第32話「恐ろしい可能性」
いくら考えても答えは出ない。ただ、個人的には苦手──あるいは嫌い──というだけなのかもしれないが、どうにも見ていると落ち着かない気分になった。
「そういえばあなたには言ってなかったかしら。近衛隊長のクレイグはエイリンの元婚約者だったらしいわ。シトリンさんは彼のことを疑ってるみたい」
「エイリンの元婚約者……あのひとがねえ」
結婚相手には最適そうな雰囲気。物腰柔らかで落ち着きと威厳もある。近衛隊長という役職から考えれば、これからの未来も明るいだろう。コールドマン家の娘と婚姻を結べば、どちらにとっても安泰だ。選ばない理由はなかった。
「仲睦まじかったそうよ。あまり悲しんでるふうには見えないって、シトリンさんは言っていたけれど……どうなのかしらね。私もあまり信用はしてないわ」
「ふーん、そっか。パッと見は良いひとそうだけどねえ」
近衛隊長のクレイグは人当たりがよく町でも評判だ。巡回も欠かさず朝早くから率先して行うし、部下たちの信頼も厚い。女王が傍に置いて彼を重用するのもうなずける話で、エイリンのような純朴な少女にはぴったりだったはずだとリズベットも思う。
だから彼女はふいに思い立ってソフィアの手をひく。
「ね、ちょっとこっちに来てよ。さっきのことなんだけど」
連れて行ったのはさっきまでソフィアがいた路地裏だ。いまさらなにがあるのか、と思いながら進んでみると、奥まった場所まで来てリズベットは表通りを指さす。
「ここまでは見えてるんだ。でも角を曲がったら全然見えなくなっちゃう。……もしエイリンが誰かを見つけて声を掛けたのがソフィアと同じような状況だったとしたら、誰も犯人のすがたなんか見えないんじゃないかな」
わざわざ路地裏へ入っていったエイリンを誰と会っていたか気に留めておくために追い掛ける通行人などいないだろう。
「アタシもソフィアが入っていくとき、だれを追い掛けていったのか分かんなかったんだ。……それにほら、こっち見て」
路地裏のさらに奥。まだどこかへ道は続いているが、どろどろとした雰囲気に足を運ぶ気にはなれなかった。
「どこまで続いてると思う? この路地裏」
「……さあ。ただどこかへ抜けるということは分かるわ」
リズベットが吸殻を拾い上げ、まじまじと見つめる。
「だろうね。ってことはエイリンがそのまま連れ去られてしまった可能性は高そう。……それも彼女と親しくてこの町にすごく詳しいやつにさ」
吸殻をぽいっと捨ててにやりとした。
「ラルティエにも、アタシたちが連れ込まれた『貧民区』なんて呼ばれてる場所がいくつかある。程度には差があるけど、そういった場所で暮らす人たちってのは基本的に他人とは関わらないし、揉め事も起こさないんだ。どんなことにも口を閉ざして自分たちの平穏を守ってる。可哀想な話が殺されたって気にもされないから」
落ちている吸殻はひとつやふたつではない。かなり古いものもある。リズベットが注目した点はそれだ。
「こういった貴族絡みの事件の調査はすべて近衛隊が行うのがラルティエの慣例だ。……そして結論は自殺と断定され、ご丁寧に遺書まで見つかった。ソフィア、ここにある煙草の吸殻は全部同じ種類なんだよ。これ、どうしてだと思う?」
問いに対して首をひねるまでもない。
「頻繁にこの場所を利用しているからね。近衛隊はヴェルディブルグでも歴史ある厳粛な組織だもの、あまり目立ちたくはないでしょうし」
「そうだね。で、巡回はさっきみたいに〝二人一組〟で行われる」
「でも、たかが喫煙くらいでエイリンが殺される理由に……あっ」
最初はなにを話したいのかピンと来なかったソフィアも、彼女の言っているひとつの真実に指先が触れる。
「だとするとエイリンが何かに巻き込まれて行方をくらましたとき、もし近衛隊が犯人だとすると──現場には必ずもうひとりいるってこと……!?」
「うん。あのふたりが犯人って断定できるわけじゃないけど」
煙草を吸っていたのはクレイグだけでなく部下もそうだ。彼のおこぼれに預かっているのか、それとも自分たちでも入手しているのか分からない以上は断言できるほどではない。だが彼ら近衛隊ほど町の構造に詳しい存在はおらず、そのうえ貴族であるエイリンが関わる親しい間柄の人間──それも侍女を置いて一目散に駆け寄っていくような相手──など少数に限られてくる話だ。
「だれでも進んで入るような場所じゃないし、突発的でありながらまるで用意周到だったように犯行があったとするなら近衛隊の人たちがいちばん可能に近い。いや、むしろアタシはひとつだけ恐ろしい可能性さえ考えてるよ」
吸い込まれそうな闇に続く薄暗い道を睨んで彼女は言う。
「もしかすると犯人はふたりじゃ済まないかも、ってね」




