第26話「贈り物に万年筆を」
そもそもからして罪滅ぼしとはいえど指輪はシトリンがローズに贈ったものだ。それがほかの誰かに渡ったのだから『なぜ別の誰かに渡した』と否定するのはありえない話で、むしろ大切なひとのためにと考える彼女を尊重するだろう。
「どうせローズ様はシャルロット様がくれたもの以外なんてあんまり興味ないですし、私も理解して渡してましたからなにも思いませんよ。好きなように扱ってください」
「ありがとう、シトリンさん。……さて、そろそろ出ましょうか」
気分はゆっくりしていたいところでも時間は待ってはくれない。慌てるほどでもなかったが、善は急げと早めの出発を決めた。
「アニエス様にご挨拶はしておかなくていいんですか?」
「ええ。まだ時間も早いでしょう、休めるときは休まないと」
リズベットを連れて戻らなかったときのソフィアの様子といえば暗いものだった。多少はシトリンのおかげで明るさは取り戻していたが、泣いたあとはばっちりと残っていて、アニエスにはずいぶんと心配をさせてしまった。
わざわざ朝早くから顔を出してあれこれと気を遣わせてしまうのは申し訳ない、と静かに出て行こうとソフィアも気配りを大事にする。
「わかりました、ではのちほどお会いいたしましょう。私は先に用を済ませてきますので、なにかあれば適当に話してみてください。聞こえていますから」
「頼りにしているわ、シトリンさん。じゃあまた」
ふわっと煙のように消えたシトリンを見送りソフィアも支度を済ませてリズベット人形を抱え、そっと部屋をあとにする。廊下を忙しそうに歩き回るメイドや近衛隊の者たちに自然な挨拶をかわしながら正面入り口へ向かう。
「おや、これはソフィアさん。どちらへ行かれるんですか?」
「クレイグ。ちょっと散歩よ、昨日の気分転換にね」
「そうですか。くれぐれもお気を付け下さい、彼のこともありますので」
目立った行動を取らないとはいえアゼルが何をするかは分からず、手段を選ばない可能性もじゅうぶんにある。町中でもじゅうぶんな警戒が必要なのは彼女も理解していた。クレイグの忠告に「大丈夫よ、優しいのね」と返事をして微笑む。
「私は当然のことを言ったまでです、レディ。もしなにか困りごとがあれば、いつでもお申し付けください。……あなたのような方が泣いているすがたは胸が痛む」
「ご親切にどうもありがとう。また会いましょ、クレイグ」
軽い握手をかわす。気さくに手を振って別れて外に出てから、とても不愉快そうな表情を浮かべてスカートで手を拭った。
「……なにあれ? 紳士のつもりかしら、レディだなんて呼んで」
昨日の今日でまるで親しくなったかのように接してくるクレイグにソフィアは気持ちの悪さを覚え、彼の慈愛を見せつける視線を訝しむ。あれがたった一年前に伴侶となるはずだった女性を失った男の想起する紳士のすがたなのか、と。
(まあいいわ。ちょっと気分の悪い朝になったけれど、そんなことを今気にしている場合ではないし……急ぐことにしましょう)
出て行く直前、衛兵に馬車を用意してもらったほうが良いのではないかと提案を受けたが丁寧に断り、ソフィアはひとりで町を歩く。いつもなら隣にいるはずのリズベットのすがたはないが、彼女を模した人形のおかげで寂しさは和らいでいる。
そのまま目的である文具店まで足を運び、店主に「友人に贈れるような高価なものを探しているの」と金貨一枚を見せた。
「いくつかありますよ。どんな方への贈り物ですか?」
「とても名のある高貴な方よ。大切な友人なの」
店主である老齢の男は商品として見えるように並べたものではなく、店舗の奥から装飾ある箱をいくつか持ってきて彼女にひとつずつ開けてみせる。
「貴族の方でしたら、派手さのある装飾を施したこちらの万年筆はいかがでしょうか。ダイヤモンドを使った美しい装飾が人気ですよ」
「うーん……あまりそういうのを求めるタイプの方ではなくて」
彼女が渋い表情で万年筆を見つめて言うと、店主の男は何かに気付いたようにニヤリとして「そういうことでしたか」と笑って、彼女の前に並べたものをすべて置いたままにして、カウンターにしまい込んでいた箱を取り出す。
見目からしてシンプルな木の箱で、開けば実に美しい黒い塗装のされた見た目の万年筆で艶が他とは比べ物にならないものを「おすすめですよ」そっと置く。
「まあ……すごくきれいね。とても良いわ」
「ええ、作り手の自信に満ちた逸品です」
世界に一本しかないひとつの『作品』らしく店主もいっさいの値をつけずに保管していたものだが、店を継ぐ者もおらずそのうち閉めてしまうつもりだったので誰かに譲ろうと思ったのだと話す。
「そんなに貴重なものを売って頂いて良いの?」
「知らぬ間に処分されるのも、処分するのも勿体ないですからね」
しっかりしたやや太めのサイズ感は、手にしっくりとくる。使うのも良し観賞用にも良いクールなデザインだ。ソフィアはその万年筆にうっすらと薔薇の紋様が刻まれているのを見つけて「これはいったい誰が作ったの?」と尋ねる。
「こちらは五年前まで工房を営んでおりました妻のもとで、シャルルという女性が作られたものです。魔女様と共にお越しになられて、作ってみたいとしばらく滞在されたあと記念に頂いたのですが……その妻も二年前に亡くなってしまいまして」
自身もまたいつまで生きていられるか分からないし、貴重な品であるため他の誰かが大切にしてくれるのならと思い切っての提案はソフィアが信用に足る人物だと察したからだ。彼女がいったい誰に譲るつもりなのかを理解し、せっかくなら多少の値をつけて余生を妻を想い過ごす穏やかな日々にしたい、と。
「オズモンド様ならきっとお喜びになられますよ。ご子息も含めて収集家なところがあるので、私が持っているよりも長く残してくださいますでしょうから」
「気付いてたの。……そうね、ならこれを頂きたいわ」




