第29話「シトリンの推理」
喜びを分かち合うのもほどほどに、ソフィアはどうしてリズベットが戻って来てくれる決心がついたのかと尋ねた。昨日の彼女の様子をみれば、とても今のような状況になる雰囲気ではなかった。
彼女の気持ちが変わったのは今朝のことだ。
「実はシトリンさんとお話をしてね……」
アゼルによる監視は今朝には解かれていた。というのも彼が所用で王城へ出向かなくてはならなかったからだ。イレーナに任せる際に『屋敷のなかだけでも自由にさせておいて構わない』と伝えてもいたので、この瞬間が最初で最後のチャンスだろうとシトリンも念のためリズベットに会うことにした。
それからの話をリズベットは具体的には口にしなかったが、とにかくいろいろと考え直すことができたと今後は何があってもソフィアの傍を離れない強い決意を抱いている。
「とにかく、これからはエイリンのことも含めてアタシも力になるよ」
「助かるわ。でもアゼルは大丈夫なの? イレーナが困らない?」
邸宅からリズベットが逃げ出したとなれば、責められるのはイレーナだ。彼が気付いてしまったら大変なことになるのではと心配した。
「大丈夫だ、父様なら夜まで戻らないだろう。去年の今頃……エイリンが死ぬ前にも王城で開かれるアニエス女王陛下の誕生パーティに出席して遅くなったから今日もそのはずさ。リズベットにあてがう婿探しもかねているだろうしな」
いちど婚約破棄のあったバーナム家との縁談をふたたび持つのは難しい。アゼル自身が信頼に欠ける以上、彼らが協力的になるとは思えない死周囲からの視線も冷たくなってしまうだろう。コールドマン家の評判は、それほど損なわれていた。
「そうそう見つからないからアゼルも頭を悩ませそうね。ちょうどいいわ、とりあえずみんな座って話を進めましょう。そのためにここを借りたんですもの」
今日の集まった目的はエイリンに関する情報を共有するためだ。さっそくソファに座ってシトリンが
「それではまず、エイリン様のことですが」と話を切り出す。
内容は彼女がソフィアに最初に語ったものと同じだ。『エイリン令嬢は何者かに殺害され、自殺として隠蔽された』という証拠もない憶測に近い話。だが本題はここから、ここ数日にわたって夜間に王都を歩き回ってかき集めた情報をひとつ提示する。
「いろいろと聞いて回ったところエイリン令嬢にはかならず侍女が付いていました。褐色肌の……そう、さっきのメイドのような方です。おそらくジャファル・ハシムという国の出身でしょう。私が最後にお会いしたときも、たしかに傍にいたのを覚えています。しかしそれ以来そのメイドの行方は誰も知らないそうです。イレーナ令嬢はどうですか、エイリン令嬢の侍女については?」
話を振られたイレーナは肩をすくめて残念そうに笑いをもらす。
「私も、なんなら父様もよく知らない。エイリンが死んだ三日後に辞めて故郷に帰ったきりだ。それ以降の足取りをよく知らないし、知る手段もない。分かってるのは名前と、そいつが目を離した隙にエイリンはいなくなっていて、しばらくしたあとに河川で遺体が発見されたのが原因で精神的苦痛に苛まれていたってことだけさ」
エイリンの侍女の名はアニサ。基本的には王都で雇われるメイドたちのなか、ひとりだけが目立つジャファル・ハシムの出身だったので印象は強い。働いた年数は一年にも満たなかったが出来の良い娘だったとイレーナは思い出しながら語った。
「とはいえ探すだけの意味はないだろう。どうせ話が聞けたとしてもエイリンを見失った後のことは誰もが知ってのとおりだし、辞めたのも父様から勧められてのことだ。さきほど話していたとおりなら目撃証言も出ないのは間違いない」
町中で大胆にもすがたを消した令嬢。その後、周囲のだれもが犯人らしき人物については首を傾げて「そんなひと、いたかなあ」と答えるだけだった。それはエイリン付きの侍女もそうだ。なんの証言も得られないなら会う理由はないだろう。
しかしシトリンはかぶりを振った。
「だからこそ聞かねばならないことがあります。エイリン令嬢がどうしてすがたを消したのか、なぜ誰にも不自然に思われなかったのか? その直前の行動について」
当時のことを振り返ったシトリンは、町中がひとでごった返すほどの状態ではなかったことからエイリンが人前で攫われるといった事態にはならなかったはずだと推測する。つまり彼女はみずからすがたを消した可能性もあった。
「殺人事件だとしたら、かならず犯人と接触しなくてはなりません。白昼堂々、町中で行方をくらましておきながら誰も違和感を覚えなかったのなら、おかしな行動を取ったふうにも見えなかったのでしょう。つまり何かを見つけたりして追ったというよりは誰かを見つけて声を掛けた、が正解のはず。彼女と親しい誰かに」
誰が見ても不自然ではない。よくある光景。おそらくエイリン自身も巻き込まれるとは思わないような不測の事態がそこで起きた。その瞬間までは親しい誰かも、彼女の出現によって変わってしまったに違いない。殺さざるを得ない状況に。
「そのアニサという侍女については私が調べてみます。たとえ目撃証言が得られないとしても、エイリンととくに親しかった人物については良く知っているはずですから」




