憶のほとんどに室町先輩がいた。
たとえば、昼間の休憩時間をも費やして、消しゴムを探したり。
生徒会に二人で遅れること覚悟でプリントに取り組んだり。会長は全然気にしてなかったけど。
「ただただ大学行けばいいと思っている学生が多いから、今の世の中は馬鹿ばかりなんだ」
「でも、茜の場合は、茜が行きたくなくても親がね~そういう人たちなんだって」
「栗原の親は一体何を考えているんだ。大学に入れるだけで、どれだけ大金がつまれることか」
「なに、茜が裏金で入学するって思ってるの?」
「そういう手もあるが、入るのにも出るのにも金がかさむな」
ある日の昼下がりの会話。いきなりそんなことを聞いてくるから、何かと思えば。
そりゃー茜は馬鹿ですよ~だ。でもそんなハッキリ言わなくてもいいじゃん。
「なんだこれは」
「なにこれ!?佐野と会長?」
「落ち着け。どこからどう見ても、合成写真だ」
ある朝早い日のこと。早起きして、消しゴム探しをしていた時。
校庭のすみの方に捨ててあった写真を発見してしまった。どう考えてもヤバそうな写真。
そこには佐野とめぐ会長が写っていて、でもどう考えても変な写真。それを室町先輩は合成写真だという。何年か前に誰かによってばらまかれたガセネタ写真だと教えてくれた。
その時の室町先輩の表情といえば、「犯人はなんとなく予想できるがな」とあきれ返っていた。
「そういえば室町先輩って何歳だっけ~?」
「17だ」
「え、そうなの?二十歳は過ぎてると思ってた~」
「俺はまだ2年生なんだが」
「でも会長も二十歳だよねー」
「・・・」
「つかさっていくつだっけ~?」
なに!?17歳なの!?
だって・・・つかさが自分と1歳違いって言ってたから・・・
会長が20歳で・・・つかさが・・・19歳!え、つかさって同い年じゃなかったんだね。
呆れかえる室町先輩をよそに、そんな光景にもうすっかり慣れ始めている自分がいた。
「解んな~い」
「そんな所も解らないのか。何度教えたと思っているんだ」
「室町先輩、顔怖いー」
提出用のプリントをやっている時、こんな風に言うことがしばしばあった。
怖い顔をしながら、呆れながらも、室町先輩は茜の言葉に沈黙する。その後、しばらく自分の顔と葛藤するのが、この一週間で室町先輩の日課ともいえるほどになった。
室町先輩とは徐々に打ち解けていって。とても仲良くなって。
まだすごまれると声が裏返ったりするけど、色んなことを言えるようにはなった。
前の印象が完璧にではないけれども、薄れて消えてしまうほど印象は変わっていった。
目つきが悪くて、怖くて、心も冷たくて、仕事人間みたいな機械的な人だと思っていた。
けれども、実際はそういう風な印象を回りに与えてしまう自分に全然気付いてなくて。
真剣で真面目な人で、言い訳はしない。だからこそそういう自分に気付いたとき、すごく気にする。とても、優秀で勉強のことになると目の色が変わるのは、予想通りだったけど。
そうしている間にも、室町先輩とはずっと前から友達であったかのように接するようになっていって。長く感じるようで、短い一週間が過ぎて行った。
放課後の1年2組の教室。一番最初に勉強を見てもらった時も、こんな感じだったような気がする。
少し開いた窓から、まだ肌寒い風が入ってきて。夕焼け空が、教室に影を作っている。
「よし、今日はここまでにしよう」
「はーい」
提出プリントは、残す所一枚となった。提出期限は明後日だった、と思う。たぶん。
だからそれにはギリギリ間に合うかなって、感じ。
「どうした、行くぞ」
この後は生徒会がある。それを忘れて、ぼーっと椅子に座ったままだった自分に、室町先輩が声をかけてくれる。はっとして顔をあげれば、室町先輩が「どうした?」ともう一度聞き返す。
目の前に置いてある残り一枚のプリントを見て、ちょっとぼーっとしていただけ。
最初に、丸山先生から受け取った時は、さっぱり解んない数式が永遠と書いてあるように見えた。
けど、今見れば明日の放課後すぐにでも終わってしまいそうな量に見えた。
これ・・・・終わったらどうなるんだろ?ふと、そんな風に思った。
「まだ解らないところがあったか?」
プリントが終われば、丸山先生に提出するだけ。
プリントを手伝ってくれた室町先輩には何かしらお礼をしなくちゃいけないんだろうけど。
あとはもう、生徒会以外で会うことはないんだろうなあ。
消しゴムも、きっと一緒に探してくれなくなるんだろうなあ。もともと、茜が悪いわけだし。
そしたら、もう後は普通の生活に戻るだけ。勉強して、つかさ達と遊んで。部活して。
たまにかかってくる、親からの電話に、色々と嘘八百並べて。なんか、それ、やだな・・・。
「栗原」
ぼーっとしていたから、室町先輩の声に気付かなかった。
室町先輩は、椅子に座っていた自分を、前から屈みこむようにして下から覗いていた。
また眉間にシワを寄せて、睨むように茜を見ている。怖いなー。
「行くぞ」
「・・・うん」
でも・・・・寂しいなあ。
×-×-×-×-×
次の日は朝早くに目が覚めた。
寒かったとか、お腹がペコペコとか、別にそういうのではなかったんだけど。
ただ、なんとなく。いつもより早く目が覚めてしまった。だから、なんとなく体を動かしたい気分になる。ここ最近はずっと、部活休みだからなあー。
だから、久しぶりに体を動かすことにした。
この季節だから、グランドは雪解けしてるけど土がドロドロだから、走ったりすると体中がヤバイことになっちゃうけど。ってことで、体育館の中でぐるぐるとランニングすることになっちゃった。
部活もないし、部活友達も来ないし、監督もいないし。自分ひとりで。
気晴らしにはいいかもー・・・って、何の気晴らしだっけ?
