第10話「贅沢な悩み」
強烈な期待のまなざしを向けられて、応えないわけにはいかないだろう。食事の席についてすぐ、ふたりは旅の馴れ初めから始まって今に至るまでの話をする。悲愴的な経験を経て、それらは思い出に移り変わり、街の灯りを見て共に旅をする誓いを立てたこと。ソフィアはすべてをリズベットというひとりの女性を英雄に見立てて嬉々と語った。
「──それから、私たちはこうして旅を続けて……女王陛下?」
「ぐすっ……あ、ごめんなさい。あまりにも良い話だったから」
涙を指で拭う。アニエスにはとても理解できないが、ソフィアがどこまでも深く暗い闇のなかにいたことは今の鳥かごの鳥と自身を例えるアニエスにはいくらか共感できるものがあった。リズベットがまるで英雄と称えられるのも納得がいく、と。
「そんな。大げさだって、アタシが先に助けてもらったからね? 命の恩人だったソフィアを助けたいって思うのは普通じゃないかなあ」
「ふふっ、リズはいつだって謙遜ばかりね。それでも私には英雄よ」
ある日にやってきた神の遣い、そんなふうにも例えられるとリズベットは赤面して「うう~」とうつむく。照れ隠しにぱくぱくと料理を次々口に運んだ。
「羨ましいなあ。私もシャルロット様やあなたたちのように、少しだけ自由に旅をしてみたいものね。まだまだ王城から出る機会も少なくて、少し前に隣国のリベルモントで国王陛下にご挨拶に行ったくらいなの。あのときは楽しかったわ、別にお土産を買って歩いたりしたわけじゃなかったけれど、この国とは違う文化に触れることはできたから」
ステーキをひと口頬張っても、表情は明るくなかった。
「私はこんなふうに贅を尽くした料理を当たり前に食べることよりも、かごの外にある自由が欲しい。でもそれだけは絶対に許されない立場なのよね。……私たちは似ているようで少し遠くて、なんだかちょっと寂しくなるわ」
わざとらしく肩をすくめて、女王というよりは普通の少女であるアニエスに、ソフィアは思わずぷっと噴き出す。
「不満はありそうね、少しまんざらでもなさそうに見えるけど」
「ええ、とっても。手入れされてても、毎日見ていたら庭園の景色も私には絵画を眺めるのと同じでいつかは飽きてしまう。次が欲しいと思っちゃうの」
彼女は自身の願いを「どんな願いよりもわがまま」だと呆れるように鼻を鳴らす。楽器を習うことも、詩を書くのも、刺繍も食事も庭園を眺めることさえ誰にでも出来ることではない。それらすべて当たり前として生まれたときから授かっているのだから。
「これ以上ないくらいの贅沢を言ってるって分かってるのよ。だからこうして、たまに誰かに聞いてもらうの。それだけでまた頑張れる。……それに、ほら。ちょっと照れくさいことを言うけれど、あなたたちと友達になれたから」
うっすら桃色に染めた頬を指先で掻く。ソフィアもリズベットも、彼女の言葉に優しく微笑んで返す。
「アタシたちも友達になれて良かった。手紙、絶対出すからね」
「あなたのように美しい心を持ったひとと繋がれて嬉しいわ」
「……あ、そうだ! ねえソフィア、良いこと思いついたんだけど!」
食器を置いて、テーブルにわずかに身を乗り出す。
「リズ、お行儀が悪いわ。きちんと座らなくちゃ」
「あ……はは、ごめん。つい勢いが」
「──でも奇遇ね。私もちょうど同じことを思いついたの」
水を飲んでからニヤッとする。ふたりの考えは一致していた。
「あ、あの。ふたりとも、良いことってなに?」
なにを考えているのか、アニエスには分からない。恐る恐る尋ねてみるもふたりは彼女に向き直って満面の笑みで「まだ内緒」と答えた。
「そっか……。あ、ねえ、ふたりはこれからどうする? 王城の中とか興味ある──わけないわよね、とくにソフィアは」
「フフッ、見慣れているといえば慣れているわね」
「アタシたちまだ観光の途中でさ、もう少し歩きたいかなって」
日が暮れるまで時間がある。せっかくオズモンドに地図へ書き込んでもらったのだから、せめていくつかには行っておきたいと伝えると、アニエスは親指をまっすぐ立てて、表情をキリッとさせた。
「ゆっくり遊んできて、良い部屋を用意して待っているわ!」
ほどなく食事を済ませたらソフィアたちはさっそく観光に戻ろうとする。陽が落ちきる前には戻ってくると約束をして、馬車を用意するとアニエスが気を遣ったが「歩きたいの、明日はお願いするかも」と今日のところは断った。
「またあとで会おうね、アニエス!」
「ええ、ありがとう。楽しみにしてるわ!」
軽いハグを交わしたあと前庭を歩きながら新たな友達に手を振って、リズベットは大きく伸びをした。
「ね、アニエスにはどんなアクセサリーが似合うと思う?」
「そうね。……薔薇の装飾が入ったものを探しましょうか」




