第59話「魔法の遺物」
──すべての始まりは、アリア・ブリンクマンとの出会いからだ。たまさかさほど興味もない酒宴に呼ばれて足を運んだレナードは、自身と似たような境遇で呼ばれたアリアにひとめぼれをする。どこにでもある、ごく普通の恋だった。
最初こそぎこちない会話しかできず、レナードはスケアクロウズが代々にわたって趣味としてきた価値ある品の収集でさえ忘れて彼女との会話に時間を注ぎ続けた。何をすれば喜ぶのか、何を言えば笑うのか。ありふれた他愛ない話のほうが好きそうだとわかってからは時間を彼女のために割き続け、やがて彼の恋は成就することとなる。
アリアは気立ての良い女性で、いつでも周囲を楽しませてくれた。距離感のあった従者たちとも打ち解けるようになり、子供もすくすくと育った。末娘であったソフィアを気に入ったレナードはいっそう可愛がったのを思い出したと綴る。
『なぜだ、と思わずにはいられなかった。ある年の冬、いつもより寒さが身にしみた頃にアリアは流行り病に侵され、命を落とした。まだ幼いお前を残して。スケアクロウズ家の間違った歴史はここから始まった、と言ってもいい。いや、それ以前からスケアクロウズ家は手段を選ばず古物収集に手を出していて、私が知る頃には到底褒められた家門ではなかったが。しかし、私にとっては些細なことだった』
過ちがあったのなら正して行けばいい、そうアリアに言われて真面目に生きようとしたレナードは、吹雪の寒さも感じないほどに冷え切ってしまっていた。最愛の妻であるアリアを失い、その身に想像を絶する悲しみを背負ってしまった。
傷心ののち、彼はひとりで旅をする。育った我が子たちや従者に管理を任せて、すこしでも前を向くためにだ。その行いが彼の運命を大きく変える。魔女と呼ばれ世界を旅する女性──通称レディ・ローズ。彼は偶然にも見かけ、そして思い出す。魔女とは魔法を使いあらゆる奇跡を起こす存在であると遠い昔に聞かされたことを。
あらゆる人々に恩恵を授け、邪悪と認めたものには容赦しない存在を。
『正直、期待した。彼女ならば失った妻を取り戻せるのではないか。しかし彼女は私に言ったのだ。〝死者をよみがえらせることは出来ない〟と』
愚かにも内心で彼女を憎み、彼は魔導書を掠め奪う計画を立てて実行する。気付かれないように、忍び寄る蛇のように目を光らせて。
『魔導書を開いたとき、あるひとつの魔法が使えた。私には、その才能があった。いや、スケアクロウズ家の誰もが微弱ながらに使えた。それともあるいはアリアが残した奇跡だったのかもしれない。あとで知ったことだったがアリアの家系は魔女と同じ血統を持っていたから、近くにいた私がどう影響を受けたのかは知らないが、少なくとも子供たちが使えるのには理由があったのだろう』
後年、その才を最も発揮できるのはソフィアとなる。このときレナードはアリアを生き返らせたい一心でひたすら研究に没頭し続けた。息子たちは典型的なスケアクロウズ家としての血を引いており、魔法が使える銀細工を創り出しては金払いのいい貴族と取引をするなどしていたが、彼にとってはやはり些細なことだった。
過ちはあとで正せばいい。いつかアリアがスケアクロウズ家に舞い戻る日さえ来たら、あとはどんな苦労をしても構わないと。なにより年々母親に似てきたソフィアをみるたびに『この子には母親が必要のはずだ』と強く想うようになった。
無愛想で口下手な父親よりも天真爛漫でだれにも好かれるアリアが。
『お前にひと目会わせてみたかった。声を聞かせてやりたかった。城のなかに閉じ込め続けていたことは悪かったと思うが、お前を蔑ろにしたつもりはなかったんだ。それだけは理解してほしい、心からの謝罪を記す。すまなかった、ソフィア』
いつだって娘のことは気に掛けていた。無愛想に振る舞い魔法に拘り続けた邪悪はいまさら後悔しても遅すぎると、紙には何かの滲んだあとがあった。
『お前だけは、きっと真面目で良い娘に育っているのだろう。私は妻と同じく病に侵され、この余命も知れている。できればお前を自由にしてやりたかったが、それは叶わなかった。他の子らは私が向き合わなかったばかりに金品や古物に卑しくなり私を死ぬまで監視して、お前を永遠に放さないつもりだ。スケアクロウズ家でただひとつの良心が邪魔で仕方ないが、かといってお前を敵に回せはしなかったから』
結局、そうまでしてもスケアクロウズ家が存続するには至らなかった。彼らの悪しき行いは次第に許容の範囲を超えていき、魔女から与えられた機会さえふいにしてしまったから。そのせいでソフィアが半永久とも思える時間のなかに取り残されてしまうと予見していたレナードは、死を間近にして息子たちの目をいちどだけ欺き、ローズに最後の手紙を託すため城へ呼んだのだった。
『どうかこの手紙は開かずに、いつか我が娘に会うことがあれば渡してほしいという願いは、彼女ならばきっとやり遂げてくれていることだろう。世界のあらゆる人々に授けられる恩恵は私にもあった。オルゴールはもう聴いただろうか。今は息子らのおかげでどこにあるか分からず、魔女にも探しようがないというが、きっと彼女ならば見つけてくれているに違いない』
少女のすすり泣く声だけが部屋に響く。手紙はくしゃくしゃになり、彼女の頬には大粒の涙がいくつも流れた。遠い過去を生きる心から敬愛した父の想いを抱いて。
『死んでゆく私からの最後の贈り物だ。もし聴いていないのなら、どうかいちどだけでいい。私の力作なんだ、アリアにも聴かせてやりたいと思ったほどの。長々と書き連ねられていて読むのも疲れたかな? 最後にひとつだけ伝えておきたい。心から愛している、ソフィア。私はひと足先に天から見守っていることにしよう。どうかお前にも幸せが訪れますように』
────娘に嫌われている父親より。いつも無愛想でしかない印象の強かった父親レナードの手紙は、最後に冗談めかした書き方で締めくくられていた。