「あれ、茜じゃない?」
静まり返った体育館の中に、女の子の声がいやに響いた。
足を止めて、上がった息を整えながら首元を手の甲でぬぐった。
「ゆか、かおり」
「なにしてるの?部活でもないのに」
振り返った自分の後ろに立っていたのは、同じ陸上部のゆかとかおりだった。
二人は茜と同じ時期に陸上部に入部した仲良し二人組みで、以外にも仲がよかったりする。
ただ、同学年だがクラスが別なため、部活以外では顔をなかなか合わせない。
体育館のはじの方に置いておいた、タオルとペットボトルを手にとる。
「二人はどうしたのー?」
「私達も、たまには運動しようかと思って来ちゃっただけ。茜も?」
「うん~、茜もそんな感じー」
ペットボトルの水を口に含むと、ゆかは「そういえば」と茜の顔を見た。口の中の水があるため返事が出来ず、ゆかの顔を見返すと、ゆかはその長い睫をしばたかせた。
「茜って室町先輩と付き合ってるってホントなの?」
「ああ!あの最近ちょー噂になってるヤツ」
眼球がぐりぐりするぐらい驚いた。どういうわけだ。
「ほら、同じ生徒会の室町駿よ。クールで怖い印象だけど、超美形だから人気あるでしょ、彼」
「茜ってば、男嫌いでそういうのに興味ないっていうか、ほらそ~いう雰囲気ないっていうか。全然違うけど、ある意味、あなたたちってそういうところ似てるでしょ。異性に興味ありませんって雰囲気!とか言いながら!そのくせ、しっかりちゃっかりしてるじゃないの!あの室町駿を落としちゃうなんて!」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
「照れるなって!で、実際のところどうなの?ホントに付き合ってるわけ?」
「待ってよ!茜と室町先輩はそんなんじゃないって!」
「室町先輩だって!きゃー!!」
茜が手を精一杯顔の前で振っているのにかかわらず、相手は勝手に盛り上がり始めた。
違うんだって!なんて言えばいいんだろう。
「あのね、茜と室町先輩はそういう関係じゃないんだって!」
「なによーじゃぁ、そのちょっと前って感じ?お互い好きなんだけど、まだ告白してないとか?」
「だからー・・・!」
まだまだ喋りつづけそうな二人を遮って、茜は説明した。
室町先輩とのこのような噂を、なぜたててしまうはめになったのか、最初から今までを全部。
それを説明しなければ、おそらく噂がもっと大きくなってしまうのでは、と思ったからだ。
「じゃぁなんなの?四六時中一緒にいるのは、なんでなのよ」
「ちょっと探し物をしててー・・・それを一緒に探してくれるって、いや決して茜が頼んだわけじゃないよ」
「だって一緒に帰ったのを目撃した子だっているのよ?」
「それも!相手が勝手に!送ってくれるって言って・・・」
「じゃぁ茜は別としても、相手は茜に好意を持ってるってことじゃない?」
「それも違うの!あの人、すっごい怖くて冷たくて・・・勉強中だって、手がプルプルしたりするんだよ!」
「付き合っていくと、本当は冷たい人じゃないんじゃないの?」
「予想通りだよ!すっごい怖い目で茜を睨むんだから!二人だって知ってるでしょ、茜が怖いもの苦手なこと!」
「知ってるけど~。なんか、納得いかな~い」
言えるだけの言い訳を、頭に浮かんだ分だけ次から次へと言葉にした。
だから、自分が何を言っているのかも、何を言ったのかも、全く記憶にはなかった。
でも、ゆかとかおりは納得いかない、と首をかしげていた。
「茜は仕方なくなんだよ!明日期限で、プリントがまだ一枚残ってるから、また今日の放課後も会わなくちゃいけないけど・・・でもホントに、それだけ!今日が終わればもうホントに、何にも関係なくなるんだってば!」
そこまで勢いで言うと、目の前の二人は驚いたように目を見開いていた。
ゆかが「そこまで言わなくても・・・」と呟く。そこではっとしたように気付く。
そか、終わっちゃうんだ・・・・。と、自分で言った言葉に自分で勝手に傷ついていた。
「茜だって別に・・・好きで・・・」
そこまで言いかけて、後方の方からガタッという音がして、三人で瞬時にそっちに視線を向けた。
体育館の裏入り口の方だ。そこは半開きになっていて、誰かがばつが悪そうな表情で突っ立っていた。背筋に寒気がはしって、目をこらす。相手は生徒会、副会長の佐野だった。
