第60話「どこまでもいっしょに」
ひとしきり泣いたあとは、城で夜を過ごすことになった。ローズが集めて来た銀細工は城の地下室に放り込んで厳重にいくつもの鍵を掛け、ソフィアの荊がへばりついて誰の侵入も許さない開かずの部屋と化す。
空いている部屋はいくつもあり、ローズは「また明日、あとはゆっくり過ごせ」そう言い、シャルルと適当に広い部屋を選んだ。
「ね、アタシたちもいっしょの部屋にする?」
別々でも構わなかったが、しばらく旅をするうちになんとなくそれが自然のように感じた。気を遣ってリズベットは「それとも今日くらいは別でやすもうか」と提案する。彼女がさんざん泣き腫らした目をしていたので心配はしたが。
「いいえ、いっしょの部屋にしましょ。……いつもより独りが嫌なの」
「……そっか。じゃあ広い部屋に行こうよ、景色がいい場所!」
しばらく帰らなかったとはいえソフィアにとって城の内部は慣れ親しんだ場所だ。「こっちよ、最上階にも部屋があるの」とリズベットの手を引っ張った。案内したのはかつてレナードが書斎として使っていた部屋で、ソフィアがひとりになってからは改装して寝室になっていた。森のむこうをどこまでも見渡せるのが、お気に入りだった。
「わーっ、きれいだねえ。見て、町の灯りまで!」
「ええ。ときどきここへきて眺めたものだわ」
きっと永遠に触れることのない世界だと諦めていた場所を遠くから寂しく眺め、いつまでも憧れていた。今はすっかり、その夢も叶って幸せな日々を過ごしている。持ってきたオルゴールと手紙を、ぎゅっと強く抱きしめて嬉しそうに微笑む。
「あなたに会ってから本当に幸せの連続よ、リズ。あの日、結界が壊れたときからずっと……。なんてお礼を言えばいいのかしら」
「んー? ふふっ。気にし過ぎだと思うよ、アタシは」
いっしょに窓のそとを眺めるソフィアの頬を指先でやんわり突く。
「これはアタシのおかげなんかじゃないんだよ?」
「……そうかしら。でも、ここから出られたのは──」
「君が何百年もここで耐えたから、アタシと出会えた」
抱き寄せて、ぽんぽんと頭をなでる。
「いつも助けられてばっかだけどさ、今日くらいはアタシに甘えてよ。こんなに頑張ったんだってわがままを言ってみて。そしたらこう言ってあげる。『本当によく頑張ったね、ソフィアはすごくえらいよ』って褒めてあげたいんだ」
抱きしめるリズベットから伝わるぬくもり。優しいせっけんの香りに、どこか懐かしさを覚える。──ああ、これはきっと記憶の奥底に眠っていたものが呼び起こされたんだと理解した。あの日、産まれて間もない自分を抱いてくれた優しさだ、と。
『かわいい子。ねえレナード、アタシが名前をつけてもいいかな』
『なんだっていいさ、お前の付ける名前ならきっと良い子に育つはずだ』
『うーんとね、じゃあ……今日からアンタはソフィアよ、良い名前でしょ?』
ぼんやりと記憶に刻まれた幼子の思い出。消え去るはずだった光景がフラッシュバックしたとき、レナードの願いは叶った。彼女は聞いたのだ、その瞬間に声を。見たのだ、その動くすがたを。愛する母親を初めてみたときのことを。
もう我慢はできなかった。少女はわんわんと声をあげて泣いた。産まれたばかりの赤子のように、母親にすがりつくように。
「私ね、すごく頑張ったのよ。ずっとずっとここで待ってたの、誰かが来るのを! 本当に頑張ったんだから……誰も私に気付いてくれなくて、本当に寂しかった! 灯りは見えてるのにここは真っ暗で、私ずっとずっと……!」
誰かに自分の私欲のために迷惑を掛けてはならない。いや、それ以上に城から出たとして自分にはどうやっても生きていく手段が思い浮かばなかった。だからリズベットが現れたときも彼女を帰らせようとした。巻き込んではいけない、と。
それでも彼女は帰らなかった。それどころか言ったのだ。
『行こう、ソフィア。アタシが、君の知らない世界を見せてあげる』
どんなに満たされただろう。どんなに希望を抱いただろう。冷たく幽閉された世界の扉は壊され、光差すほうへ手を引いてくれる者の温かい言葉にどんなに救われたことだろう。これが夢でありませんようにと祈りながら、その日彼女は檻から飛び出した。
「よしよし、かわいい子。アタシがずうっといっしょにいてあげるからね。……まあ、アタシも頼りにしちゃうときはあるけど、きっと大丈夫よ。だって最高の親友だもん、どこまでだっていっしょに行ける。アタシはそう誓える。君は?」
抱きしめる腕のなかから顔をあげて、少女は屈託のない笑顔を浮かべる。泣きじゃくって濡れていて、月明かりが涙の跡を光らせた。
「誓うわ、リズ。私も、あなたとだったらどこまでだっていっしょに行けるから」




