第58話「託されていたもの」
悪魔、と聞いて動揺しない人間はいないだろう。聞きたいことは山ほどあったが、シトリンは尋ねられる前にはっきりとひとつだけ告げた。
「ローズ様がスケアクロウズの城でお待ちです」
「え、いや、あの! 待ってよ、シトリンさん!?」
名乗っておきながら大して説明する気もなさそうなシトリンにリズベットが呼びかけるが、彼女は無表情のまま「チッ」と強めの舌打ちをしてから「あとで教えますので、今はついてきて頂けますか」と彼女たちに手を伸ばす。
「リズ、落ち込まないで。悪気はないはずだから」
「悪気のない舌打ちってなに……?」
気持ちが暗いままシトリンに従って延ばされた手に触れる。
「ではおふたりとも目を瞑って頂けますか。空間を跳躍いたしますので、目を開けるとひどく酔うかもしれません。──あと純粋に見たくないものが見えてしまうかも」
いったいなにがとは尋ねなかった。シトリンが言うと嘘には思えなかったし、好奇心に負けて後悔をする程度で済むのかどうか不安になったからだ。
ほんの十秒ほどの浮遊感があって、地に足をしっかりつけた感覚が戻ってきてから目を開けるよう言われる。気候的に寒さの厳しい場所にいきなり頬を叩かれた気分になり、からだはぶるっと勢いよく震えた。
「さ、さむっ……! な、なにか羽織るものは!?」
「すみません。ここがとても寒いの忘れてました」
震える彼女たちを横目にシトリンはまったく平気そうにする。
「どうぞ、城のなかへ。たぶんローズ様が何か対策はしてるはずです」
門が開かれる。帰ってくることはないと思っていた場所は、ソフィアが去ったあとの寂しさを伝えるかのように軋み泣いた。
「あ、中はあったかいね。魔女様のおかげかな?」
「ええ、本当に。でもどこにいるのかしら」
ふとコーヒーの香りがする。誘われるように歩き、辿り着いたのはソフィアがリズベットと旅に出るまで毎日のように使っていた部屋だ。
「ああ、ずいぶん早い到着だったな」
紅い髪がふわっと揺れる。深碧の瞳がふたりを映す。
「もうすこし時間が掛かるかと思っていたが、先に待っておいて正解だった」
窓辺で外を眺めていた女性が振り返る。
「ええ? 思ったよりはやくつくかもって言ってたのに」
「……余計なことは言わないでいい、シャルル」
ほのかに赤面してコホンと咳ばらいをして、開いていた本を閉じた。
「ローズ様、私はもうよろしいですか?」
「ああ。ご苦労だったな、シトリン」
仕事を終えたシトリンはソフィアたちにフッと笑いかけて「では、またのちほど。私のことが知りたければですけれど」そう言い残して、影に溶けるように消えた。
「さて、では本題だ。とりあえず座ってくれ、疲れただろう?」
彼女がパチンと指を鳴らすと、その先からふわりと紫煙が舞って部屋のなかにソファがぽんと現れる。「大して高級なものは出せないんだが我慢してもらえると助かる」苦笑いを浮かべてローズが言い、ふたりは首をぶんぶん横に振った。
「とんでもありませんわ、魔女様。じゅうぶんすぎます」
「というかこれ魔法で作ったんですか、すごいですね……」
褒められてローズもすこしだけ鼻を高くする。
「ま、長いこと魔女をやっているとこれくらいはできるさ」
彼女は空いていた椅子を自分の席の傍に持ってきてシャルルにも座るよう促し、全員が席に着いたのを確認してから本題の話を始めた。
「まずはひとつ目の回収ご苦労だった。まだ数はあるが、呼んだのはほかでもないソフィアのことだ。そのオルゴール、もう聴いたんだろう?」
「……はい、懐かしい歌を思い出すものでした」
ソフィアの答えに彼女はひとつ頷いて魔導書を開く。挟んでいた一枚の便せんを取り出して、テーブルのうえに差し出した。
「レナードが病で亡くなる直前、私を呼んでひとつ依頼してきたことがある。もし、ある人物と出会うことがあればこれを渡してほしいと託されていたんだ」
急いで手紙を受け取ったソフィアは何も言わず開いて、懐かしい字を見つめて口を開いたまま呆然とする。何百年ぶりかにみる、父親の字だった。
『最愛なる娘へ。これを読んでいるならば、お前はレディ・ローズに出会えたのだろう。我が罪について赦しを乞うつもりはない。ただ書き留めておきたくて、お前に手紙を遺すことにした。妻であるアリアのこと、そして私のこと。いまさら後悔しても意味のない話を。どうか最後まで読んでほしい』