「なにしてるの?」
「いやっいやっいやー・・・俺はいやっ、別に・・・」
一瞬、室町先輩かと思った。
佐野は、慌てて半開きになったままのドアの中を覗く。そして、もう一度こっちを見た。
一瞬迷うような仕草を見せた後、追い立てられるように出て行った。
まずかったかな、佐野に聞かれてしまった。
ぼーっとしたまま、佐野の出て行ったドアを見つめていると、誰かに小突かれた。
「ちょっと、茜?」
自分をつついたのは、かおりだった。
どうしたの?と珍しそうにたずねてきたから、「なんでもない」って答えた。
×-×-×-×-×
その後はすぐ体育館を出て、自分の教室に向った。
何時になっていたのか。生徒の姿がパラパラと見え始めていた。
しばらく自分の机に突っ伏していると、京子とつかさが教室に姿を現した。
二人は今日も相変わらずな雰囲気だった。
朝からハイテンションなつかさは、今日もまた「衛がー」と嬉しそうに話を切らさない。
聞くだけ聞くが、なんだか返事をする気分にならなくて、そのまま机に突っ伏していた。
そんな自分をだらしなく思ったのか、「どうしたのよ?」とつかさが背中をたたいてきた。
背中をたたく手のひらの強さに、少しむせかけた時、誰かの長い脚が視線に入り込んできた。
「室町」
驚きで慌てて視線をあげた自分よりも先に、近づいてきた相手の名前を漏らしたのはつかさだった。
急いで姿勢を正した自分を、無表情に見下ろす室町先輩が、いつの間にか目の前に立っていた。立ちふさがるような、ただでさえ背が高いのだから、そんな威圧感をかもし出している。
今、自分がこんな後ろめたい気持ちを持っているから、余計そう思うのかもしれない。
なんて言えばいいんだろう。
別に、佐野が告げ口したとは限らないのに。言葉が出てこなかった。
いつもは五月蝿いつかさも、呆然と室町と茜を交互に見ているだけだった。
「あの・・・」
まだ何を言うかも決めずに、口ごもりそうになった時、目の前に白い袋が差し出された。
「すまない。今日の放課後に用事ができたんだ」
「え?あ・・・はあ」
この袋はなんなの?と思いながら、差し出されたものだから、素直に受け取った。
無表情な室町先輩の顔からは、すまない、という気持ちは感じ取れなかった。
それよりも、いつもより無表情なのが気になった。
「その袋の中に、最後のプリントを解けるよう説明を書いた紙を入れておいた。だから、今日の放課後は一人でやってくれ」
なるほど。袋の中からは、白いホチキスで留められた数枚の紙が覗いている。
用事だというのだから、しょうがない。逆に、申し訳ない気持ちがあふれてくる。
自分は教えてもらっている立場だというのに、あんな思ってもいないことを言ってしまった。
それなのに、室町先輩は用事のある忙しい時も、自分のことを考えてこんなことまでしてくれる。
「あの・・・室町先輩、ごめんなさい」
ありがとうって言えなかった。
「いや、俺の方こそすまなかったな」
目の前の室町先輩も、自分と同じく謝った。
なんで、この人が誤るんだろう。そんなことを、ただ呆然と思っていた。
何も答えずにいた自分に、一瞬だけ無表情を崩した室町先輩の表情は、なぜか悲しそうだった。
そして、呆然とするなか室町先輩が立ち去った教室で、最初に口を開いたのはつかさだった。
「どういうことなのよ!?」
「なにかあったんですか?」
「え?」
京子にまで言われて。そこまで言われるとは思ってなかったので、驚いた。
二人だって、自分が室町先輩に勉強を教えてもらっているのは、知っているじゃないか。
「あの超真面目な室町が前から決まってた用事をドタキャンなんてするわけないでしょ!」
「え・・・」
「元気もなかったみたいですし。何かあったとしか考えられません」
「そうなのかな・・・」
「っていうか、茜も元気なくない?なんかあったの、あんたら」
「え・・・あの・・・」
そこで、朝の佐野のことが頭をよぎる。
考えすぎかもしれない。佐野が告げ口したとは限らないじゃないか・・・と何度も思った。本当にただ忙しいだけとか。ただ、体調が悪いとか。あとは・・・・他の用事ができたんじゃないかな。
