第6話「言葉の毒」
ソフィアの提案にリズベットの父親は黙ってしまう。彼女を見る目はいささか申し訳なさそうで、目の前にいる少女を貶すつもりがあったわけではないようだった。それでも彼の口から出た言葉は本人がいなかったとしても酷いものではあったが。
「……ふう、わかった。近くに人の出入りが少ないカフェがある、そこで話をしようじゃないか」
「ええ。ぜひ、お願いいたしますわ」
腹を立てたところで仕方がない。彼が咄嗟に口にしたことを反省するとソフィアには思えなかった。だから今は彼を否定するための時間が必要だと耐えた。
「自己紹介をしていなかったな。私はアゼル、リズベットの父親だ」
案内の途中、アゼルはソフィアを横目で見た。
「……ソフィア。話さなくていいよ、アタシたちを馬鹿にするだけだ」
「リズ、あなたの気持ちも分かるけどきちんと話をしなくちゃ」
落ち着かないリズベットを宥めて、呆れた顔をする。どれだけ毛嫌いしていても似ているところはあるものだ、と。
五分ほど歩いた先にあるカフェの前で足を止めたアゼルは、店の扉を押し開けて「入りたまえ、私の知人が経営しているから時間は気にしなくていい」と促す。
ソフィアはなにも気にせず入ったが、嫌がって睨みつけるリズベットに「先に入りなさい、お前の友人に恥をかかせるつもりか?」と窘めた。
「何話したって、アタシは帰らないからね」
ツンとした態度を崩さない彼女にアゼルは何も言わなかった。
適当なテーブル席を選んで向かい合うように座り、ただ話すだけでは迷惑だからとコーヒーを注文して届くまで無言の時間が流れた。
「……それで? お前の言い分から聞かせてもらおうか」
コーヒーをすすり、アゼルはリズベットへ視線を向ける。
「言い分も何も、アタシはもうコールドマンの家名を守るだなんて役目を背負う気はない。今も旅は続けてるし、ソフィアといっしょにいることが幸せなの。見下すのならどうぞご勝手に。……それだけだよ、何が悪いの?」
反抗的な態度を示す。父親の言いなりにはもうならない強い意志で。
「だから妹たちにすべてを押し付けてやった、と。醜い話だな、そのうえ他人の顔に泥を塗るのが好きらしい。あの日、お前がバーナム家との婚姻を破談にしてから私たちはどれだけ後ろ指をさされたと思っている? 娘の教育ひとつまともにできていない、出来の悪い姉がいる、そうして陰口を叩かれて私はもとかく、お前の妹たちは憔悴しきっているというのに自分は平気というわけか」
淡々とした口調でリズベットを責めるような言葉が並べられる。
「それ、アタシのせい? 違うよね、お父さん。ずっと言葉で押さえつけてきた相手に噛みつかれて、ただ腹が立っただけ。イレーナとアイリンだって今まで全部アタシに押し付けて、自分たちにいざ役が回ってきたらそうやって悪人を作って自分たちを悲劇の主役にでもしようって話じゃん」
一滴もコーヒーを飲まず、カップに触れさえしない。理解してもらおうとするだけ時間の無駄だと言いたげに「行こう、ソフィア。最低の気分だよ」と席を立とうとする。はじめてアゼルは厳しい口調で「座れ、話はまだ終わっていない」と告げた。
「これ以上何を話すの? アタシみたいな恥さらしなんていないと思えばいいだけなのに、どうして執拗にアタシを家に連れ戻そうとしてるのか分かんないよ」
「お前の紅い髪。長女である以外にも、それが理由だ」
カップが空になり、音を立てないようそっと皿に置く。
「ヴィンヤードは魔女の故郷からきた。我々は魔女と遠くはあるが血が繋がっていることを誇りに生きて来たのだ。その証明となる紅い髪をお前だけが受け継いだ。今のコールドマン家はヴィンヤードの血を守るためにある、つまり色濃い血を持つお前こそがヴィンヤードの系譜を守らねばならない。他のふたりよりも血の濃いお前が」
ヴィンヤードの血筋を誇りにしてきた彼らにとって決して絶やしてはならないもの。リズベットの妹たちは紅色の髪を受け継がず、リズベットだけが美しい色をしていた。彼女こそがヴィンヤードの血統を紡ぐに相応しい。そうしてある意味では大事に育てていたのも事実だった。
「だからあの子たちには自由をあげて、アタシには厳しくしたって? 馬鹿げてる。血が薄かったって、あの子たちもヴィンヤードの血を継いでる。だったらそれでいいじゃん。血統がそんなに大事だなんて、まるで犬みたいに言うんだね」
アゼルは彼女の言葉に初めて声を荒げた。
「言葉の選び方も忘れたか、リズベット!」
何年振りかに聞く彼の怒鳴り声に、リズベットは喉に何かが詰まったように言葉を失った。同時に冷や汗をかき、当時の恐ろしく思っていた父親のすがたがフラッシュバックする。立ち上がったアゼルは怯える彼女の腕を掴む。
「やはり教育をし直さねばな。お前のような馬鹿娘がよそでコールドマンを名乗っていると思うとおぞましい! 帰るぞ、愚か者が。妹たちに迷惑を掛けて恥ずかしくないのか。本当に必要な生き方というものを教えなおしてやろう!」
響く声が恐ろしかった。怯える自分が情けなかった。それでも勇気を振り絞って、リズベットは彼の手を振り払って「いやだ、帰らない!」と叫んだ。
これ以上は価値がないと判断したソフィアが割って入る。
「……リズ、ごめんなさい。すこしは話し合いで仲を取り持てればなんて考えたけど余計なお世話だったみたいね。──この方と話していると虫唾走って仕方ないわ」




