エピローグ『正しい方向へ、正しい方法で』
────朝日が昇り、窓から差し込む陽射しに目を覚ます。
「んん、むにゃ。ソフィア、こっちに美味しそうなパンが……」
「楽しそうな寝言ね。どこを旅してるのかしら?」
隣で眠るリズベットを見てホッとする。すべてが変わったとはいえ、ソフィアに刻み込まれたトラウマはそう消えるものではない。
朝目覚めたらすべては夢で泡のように消えてしまい、自分はつめたい城の中で目を覚ますのではないか。そんな恐怖がいつもあった。そのたびに隣にいてくるリズベットが、彼女の緊張を解して包み込むように癒してくれた。
「……ありがとう、リズ。ちょっと散歩をしてくるわね」
優しく頬を指で撫でてから静かに部屋を出て行く。自分がいたときよりもずっと城のなかは温かい。ローズのように本物の魔女であれば、ここまでのことが出来るのかと感心しながら、思い出を辿るように廊下を歩いた。
「おや、もう起きたのか? もう少し寝ていればよかったのに」
「魔女様。おはようございます」
「堅苦しいな……。もっと気楽に呼んでくれていい」
「ではローズ様と。それくらいは許してくださいますよね?」
「……わかった、好きなようにしてくれ」
言っても聞かないだろうと諦めたローズは肩を竦める。
「シャルル様はまだお眠りになられているんですか?」
「ああ、だから私も気分転換に散歩をと思ってな。どうだ、いっしょに」
「それは嬉しいお誘いですわ。ぜひごいっしょさせてください」
広い城内を歩き、すっかり手入れの忘れ去られた中庭に出る。草木は枯れ、落ち葉が風に流されている。かつてはそこでお茶会でもしたのだろうテーブルと椅子が寂し気に置かれたままだ。「すこし座ろうか」と言われて、椅子に乗った枯れ葉を手で払いのけて「どうぞこちらへ」ソフィアは椅子を手で指す。
「別に気遣わなくて良かったんだが……まあ、ありがとう」
「いえ。やはり中庭はすこし寒いですね」
「ここで飲む温かいコーヒーは美味かっただろうな」
「私も小さい頃はよくここに来ました。春には花も咲きましたから」
手入れの行き届いた美しい庭だったと彼女は語り、嬉しそうにする。
「ヴェルディブルグの王城もなかなか負けていない。庭師がいなければとても触れられないものだ、ありがたく思わないとな」
「ええ、本当に。気の良い方ばかりで皆の顔を覚えています」
庭師たちはいつでも手入れに情熱のすべてを注いでいた。気に入らないと言われることもあったが、それならばと奮起して次は納得のいくものに仕上げてみせる腕の良い職人気質な者ばかりで、ソフィアは彼らが汗水を流して働くすがたを何度か『羨ましい』と思ったことがある。それだけの情熱を自分も何かに注いでみたい、と。
「そうかそうか……お前は本当に真面目で良い娘だ。それで、今はリズベットとの旅に情熱を注いでいると?」
「はい。とても、これ以外には考えられないくらいに」
これから先、同じだけの情熱を注げるものなど他にありはしないだろう。幸せだと言葉にするよりも、ずっと幸せだった。
「フッ、そうか。それは実に素晴らしい。……ここでの私の用は済んだ、銀細工のことはもう任せておけ。偶然とはいえレナードの依頼を果たせた今、誰かに頼るつもりもない。ただ、魔女の代理としての仕事は頼んでおくことにしよう」
行く先々であれこれと巻き込まれることの多いローズは、彼女が継続して引き受けてくれることを望んだ。なにかあったとき彼女がいれば自分の負担が減るからだ。当然、ソフィアがそれを断る理由はなく「喜んで」と返事をする。
「シトリン、帰るぞ。シャルルを起こしたら出発だ」
いつの間にか彼女の傍にはシトリンが立っている。わずかに驚くソフィアに「お話は次の機会に。また会うこともあるでしょう」ニコリと笑って言った。
(お父さん。私は今でも魔導書を盗んだことは許していない。ううん、許してはいけないと思ってる。でもすこしだけ考えの変わったことがある。みんなの重ねて来た過ちは私が少しずつ清算していけばいい。正しい方向へ、正しい方法で)
できることは限られているかもしれない。誰かに後ろ指をさされるかもしれない。『あのスケアクロウズが何を生意気な』と、そう思われるとしても彼女は決して歩くのをやめないだろう。手にした自由と共にみずからの罪を抱きながら、いつかその身に訪れる最後の日までなにがあっても正しく在ろう、と。
「ソフィア、どこにいるの? アタシを置いてかないでよ~」
どこかから彼女を探す声がする。リズベットだ。椅子から立ち上がり、スカートのしりについた砂を軽く払う。
「はいはい、今行くわ。置いて行ったりしないから安心しなさい」
──すべての過ちの歴史が始まった地で、ある日、すべてを正しく塗り替えていく物語が始まった。冷たい風が吹いた日に寒く閉ざされた世界は崩れ、春のような暖気に満ちた世界が希望を連れてやってきた。
少女はこれからも物語を紡ぐだろう。誰よりも愛する者と共に。