「茜らしくありませんよ」
「そうよ!なんかあったんなら、あたしたちが相談にのるわよ」
「うん・・・ありがとう」
「で、どうしたのよ?」
「うん・・・実は・・・」
ガタッという音と共に1年2組の教室のドアが開けられたのは、つかさと京子に、朝のあの会話を佐野に聞かれたことを、すべて話し終わってからのことだった。
三人で同時に開かれたドアを見つめれば、そこに立っていたのは佐野と会長だった。
「なあ、室町くんを見なかったか?」
そこでいち早く席から立ち上がったのはつかさだった。
姉の言葉にも耳を貸さず、一直線に佐野に近づくと、その胸倉を乱暴に掴み取った。
「佐野あんたー!」
「くくくくるしい・・・」
首を強く絞められている佐野は、笑いをとろうとしているのか、苦しさをオーバーに表現する。
隣でそんな二人を見ている会長は、意味がわからずぽかんとしている。
そこで、京子も立ち上がったから、一応自分も立ち上がった。
「アンタはまた!!言わなくてもいい事を、室町に言ったでしょ!」
「ちょっとまてつかさ。何のことだかサッパリ・・・」
「今朝の話よ!アンタが体育館で聞いたことについて言ってんの!茜がホントにそんなこと思うような子だとでも、アンタは思ってんの!?」
「いやちょっとまて!」
「なに、聞いた話しも聞いてないとか、しらばっくれるつもりじゃないでしょうね!?」
「違う違う!確かに俺は聞いた!」
「認めれば誤らずとも許してもらえるとか思ってんじゃねー!」
「ちょっと待てっつってんだろ!俺は確かに聞いたけど、俺は室町になんか言ってねーよ」
「はぁ!?嘘ついてんじゃないわよ。アンタの他に誰が告げ口したってのよ。言ってみなさいよ!」
大声を出してすごむつかさに、佐野は騒ぐのをやめてため息をついた。
そして、自分の胸倉を掴んでいるつかさの手を掴んではずすと、言いにくそうに視線をそらす。
みんなが佐野に注目した。廊下を歩いていた生徒達までも、珍しそうに振り返っていた。
もちろん、教室でガールズトークをしていた女子も、こっちを振り返り、またトークを始めた。
「あの場にいたんだよ」
「は?誰がよ」
「室町だよ」
「はぁ?」
「俺も確かに聞いたけど、あそこにいたんだよ。アイツは直接聞いてたんだよ」
その場が一瞬で冷めたように静まり返った。
それにはさすがのつかさも、言葉を失っていたようだった。
誰も佐野の言葉を疑ったりはしなかった。意味の分かっていない会長も、空気を読んだのか黙っていた。
ああ。そうか、聞いてたんだ。
あの時、佐野が体育館の裏ドアから顔を出していた時。室町先輩はすでに、去っていたのかな。
その風景がいやにクリアに頭の中で想像できて、唇を噛み締めた。なんて言ったらいいのか分からない感情に襲われて、そんな状態の自分に誰も話しかけてこなかった。
×-×-×-×-×
別にこれでいいじゃないか。
お昼時、生徒のほとんどが教室にいなくて、周りはなんとも静まり返っていた。
いつもなら購買にでも行ってお昼ご飯を買ってくる時間だが、立ち上がる気になれなかった。
お腹はいつもどおりすいてるんだけどなあ。
「ちょっと、誤解なら誤解だって室町に言いに行かなくていいわけ?」
そして、そんな自分を心配してくれているのか、つかさも京子もまだこの教室にいた。
普段なら二条院さんに会いに行っている時間なのに、つかさは隣の席でぴーぴー騒いでいる。
「つかさ、そっとしておいてあげましょう」
「だって!二人とも結構良い雰囲気だったじゃない・・・・室町だって茜にだって珍しいことでしょ!そうじゃなくたって、茜はそんなこと思ってなかったんでしょ。違うの?」
「つかさ」
答えないでいる自分に、興奮したようなつかさ。そんなつかさを、京子が一生懸命落ち着かせる。
でも、つかさはまだまだ言い足りないって表情をしてる。
違うんだよ。良い雰囲気とか、もったいないとか。確かに、あれは口から出たでたらめだけど。
誤解をといて、どうなるんだろう、と思う。自分と室町先輩は生徒会以外で関係などないし。
最後のプリント、今日の放課後が終わってしまえば、誤解したままだろうが誤解をとこうが変わらない。そんな関係なんだってこと。
