第57話「オルゴールの子守唄」
明確な敵意のまなざし。ガリーニのからだを縛り上げる荊がいっそうきつくなっていく。下手をすれば骨まで折りかねない限界ギリギリに彼は「ゆ、許してくれ! 俺が悪かった、オルゴールも返す! ほら!」と指を広げる。
しかしそれでも荊は緩まない。リズベットが「ソフィア、だめだよ」と言わなければおそらくは本当に骨を折っていたに違いない。彼女は我に返ってオルゴールを手に取り、ぎろりと睨みつけて「運が良かったわね」と突き刺すように言った。
「人が来るまでそうしていなさい。そういえばたらふくお酒を飲んでいたかしら」
くくっ、とソフィアは悪意のある笑い方をする。
「私は歳を取ることが悪いとは思わないけれど、あなたみたいに馬鹿になってしまわないように気を付けておかなくちゃ。それじゃ、せいぜい寒いなか頑張って耐えてちょうだい。みんなの前で恥を掻くことになるかどうかはあなた次第よ」
必要なものを手に入れたあとは、助けを懇願するガリーニの声を無視して立ち去る。リズベットはいちどだけ振り返ったが「自業自得なのだから放っておきなさい。あとのことは村のひとたちに任せましょ」と言われて「そうだね」と気にするのをやめた。
「ねえ、ところでそのオルゴールってどんな魔法が掛かってるの?」
「さあ。私もよく知らないのだけれど……そうだ、鳴らしてみましょう」
どんな魔法が掛かっていてもソフィアには影響がない。リズベットには何かしらの効果があるのかもしれないが、それも問題なく対処できるだろう。ぜんまいを回してみると、きれいな音楽が奏でられる。不思議と穏やかな気持ちになり、リズベットは「きれいだね」とつぶやく。それからハッと気付く。
「あ、ねえ。アタシの怪我、全然痛くないかも。このオルゴールって、もしかしたら癒しの効果があるんじゃない?……あれ、ソフィアどうしたの?」
流れるメロディーにソフィアは歩くのをやめて聞き入っている。心を奪われたように立ち尽くし、リズベットが何度か話しかけると消え入るような声で言った。
「……子守唄だわ、父がよく歌っていた」
幼い頃、母親のいなかったソフィアは父親に愛情を注がれていた。魔導書を手に帰って来るまでは、本当に娘を溺愛するだけの父親だったのだ。
『眠れ、良い子よ。お前の寝顔に天使は惹かれ、神も微笑んでくれている。月がまんまるのぼる頃、穏やかに愛の光は注がれている。ゆっくり、ゆっくり、眠れ良い子よ』
優しい声色の父、レナードのことを思い出す。ずっと毛嫌いしていただけのスケアクロウズ家で、たったひとつの〝心地良い時間〟がよみがえった。
音楽が止まり、ソフィアはうつむく。
「私ね、スケアクロウズ家のみんながきらいだった。魔法をお金儲けの手段にしか使っていなかったと思ったし、父は魔導書を盗んできた張本人だったから。もちろん今でもきらいだし許すわけじゃないけれど……なぜかしらね、今だけは寂しい」
ただひたすらに寡黙だったレナードの気持ちなど汲み取れるわけもなく、腹を割って話したこともない。彼は机に向っていつもペンを握りしめて朝から晩まで研究に没頭していたし、ソフィアも取り合ってもらえないとわかっていた。
そのせいか、今になって初めてレナードの心に触れた気がしたのだ。
「なんにも話してくれなかったくせに、こんなものを作ってたなんて」
ふいに目から涙が溢れる。彼女は父親さえいてくれればよかった。母親がいないというのは人生において大きな傷跡になったかもしれないが、優しくしてくれた父親のすがたは、とても心に残るほど愛していたから。
頬を涙が伝い、ソフィアはそっと指でぬぐう。
『おや、思っていたより早かったですね』
突然、彼女がローズからもらった紅い宝玉の指輪が強く輝く。彼女の涙に触れたからなのかは定かではなかったが、宝玉の周囲を紫煙が大きいかたまりとなってふたりの前に漂い、ぱんっ、と弾けるような音を立てて消える。
「申し訳ありません、驚かせてしまったようですね」
はじけ飛んだ煙のなかから現れたのは、ケトゥスの町で観光を共にした新たな友人であり、ローズの侍女だと名乗ったシトリンだった。
「あ、あなた今どこから出て来たの?」
「どこって指輪ですけど。……あ、失敬。これは申し遅れました」
メイド服のスカートの裾をつまんで持ち上げながら小さくお辞儀する。
「では改めて自己紹介をさせていただきます、リズベット様、ソフィア様。私はシトリン・デッドマン。──レディ・ローズと契約を結ぶ悪魔にございます」




