第20話「話はあとで」
地下の書斎は暗いが、それほど湿気はない。やや埃っぽく、清掃と換気はよく行われているらしい。鍵を開けていったんふたりで地下まで折りてからシトリンは耳うちする。
「いいですか。このあと私は邸宅を出てから改めて彼を訪ねます。もちろん普段通りのすがたで。時間はできるかぎり稼ぎますから、そのあいだにリズベット様を連れ出してあげてください。どこの部屋にいるかまでは私にもわかりかねますので……すみません。あとはあなたの努力次第になってしまいますが」
なんらかの手段で多くの情報を握っていたシトリンだったが、リズベットの居場所に関してはアゼルが誰にも伝えておらず、広い邸内をソフィアがひとりで歩き回ることになった。幸いにも今回の一件でしばらく従者もいないらしく、都合は良い。
「ありがとう、シトリンさん。大丈夫、頑張るわ」
拘束具くらいはいつでも外せる。準備は整い、シトリンといったん別れてから数十分ほど待っただろうか。ようやく指輪が紅く淡い光を放って行動の時間がやってきた。深呼吸を何度かして軽やかな足取りで階段を上がり、ゆっくりと扉を開く。
(……さて、どうしたものかしら。魔法を使えばしばらく痕跡が残るから見つかって揉め事になるのもいやよね。にしても、この邸内にはアゼルしかいないの?)
静まり返っている邸内に従者がいないのはともかくレヴァリー夫人や娘のイレーナのすがたもない。部屋の数が多く見つからないだけかと思いながら歩き回り、いくつかの扉を開ける。途中、アゼルとシトリンの声がする部屋の前を静かに通った。
(うまくやってくれているみたいね。でも時間は掛けていられない)
備品置き場や書斎。キッチンに浴室など多くの場所を確かめて歩き、いまだ触れていない部屋を何室かだけ残すに至った頃、ひとつの部屋の前で足が止まった。
『レヴァリー』とだけ書かれたプレートが提げられており、他と比べていささか上質な素材で出来た雰囲気のある扉にソフィアは目を惹かれる。ゆっくりドアノブに手をかけて回す。鍵はかかっておらず部屋のなかは真っ暗だ。
「……眠っている、のかしら?」
高級な家具を揃えられている部屋だがシンプルを尽くしていて、ソフィアが部屋の灯りをつけるとベッドにひとりの女性が横たわっていた。静かに寝息を立てていて目を覚ます気配はない。その見目に『リズベットが老けたらこんな感じだろうか』と思わされ、彼女がレヴァリー夫人であると分かる。
「よく眠っているだろ」
すぐそばで掛けられた声にどきりとした。アゼルではなく女性のもので、いささか低い。目をやってみると見るからに男性ぽく見える短髪の女性──服装ひとつとっても男性を思わせる──が、ソファに座って眠そうな目をやんわり擦った。
「頭が狂ってしまってね、そうやって一日のほとんどを寝て過ごしているんだ。起きたときには水を飲んで少量の食事をするだけ。……だからほら、痩せているだろ。可哀想だとは思わないが、だからといって放置は出来ないから」
初めてみるどこの誰とも分からない相手に彼女は話す。
「あなた、どうしてそんなに冷静なの?」
「……さあ。疲れてるのかもしれない」
かけていた眼鏡をはずし、傍にあった布で拭く。
「私はイレーナ・コールドマン。……君の名前は」
「ソフィア・スケアクロウズよ」
「そうか、君が姉様の言っていたソフィアさんか」
眼鏡ごしに見つめたイレーナは優しく微笑む。
「かならず来るとかどうとか言っていたし、父様が無理やり連れ戻したときから予感はあったんだ。……この家はエイリンが死んでから色々と変わりすぎた。大木が内側からゆっくり朽ちていくような感覚さえある」
コールドマン家は、リズベットが出て行ったときでも、それほど変化はなかった。エイリンは自分が新しい後継者として選ばれたことを誇りに思っていたし、父親の厳しい一面にはときどき嫌気が差すときもあったが嬉しく話すときもあった。
母親のレヴァリーは『深く考えすぎていた』とリズベットに冷たく当たったことを後悔し、それこそアゼル自身も出て行ったものは仕方がないと連れ戻す気など最初はなかったのだ。
「君とはほかにもゆっくり話をしてみたいが……その様子だと時間はなさそうだ。姉様がいる部屋まで案内するよ、父様にバレないように急いでるんだろう?」
椅子から立ち上がり、軽くのびをする。
ソフィアが「どうして協力してくれるの?」と尋ねた。リズベットがいてくれたほうが妹としては気が楽なのは間違いない。今のアゼルはほとんど形振り構わずで、理由さえあれば力ずくでイレーナにも厳しく当たることさえじゅうぶんに考えられる。
しかし彼女はあごに指を添えてうーんと悩んで、苦笑いをした。
「全部伝えたいけど、それは父様のいないところで。今は先を急ごう」