「誤解なんてとかなくていいとか、思ってるんでしょ?そんなの絶対間違ってる!茜と室町がどんな関係になろうが、アンタが室町を傷つけたことは変わらないんだからね!」
そうだ。自分は、室町先輩を傷つけた。本当はそれが気になってたのに。
この10日間。自分は室町先輩の何を見てきたんだろう。
傷ついてなければいいと、心の奥では思ってた。そうすれば、誤解されたままでも、いいって。
でも、短かったけど10日間の間に自分が見てきた室町先輩は、とても真面目で繊細で不器用な人だった。
「つかさ、お昼休み終わっちゃいますよ?」
「んんもうっ・・・!!」
ずっと無言な自分に、京子もすっと席を立ち上がった。
そして、じれったそうに立ち上がったつかさは、しばたく足をばたつかせながら、教室を飛び出していった。きっとすごく怒ってるんだろうな。って、いかり肩になったつかさの背中を見れば、よく分かった。その後ろを追うようにして、京子も教室を出て行った。
二人のいなくなった教室には、他のクラスメイト達がちらほらと帰ってきていた。
みんなが話をしたり、パンやお弁当を食べている姿を見ていて、やはりお腹がすいてきた。
振り返れば、自分より何個か後ろの席に座っている女子が、窓に映っている自分を見ながら唇にグロスを塗っていた。
そこで、思い出したように机脇にかけておいた白い袋に目がついた。
室町先輩が、朝持ってきてくれたプリントだ。なんか、申し訳ないなあ。という気持ちでそれを手に取った。その中から、ホチキスで留めてあるプリントを取った。10枚ほどありそうな紙には、綺麗な字でぱっと見は意味のわからない公式がずらずらと書かれていた。
「あれ・・・?」
驚いたのは、プリントにではない。白い袋にはプリント以外にも何かが入っていた。
手にとったそれは、昆布のおにぎりだった。しかも、二つも入っている。
なんで・・・?と、思って、そこではっとした。前に室町先輩とこんな会話をしたことがあった。それは、学校付近にある手作りのコンビニに立ち寄った時のこと。
『今は部活休みだけど、茜はねー部活で朝練があるときはーいつもここでおにぎり買ってから、行くんだよー』
『習慣か。しかしなんで、そんなことをするんだ』
『朝練ってすごいお腹すくんだよー!ちなみにー昆布のおにぎりが好きなんだー。室町先輩はー?』
『俺は梅派だ』
『あーなるほどー』
その時、室町先輩はなぜか笑ってたっけな。
覚えててくれたんだ・・・っていうか、これは自分のために買ってきてくれたのだろうか?
朝早く、誰にも会わずに体育館に行ったはずなのに。もしかして、見られてたとか?
じゃあ、あの会話をする前からずっと、室町先輩はあそこに居た?
左手に握ったおにぎりにかかっているラップを、右手ではずしていく。
むき出しになった白い米と、黒いのりを一緒に口に含めば、丁度良いしょっぱさが口に広がった。
「おいしい・・・」
そういえば、朝ご飯も食べてなかったっけ。
なぜか、目の奥がじわじわと熱を持ち始めて、焦った。
目元を手でこすろうと動かすと、持っていた白い袋を間違って落としてしまった。
その袋にはまだもうひとつのおにぎりが入っているというのに。
床にたたき付けられたその袋を早く持ち上げようと、椅子から腰を下ろして手を伸ばした。
引っ張った白い袋からころっと転がり落ちたおにぎり。口から勝手に「あっ」という言葉がこぼれた。手を伸ばしおにぎりを掴んだ自分の手に、続いて袋から放り出された白い小さな物体がぶつかってきた。一目見て分かったそれに、驚きで声も出てこなかった。
手にとって、顔の前まで持ってきて、もっと近場で確かめたが、それは思ったとおり、消しゴムだった。恐る恐るといった調子で、消しゴムカバーを取ってみると、そこにはもう大分薄れてしまったかすかなペンの跡。しかし、しっかりと「室町駿」と書いてあった。もう片方の手で掴んでいた消しゴムカバーを裏返せば、やはりかすれてしまった自分の名前があった。
なんでだろう。そのかすれてしまった文字を見た瞬間、今まで重かった体が嘘のように、軽くなった。
確かに、室町先輩は言ってくれた。
昨日の放課後、一緒に消しゴム探しを手伝ってくれたとき、「明日もある」って。
あの時消しゴムは見つかってなかったはず。なら・・・今朝?
