思後悔路
三題噺もどき―ひゃくに。
お題:助けて・演じる・心臓
生ぬるい風が頬を撫でた。
今いるのは小さな部屋の中。
一人。
唯一の涼を与えてくれる扇風機の前に座っていた。
「…あつ……、」
なぜこのタイミングで壊れるのだ、クーラーよ。
お前は鬼か何かか。
この、日々最高気温を更新していく日の本で、お前がいないというのはかなりの死活問題だぞ。
「…クソ……」
一応、窓という窓を全開にしているものの、外で暖められた生ぬるい風が部屋のなかを回るだけで、一向に涼しくなるような気配がない。
目の前にある扇風機だって、申し訳程度の冷たい風を送ってくれるだけで、通りすぎれば部屋にやって来た風と合流して、部屋のなかを混ぜったくるだけだ。
「っあ’’~~~~~~」
ダラダラと汗が止まることを知らない。
さすがにこれ以上汗をかき続けていては、熱中症になりかねない。
部屋のなかに居るとは言え、だ。
近年はむしろ部屋に引きこもっている方がなりやすいとも聞くし。
「……、」
一旦扇風機の前を離れ、冷蔵庫へと向かう。
作りおきしている麦茶をとりだし、グラスのコップへと注ぐ。
もとよりそのコップは冷凍庫にいれて冷やしておいたのでキンキンに冷えている。
これにビールでもいれたら旨いんだろうなとか、考えながら、冷えきった麦茶を一気に呷る。
もう一杯コップに注ぎ、それを片手に扇風機の前に戻る。
「……、」
風に当たりながら、今度はちょっとずつ麦茶を飲んでいく。
グラスを傾ける度、カラン―カラン―と氷が揺れる。
その音を聞くだけでも心なし、涼しい気持ちにはなれる―気がする。
「……、」
いけない。
頭がボーッとしてきた。
だがまあ、熱はないようだし、水分も十分に取っているから、熱中症にはなるまい。
これは多分、考えることを止めただけであって、脳が思考することを諦めただけ。
「……、」
しかし、私はこういう風に思考が、意識がおぼろになる状態はあまり好きではない。
―嫌なことばかりを思い出してしまう。
今まであった、あれやこれやが、フラッシュバックのように繰り返す。
「……、」
自分がポジティブ思考ではないと思ってはいるが、決してネガティブ思考の人間でもないと思っている。
何だかんだ言って、気持ちが落ち込むことは滅多にない。
だが、このフラッシュバックだけは、毎日のように毎時間のように襲いかかってくる。
その時だけはどうしても、気が滅入る。
「……、」
大抵は、忙しかったり、別のことに気をとられたりしてさほど気にすることもないから、気が滅入る何てことも起こり得ない。
―けれど、今日はそうもいかない。
家でやることはすべて済ましてしまったし、クーラーを直してもらおうにもシーズン期間のようで、来れるのは2、3日後になるらしい。
暑さのせいで思考もろくに回らない。
何かしようという気にもならない。
唯一やることと言えば、水分補給と、手で扇いで少しでも涼をとることぐらい。
後はもう何もしたくないし、できそうにもない。
「……、」
あぁ、ダメだ。
記憶の奥底から引っ張り出されてくる。
最近あったこと。
上司にひどく八つ当たりをされたこと。
同期に仕事をとられて腹が立ったこと。
その事になにも言えない自分に腹が立ったこと。
学生時代のこと。
大切にしていた親友を助けてあげられなかったこと。
「大丈夫」というその言葉が、「心配ないよ」というその言葉が、すべて演技で、平気な振りを演じていただけで―本当はなにも大丈夫じゃなかったこと。
必死に気づかれまいと―だけど誰かに助けてほしくて、声をあげていたのに。
それになにも気づかずに、いや、気づかない振りをしていた自分自身のこと。
「……、」
今さら後悔する。
あのときこうしていれば、もっと私が動いていればなにかが変わったかもしれない。
あんな結末にはならなかったかもしれない。
―だけどやっぱり、私が何をしたって変わりはしないという絶望に襲われる。
「……、」
あぁ、よくない。
こんな事ばかり考えていても、いい事などひとつもない。
けれど、思考は巡る。
私の意思とは関係なしに。
今すぐ、どうでもいい大好きなゲームの事でも考えていたいと思うのに。
それとは裏腹に、過去の記憶を引きずり出しては後悔して、絶望する。
「……、」
暑い。
体温が上がってきたような気がする。
心臓の音がドクドクとうるさい。
頭の中に響いて、五月蝿い。
やかましい。
あの時こうすれば―そうして何が変わる―うるさい―もっと私が―意味は無い―何故あの時―今更後悔などしてどうする―どうして―意味が無い―なぜ――
「……、」
思考が、巡る。巡る。巡る。
心音も、それにつられて早くなる。
まるで、思考が巡るそのスピードに合わせて、全身に血液を流し、巡らせるように、その後悔が全身に回る毒になれと言わんばかりに―ドクドクと心臓は己が存在を主張するように脈打つ。
「……、」
誰か。
助けてほしい。
この、思考の渦の中から逃れられない。
誰か、私をここから、助け出してくれ。
私は、私には、こんなに後悔まみれで、懺悔すべき相手が居るんだと認めるから。
お願いだから、ここから、私を、
――チリン――
ハッ―と視線が上がる。
窓にかけていた風鈴が、申し訳なさそうに揺れている。
さっきまで静かに揺れていただけのくせに。
お前の存在自体私は忘れていたぞ。
「……
「―どうも…」
無機物に何を言ったところで、返事など帰ってきやしないのだが。
おかげで気分は晴れた。
「…ぅし、」
少し汗をかきすぎた。
肌がどうもベタつく。
もう一度麦茶を飲んで、風呂にでも入ろう。