第56話「覚悟しなさい」
村はずれの森へ魔法で手のひらに小さな火を灯しながら歩いていく。ガリーニの拠点ではテントの周囲にかがり火があり、よく見えるよう照らされている。
「ここからは灯りも必要なさそうね」魔法を使うのをやめてひと息つく。リズベットに「疲れてない?」と尋ねられて彼女はやんわりと首を横に振った。
「全然問題ないわ、ちょっと疲れはしたけれど」
ローズのおかげで魔力の消費を大きく抑えられているが、それでも長時間にわたって使用し続ければ肉体への負荷はそれなりになる。しかしガリーニを捕まえなくては終わらない。ここで足を止めて休むわけにはいかなかった。
もし彼に気付かれて逃げられでもしたら大問題だ。
「絶対にここで彼を逃がすわけにはいかないの。せっかく見つけたオルゴールまで持ち逃げでもされたら、また魔女様に迷惑がかかってしまうでしょう?」
既に多くの銀細工が世に出て、その場所をすべてローズが掴んでくれていたのだ。費やされた時間を想像するだけでも頭を抱えたくなりそうな話に、ソフィアの強い決意が満ちた言葉が静かに響く。
「……うん、わかった。でも回収したらゆっくり休もうね」
「ええ、約束よ。心配をかけてごめんなさい」
リズベットは彼女があまり疲れていないふりをしているのに気付いている。額には汗が滲んでいるし、呼吸もいくらか荒い。ごまかしているつもりでも、ソフィアを襲う疲労は相当なものなのだろう。謝られて悲しそうな顔を向けた。
「アタシがもっと役に立てれば良かったんだけど」
「気にしないで。ほら、最後の仕上げにいきましょ?」
テントのなかではガリーニが部下を待ちながら気分良さそうに鼻歌をうたっているのが聞こえてくる。腹立たしさと馬鹿馬鹿しさにソフィアはくすっと笑ってリズベットの手を引く。静かにテントへ近寄って、そっと入り口をくぐった。
「おいおい、なんだ? もう終わったのか、仕事がはやいな!」
なかではガリーニが酒の詰まった瓶を片手にひとり愉快そうに頬を赤く染めていたが、彼は声を掛けてすぐにソフィアを視界に入れて酔いも覚めるほどぎょっとした。
「あっ、お前は……! どうしてここにいやがるんだ!?」
「それはこちらのセリフね、ガリーニ。どうしてここにいると思う?」
小馬鹿にして鼻を鳴らす。ソフィアは彼を視界にすら入れたくない気持ちだ。
「あなたの大切なお友達が全部喋ってくれたわ。……逃げられると思わないで、素直に膝をつきなさい。そうしたら痛い思いはせずに済むかもね?」
酒瓶を叩きつけて悔しそうに歯を咬むガリーニは、ふと机のうえに視線をやった。咄嗟に手を伸ばしたものにソフィアは即座に反応できない。腕を伸ばして魔法で荊を振るおうとしたが、彼はオルゴールを手に掲げて叫ぶ。
「動くんじゃねえ、こいつをぶっ壊すぞ! 要るんだろ、これが!」
彼女たちの動きがぴたりと止まる。存在していては困る代物であるのも事実だが、まずは無傷でローズの元へ運ばなくてはならないとふたりで決めていた。それになにより、ソフィアは『使い道があるから、もし手に入ったらお前が管理をしてくれるとありがたい』と伝えられている。壊されるわけにはいかなかった。
「おうおう、理性的でいいじゃねえか。どんな手を使って聞き出したが知らねえが俺は捕まる気なんかねえ、そこを退け。でないと叩きつけて壊す。はやくしろ!」
ふたりをわきに退かせて彼はニヤニヤしながらテントをでようとする。左右に立つリズベット、それからソフィアに視線を向けて舌を出して「残念だったな、お嬢ちゃん。歳は取っとくもんだぜ」と馬鹿にして大きく笑う。
勝ち誇った彼は油断していたのだろう、一瞬だけリズベットに背を向けた。その瞬間、彼女は銀細工を奪い取ろうとして飛び掛かっていく。
「このおっ! そいつをこっちに渡せっての、おじさん!」
「ぐああっ、このガキ!? なにしやがるんだボケが!」
腕にかみつき、ガリーニの姿勢がわずかに崩れて手からオルゴールを落としそうになる。しかし指に力を込めて離すまいと抵抗した彼はすぐにリズベットともみ合いになって彼女の頬をおもいきり叩いて突き飛ばす。
「ちくしょう、調子にのりやがって、このアバズレが────」
怒りに任せ、手にもったオルゴールを凶器に殴りつけようとした。だが彼は気付く。首や腕に、いつの間にか荊が絡みついている。銀で出来た頑丈で振りほどきようのない荊が。背後からは冷たい言葉で「そこまでね」と吐き捨てられる。
「リズ、大丈夫? 口に怪我を……」
「ちょっと切っただけだよ、平気。それより捕まえられて良かった」
銀細工は手から離せないよう無理やり仰向けにして、ソフィアはリズベットの心配をする。彼女は口の中を切っていたが、ソフィアに比べれば大したことではないと強気に言ってみせる。実際、魔法での疲労がさらに重なっているからだ。
しかし、もうソフィアの気持ちはそれどころではなかった。立ち上がって身動きの取れない動揺するガリーニを睨みつけ、彼女は冷酷に言い放つ。
「私の大事なひとに手を出して、ただで済むと思ってないでしょうね?──覚悟しなさい、ガリーニ・ウォレス」