でも。なんか、今ではもう何のために消しゴムを探しているのか、自分でも分からなくなってきてた。最初は噂がたつことが怖くて、ただそれだけに一生懸命だった。
でも、室町先輩と一緒にいて、楽しくて。
ただ今気付いたことだけれども。ただただその時間を純粋に楽しんでいた気がする。
軽くなった体は勝手に動き出した。
いや、それじゃぁ、心と体が別々みたいじゃないか。それは違う。
プリントが最後の一枚になったとき、感じた気持ち。寂しいとか、悲しいとか意味わかんない感情。もしかしたら・・・・室町先輩も一緒なんじゃないかって・・・思った。
お昼休みの終わりを告げるベルが鳴って、ほとんどの生徒達はいつのまにか教室に戻ってきていた。廊下にいた生徒達もそのベルの音に、慌ててという調子で開いたドアからなだれ込んでくる。その波にのって、何処に行っていたやら、つかさと京子の姿が見えた。しかし、その波に逆らうようにして、教室を飛び出した。自分に気付いたつかさが叫んだ気もしたけど、気にしない。未だごった返す廊下をつっきって、2年生の教室を探す。いまさら、室町先輩が何組だったっけなんて、思ったりもしたけど。廊下を全速疾走している最中に、丸山先生に引き止められそうになって、誤って激突して突き飛ばしてしまった。
急いでたから立ち止まれなかった。ごめんね、丸山先生。
混み合った廊下を、生徒達をぬって走るのはむずかしかったけど、階段を上りきった時、佐野を見つけた。
「佐野!」
「あー?・・・・っておぉっ!?」
後ろから呼び止めれば、振り返った佐野が驚きでのけぞった。
佐野も次の授業があるのだろうか、丁度教室の中に入るところだった。
よかった、まだ授業ははじまってないみたい。
「室町先輩どこにいるのっ?」
「室町なら・・・」
「佐野。先生がまだ来てないから早く座れ」
佐野の声を遮って、教室から顔を覗かせたのは室町先輩だった。
しかしすぐに、茜に気付いて驚いた顔になった室町先輩。そして、その眉間にシワがよる。
空気を読んだのか、「あ・・・あぁ」と小さく返事をした佐野教室の中に入って行った。
でも、室町先輩の表情に言葉がのどにひっかかってしまった。でも・・・・言わなくちゃ。
その時、急いで階段を駆け上がってきた生徒達がいたので、室町先輩は丁度ドアの所にいた自分の肩を掴んで廊下に連れ出した。
ドアの敷居によって分けられて、教室の中にいた室町先輩も廊下に出てくる。すると、その脇を数人の男子生徒が通り抜けて行った。授業時間が遅れているのか、まだ先生は来ない。
「どうした」
「室町先輩」
室町先輩は無表情だ。自分とあまり話したくないみたい。でも、それは覚悟の上だ。
それでも、自分は言わなくちゃいけない。
「ごめんなさい」
「なぜ謝るんだ?」
深々と頭を下げれば、室町先輩はそんなことを聞いてくる。分かってるくせに、どうしてそんなこと聞くんだろう。
「謝るのは、予約を断った俺の方じゃないのか」
「そうじゃなくて。朝の話・・・聞いてたんですよね」
「・・・・ああ、立ち聞きしてすまなかった」
「そうじゃなくて。あれは茜が悪かったから、室町先輩は何も悪くないよ」
室町先輩は、やっぱり苦笑いする。その笑い方を見て、なぜか悲しくなった。
「気にするな。もともと、勉強も今日で終わりだったんだ。互いが互いをどう思っていようと、生徒会にはあまり支障はないだろう」
今日で終わり・・・・その言葉に少し傷ついた。
自分が感じた寂しいとか、悲しいという気持ち。でもそれは、自分だけのものだった。
その事実をつきつけられて、本当は室町先輩は傷ついてないんじゃないかとも思えた。別に気にとめてなかったりして。
「わざわざそれを言いに来てくれたのか。余計な時間をとらせたな」
「・・・」
「栗原ももう授業の時間じゃないのか?早く行け」
黙っている自分の頭に、室町先輩は手を置いてぽんぽんと軽くあやしてくれた。そして無表情でもなく苦笑いでもなく、初めて見る笑みを漏らす。なんだかすごく、申し訳なさが伝わってくる。
その時丁度、室町先輩の受ける授業の先生が急いで走ってきた。額から汗をたらしていた。まあ遅れてるからしょうがないけど。
それに室町先輩も気付いたのか、「またな」と言って茜に向けた。
そんな室町先輩の背中を見ていて、思った。
確かに同じ気持ちだったら嬉しかったけど、別にそうであってほしいと期待してきたわけじゃない。
それに自分は言い訳をしにきたわけでも、謝りにきたわけでもない。
ただ、真実を言いに来た。たとえ、室町先輩は違う気持ちで、この状況がなにひとつ変わらなくても。言いたいことがあって、ここにきた。
「室町先輩!」
茜の大きな声に、室町先輩は驚いたように振り返った。
驚いたのは室町先輩だけではなく、教室の中ですでに席についている生徒達が「どうしたんだ」と騒いでいた。教室の中に入っていく途中、先生が「授業はじめるぞー!」と言ったのが見えた。
もう10分も遅刻してる。
