第5話「大事な首飾り」
仲睦まじく観光旅行の再開だ。途中で飲み物を買ってコーヒーを飲みながら、また手を繋いで歩いた。
「……驚きだわ、リズ。紙で出来たコップがあるなんて」
空になった容器を潰さずまじまじと見つめる。ソフィアが知っている頃には存在していなかった画期的な発明だ。衛生的に扱えて、そのうえ使い終われば捨てられるのだから。
「つい最近の話だよ。何年か前にお隣の国で試験的に使用したら大流行だったらしくて、今じゃあどこでも普及してるんだ。雑貨店に行けばたくさん売られてるよ。アタシたちもずっと列車で観光とは行かないし馬車に積むのに買っていってもいいかな」
そのうちウェイリッジに戻って馬車での移動に戻ったら、かならずどこかで馬を休ませたりしなくてはならない。そのときに水を汲んだりするのにあったら便利だ。リズベットが検討するとソフィアも同意見だと背中を押す。
「私の時代にはなかったものがたくさんで、どんな感想を言えばいいかもわからないくらいね。いったい誰がどんな生き方をしたら、こんなふうに世界が発展するのかしら」
どこを見ても世界は不思議だらけだ。自分の時代に取り残され続けたソフィアには、世界とはかくも魅力的なものなのかと期待を胸に抱く美しさが感じられた。ひとつ変わらないことがあるとしたら、人間そのものが持つそれぞれの価値観くらいだろう。
「そうだねえ……。ソフィアよりずっとあとに生まれたアタシでも正直言ってよく分かんないからね。考える能力があるひとは羨ましいなあ。──あっ! でもソフィアも天才のひとりじゃない? だって魔導書の複製品を独学でくみ上げたんでしょ」
「多少なりとも出来の悪い原本を頼ったのは事実だけれど」
「それでもすごいよ。アタシもそれくらいに──うわっ」
一瞬、顔を横に向けてソフィアを見ようとしたリズベットは前から歩いてきた誰かにぶつかってしまう。体勢が崩れてふらついたのをソフィアが背中に手を回して受け止める。「すみません」と謝って正面を向くと、ひとりの男がしかめ面をしながら服のほこりを払うように軽く叩いて小さなため息をつく。
「どこの誰かは存じ上げないが、周囲にはもっと気を配りなさい。転んでけがでもしたら責任なんて取れないだろう────リズベット?」
いつも不機嫌そうな顔。茶色く染めた短い髪。鋭い目つきをされてリズベットはびくっと怯えた。
「いつ王都に戻った。下らん旅とやらは終わったのか」
「お、お父さん……。終わってないよ、アタシまだ……」
完全に克服できたわけではない恐怖心に耐えながら言葉をひねり出す。だが彼女の父親は聞く耳など持っていないとばかりに言葉を被せた。
「ハッ。馬鹿馬鹿しい話は聞きたくもない。お前のせいで私たちはずいぶん顔に泥を塗られたものだ。……そのうち戻ってくるとは思っていたがちょうどいい、もう夢を見るのは終わりだ、さっさと帰るぞ。その安物の薔薇の首飾りはなんだ? みすぼらしい恰好なんぞしおって、コールドマンの恥さらしめが」
腕をつかまれ、引っ張られたリズベットは、彼の言葉にぐっと足に力を入れて動こうとせず手を振り払ってみせた。
「……なんのつもりだ、リズベット? 自分が何を──」
「うるさい。アタシにもう話しかけるな」
抱いたのは明確な怒り。生まれて初めて彼女は他人を鋭く睨む。
「なにも知らないくせにみすぼらしい? アタシのことをいくら見下したって良い。馬鹿にしたって良い。でも──この首飾りのことは絶対誰にも言わせない。たとえアタシの父親だったとしてもソフィアのこと悪く言う奴は許さないから!」
ふたりでモンストンを訪れたとき『お揃いが欲しくなったのよ。せっかくいっしょに旅をするんだもの、絆の証明みたいなものが欲しくて』そう言ってソフィアがリズベットに選んだものは、彼女を心から喜ばせた。それほど長い付き合いでもないうちから自分を強く信頼してくれる想いは、そのときはっきりと口にはできなかったが、これまででいちばん嬉しかったことだ。
シャルルと再会できたことよりも、魔女であるローズと繋がれたことよりも、ずっと嬉しかった大切な思い出のひとつだ。怒らないはずがない。
「下らんことを。ソフィアとは隣にいる娘のことか?」
「その通りですわ、コールドマン伯爵」
今にも噛みつかんばかりの勢いがあるリズベットの前に出て「落ち着きなさい」とソフィアは優しく声を掛けてから、眼前にいる男に丁寧にお辞儀をする。
「初めまして、私がソフィア・スケアクロウズと申します。……場所を変えて少しだけでいいのでお話をいたしませんか? ここでは多くの目もありますから」




