第12話「襲撃の理由」
「な、なんだあんた? いったいどこから──」
男の頓狂な声を最後に、しんと場が静まり返る。ソフィアが痛むからだに浅い呼吸を繰り返しながら背後を見れば、そこには男はおらずシトリンが屈んでいる。
「ご無事のようでなによりです、ソフィア様」
「これが無事に見える?……私、死ぬのかしら」
「大丈夫、ちょっとしたサービスくらいはしますよ」
傷口に手を振れるシトリン。ほどなく痛みは消え去って呼吸も落ち着き始める。服についた血の汚れはそのままだったが、傷はきれいさっぱり跡さえ残っていない。
「すごいわね。悪魔っていうのは本当なの?」
「ええ、嘘はつかない主義ですから。……たぶん」
きょろきょろと見回し、男がいないことを不思議がる。
「さっきのひとはどうなったの?」
「──ああ、どうでしょうね。よく分かりません」
ニヤッとした彼女の表情は月明かりのせいか恐ろしくみえた。
「ま、まあいいわ。気にするのはあとよ、リズベットが……」
「おそらくコールドマン邸へ連れ戻されたはずです」
「なんとなく分かるわ。あの男、ずいぶん憤慨していたから」
「話は後日と伝えておいたのですが、すみません。気付くのが遅れて」
サポート役を担っておきながら怪我をさせた挙句にリズベットまで連れていかれては、魔女と契約をする身として恥ずべき結果だ。そう自分を叱責した。
「いいのよ、気にしないで。こうして私も生きてる、まだリズベットは助けられる。……でも、どうして私たちをわざわざ襲わせたのかしら? そんなことをしてバレでもしたら、自分の立場が危ういでしょうに」
うーんと考え込むソフィアにシトリンは首を横に振った。
「その程度のことを隠せないほどコールドマンは小さな貴族ではありませんから。さきほどの者たちからは濃い血の臭いがしていました、誰かを経由して腕利きを雇ったのは間違いないでしょう。──そしてこれは、ソフィア様とリズベット様の双方を縛りあげるための警告だと思われます」
コールドマン家の当主であるアゼルが首謀者としてリズベットを連れ戻し後継者としての教育をするために、彼女が逆らえないようソフィアに傷を負わせ、連れ去ったあとで『いつでも手を下せる』と擦りこむ腹積もりでいる。そしてソフィアにも同じく同様の手段で、もし救いにでも来たのならリズベットを盾に脅して身動きをとれなくしてしまえばいい。
なにより大事なのは『どちらも妙な行動を取れば殺される』という事実が共有されること。心優しいリズベットならソフィアを助けるためにコールドマンに戻ることを選ぶだろう。アゼルはそれを理解したうえで今回の行動を起こしたに違いない。
「今のリズベット様なら、きっとあなたを前にしても『大丈夫』と笑ってみせるでしょうね。けれどあなたがいなくなれば、彼女は壊れてしまう。アゼルもあの汚らしい舌であれこれと嘘をついたり、煙に巻いたりすると考えていいはず」
コールドマンはただ王族に近しいからというだけで今の地位にあるわけではない。シトリンは彼を舌もよく回る男だと侮蔑の意味を込めた。
「でも、このままだとリズベットがきっと辛い思いをしてしまうわ」
「気持ちは分かりますが、いちど落ち着いてください」
いくら怪我が治ったとはいっても失った血液まで元通りではなく、彼女の顔色はひどく悪い。休ませなくては肝心な時に倒れてしまうかもしれなかった。
「いいですか、ソフィア様。証拠がなければ咎めたようとしても逃げられるだけです。彼らはネズミのように狡賢く、すばしっこい。捕らえるためには退路を断つための情報が必要なので……ここはひとつ、私に頼ってみるのはいかがでしょう?」
「あなたに頼るって……。たしかに神出鬼没だけれど……」
まだ不安が拭えず急ごうとするソフィアの手を取り、シトリンはくすくす笑いながら安心させるように優しく撫でる。
「いやあ、何百年か前にもローズ様の頼みで同じことをしたことがあるんですけど、こういうのって実は結構楽しいんですよ。誰かを演じるって」
周囲を満たす紫煙が、シトリンを包むように揺蕩う。ソフィアは自身の手に触れるごつごつとした感触に驚いてバッと振り払い、それから申し訳なさそうにしながらもムッとした顔で「驚かさないでよ」と呆れた。
シトリンのすがたは、いつの間にかさきほどの御者とそっくりになっている。いわゆる変身術というものらしい。
「どうです、このすがた──おっと、喋り方を変えておかなくちゃな」
「言いたくないけどすごく気持ち悪いわ、シトリンさん……」
ぽんっ、と変身術を解いてシトリンは口先を尖らせた。
「……ちょっと傷ついたかもしれません」