少し離れてしまった室町先輩に向かって、体ごとのりだした。
「そんなことを言いに来たんじゃない!茜はっ・・・・室町先輩に謝りに来たんじゃない!」
室町先輩はその場から動くこともなく、細い切れ長の目をいつもより大きく見開いていた。
こっちもいつもより、強く目を見開いた気がした。
声は震えることもなく出てたけど、握り締めた手のひらが汗で気持ち悪かった。
「はじめは、すごい怖くて神経質で殴ったりするような人だって思ってた!茜はみんなにボケてるってよく言われるから、生徒会でもよく怒られたりするし、真面目で勉強教えてもらってる時も、分かんないって言ったら何されるのかな・・・とか!でもそれは茜のただの思い込みだった。茜は、今日まで室町先輩と一緒に色んなことが出来てホントに楽しかった!」
大きく見開いた目を、室町先輩は再び細めた。
痛い視線。鋭い瞳は、自分を睨んでいるようにも見える。
何を考えているのだろう。でも、どんなことを考えていても、自分は伝えるだけだ。
「勉強中とか、わかんないって言ったら、ホントに手とか震えてたりしたけどっ・・・茜の問題なのに、自分のことのように考えてくれた。消しゴム捨てちゃったのは茜なのに、文句も言わないで一緒に探してくれた。今でも怖い顔されると、まだすごく怖いけど、でも全然想像と違った。寮までおくってくれた時だって、責められて怒られて怖かったけど、嬉しかった。茜、こんなだから、おくってもらうって初めてだったから」
そこまで言うと、自然と微笑が漏れてしまった。なんでだろう、すごく温かい気持ちになる。
相手もまた、同じ気持ちでいてくれれば・・・と思うだけだった。
でも、俯き気味だった視線を上げたとき。
「あたりまえだろ」
そう言って、口元に笑みを浮かべている室町先輩がいた。
「俺は怒っていたわけじゃない。お前が心配だっただけだ」
そう言って、ふてくされたような表情をする。
きっとこの場につかさがいれば、「くさ~い」の一言でも言ってくれただろうに。
でも別に、茜は臭いとは思わない。だって、人として誰かを心配できるって、すごいことだと思う。
「それからさっき気づいたんだけど、このおにぎりありがとう」
そういえば、急いで走ってきたから、食べかけのやつしか持って来なかった。ほとんどその存在を忘れかけてて、ずっと握っていたから、なんかすごい形になっちゃってるけど。そのへんてこな形のおにぎりを、室町先輩に見えるように目の前に出せば、室町先輩は沈黙した。
「昆布のこと、覚えててくれて嬉しかった」
「まったく。俺は忘れるような毎日は送ってない」
思わず苦笑いする。そうだよね、室町先輩だもんね。そのへんな、抜け目ないよねー。
でも・・・・。ってことは、茜との10日間も全部覚えてくれてるの?
もし・・・ほんのちょっとでも、同じ気持ちだったらいいのに。
「茜ね、すごく寂しかったんだ。色々考えて、なんなのかよくわかんなかったんだけど、実は・・・・分かったんだよね」
俯き気味にいえば、室町先輩の視線を頭の上に感じた。けれども、彼なりの気遣いなのだろうか。返事がない。いや、つばを飲み込む音が聞こえるほど静まり返った。
「室町先輩と一緒にいて、大変なこともあったけど、ホントに楽しくて。この時間がずっと続けばいいのになって・・・思って。だから、あとちょっとしかこうしていられないんだなーって思ったら、なんか・・・すごく寂しくなったんだ」
いったん言葉を切って、おにぎりと一緒に握ったまま離さなかった消しゴムをもう一度握り締めた。それを室町先輩にも見えるように持ち上げれば、室町先輩の表情が少し変わった気がした。この消しゴムにどんな意味があったんだろう。
「だからこれ・・・」
そこで言葉をにごす。なんて言えばいいのか分からなかった。
消しゴムを見て、ここまで来て、こんな風に気持ちを伝えることができたのに。
今再び消しゴムを見ても、勇気は生まれてこなかった。
喉の奥から緊張のツバばかりがあふれ出してきて、それを飲み込むのだけで精一杯だった。
その時、自分の手の中から消しゴムが消えた。取ったのは、室町先輩だった。
「すまない、返すのが遅くなったな。3日ほど前に、職員室の窓で見つけたんだ」
残念そうというか、その消しゴムを見ながら目を細めていた。
そんなところにあったのか、と驚いたけども。だって、それじゃいくら校庭を探して見つからないはずだ。成績のいい室町先輩のことだ。きっとしょっちゅう、先生の手伝いとかしに職員室に行くんだろうなあ。茜は、呼び出し食らったときぐらいしか入んないよ。
「俺の勝手な感情で、見つかったことを隠すことになってしまって、本当に申し訳なく思ってる」
「隠す・・・?」
室町先輩があきれた表情で話したことの意味が分からず、聞き返す。
茜のことじゃなくて、自分にあきれてるみたい。
すると、室町先輩ははにかんだ。
「なんとなく、返したくなかったんだ」
茜が最初にその寂しさを感じたとき。それがなんだか分からなかった。
正体不明のもやもやっとした気持ちが、胸のあたりから消えてくれない。
その気持ちの正体を、茜は今気づいたけど。
おそらく、室町先輩はまだきっと正体不明のままなんだろうな、ってなんとなく分かった。
でも、正体不明なままでも、そのもやもやっとした気持ちは、同じなんだろうなって、嬉しかった。
一人で勝手ににやにやしていたのか、室町先輩が「どうした」と声をかけてくる。
視線を上げれば、室町先輩。少し眉間にシワを寄せて。
そして、はっと思いついたがままに室町先輩の手の中にある消しゴムを奪い取った。
そんな自分の行動に、一瞬室町先輩が驚いて、その後怪訝そうな表情になる。
「室町先輩!!お友達になってください!」
そう言ったのと同時に、手に持っていた消しゴムを廊下の窓から外へと投げ捨てた。
あの時、教室で消しゴムを投げ捨てた時のように。違うのは、自分で窓を開けたってことかな。
「投げ捨てる必要があるのか?」
勢いづけたつもりなのに、室町先輩は怪訝そうな表情のまま驚きながらも冷静につっこみを入れてくる。でも、いいんだ。それでこそ、室町先輩。驚いているところも、先輩らしい。
室町先輩の視線は、茜の投げ捨てた消しゴムが消えていった窓の方。
そんな先輩にも聞こえるように、ハッキリと言った。
「また探すの手伝ってくれますよね?」
そうじゃなくちゃ、投げ捨てた意味なんてない。
ねぇ、また、同じ時間を共用できるよね?上級生と下級生とか、生徒会とか関係なく、また一緒にいられるよね。
そんな願いを込めて、室町先輩を見れば、室町先輩が無表情のままにこっちを見ていた。
そのまま数秒。そして、いきなりたえきれずに笑い声をこぼした。
「わかった」
そう言って、笑ってくれる。
だから、思わず自分がしてしまったことに、唇を噛み締めてはにかんだ。
すると、室町先輩が近づいてきて、頭をなでてくれた。その手のひらが大きくて、急に緊張してきた。だって、茜・・・・こんなに積極的になったのは、人生初めてかも!
めちゃくちゃ恥ずかしいとか、思ったんだけど・・・・実は、そんなの序の口だったらしい。
はっと気づけば、室町先輩のクラスといわず、他のクラスからも注目を浴びていた。
先生達まで授業を中止して、こっちを見ている。佐野なんて「ひゅーひゅー」とか言ってる。クラス中の人たちが廊下に通じる窓や、入り口から覗き見するように、腰を低くして見ているではないか。思わず、顔にぼっと音が聞こえる勢いで火がともった。もう、真っ赤っかのトマト状態だ。
それなのに、室町先輩は涼しい顔してる。いや、こっちを難しい顔をして見ている。
「どうかしんですか?」
「いや、あの消しゴム。さっき俺が見たところでは、名前もなにもかもかすれて読み取れなかった」
「あっ・・・そういえば・・・」
「投げた意味は全く無いな」
ははは、と苦笑いすれば、室町先輩があきれた表情をする。
あの短時間でそこまで確認するとは、さすが室町先輩。って、感心してる場合じゃないんだけど。
でも・・・。
『こらー!!!』
消しゴムを投げた窓の外から大きな声が聞こえて、急いで窓に駆け寄った。
ここは3階だったっけ?窓から身を乗り出すようにして外を見れば、数メートル下には教頭先生が立っているではないか。
相当怒っているようで、手に消しゴムを持って茜を睨み上げている。
窓から冷たい風が流れ込んできて、「あーあー」と小声でぐちって大量の風を吸い込んだ。
「誰だ!こんなものを投げたのは!お前かー!!」
うわっ~・・・と思っていると、後ろから室町先輩を服を引っ張られる。
その力によって窓から身を乗り出すのを妨害され、おそらく教頭先生から茜は見えなくなっただろう。室町先輩に引き寄せられたことによって、余計回りから「ひゅー!」という音が聞こえた気がした。けど、室町先輩は小声で「見て見ぬふりをしろ」って呟いた。え、なにを??みんなを?教頭先生を?それとも、風でなびいてハゲが丸見えだった教頭先生の頭を?
あ、それは内緒だよ。
とにかく、これで一件落着?したみたい。
室町先輩の気持ちは・・・聞けなかったけど。でも、本人が分からないんだったら、しょうがないよね。
だから、同じ気持ちだったかは、まだ知らなくてもいいと思った。まだ、聞けなくてもいい。
でも・・・そのうち、室町先輩の口からちゃんと聞かせてほしいかな。
×-×-×-×-×
その頃。
室町達のクラスのすぐそばの階段に隠れて、二人の会話を立ち聞きしていたつかさと京子は・・・。いいかげんにしろよ、って表情の京子。
「っていうか・・・あいつら、ホントに消しゴムのおまじない効いてんじゃない?」
「さあ?分かりませんよ。まだお先長いですからね」
「なによ、京子。アンタ、自分には浮いた話がないからって~」
「ふっ・・・つかさってバカですよね」
「はー!?」
と、いつものようにケンカしているのであった。室町と茜に負けず劣らず大声を出していたのだが、しっかりと誰にも気づかれていないのであった。