第37話「もうひとりの魔女として」
まったくローズの言葉が入ってこないまま、リズベットとソフィアは後をついていくだけだ。気を使って他愛ない話でもしてくれたのだろうが、緊張と嬉しさに短期的な記憶はあっという間に塗りつぶされてしまっていた。
ようやくハッと我に返ったのはローズの部屋に着いたときだった。
「あまり広い部屋は取らなかったんだ、ベッドにでも座ってくれ」
彼女の言葉に従って、ふたりは並んで座る。
「うむ、ではまず改めて自己紹介をしておこう」
窓際にあるひとり掛けのソファでくつろぎ、彼女は言った。
「私がローズ・フロールマンだ、世間では〝紅髪の魔女〟と呼ばれている。とはいえただ長生きしているだけの人間でしかないから、気を使わなくて構わない。お前たちの名前は……ああ、そう。そっちの私と似た髪色がリズベット、銀髪がソフィアだな」
リズベットが即座に「知ってるんですか?」と尋ね返す。
「こいつがエドワードからの手紙を運んで来たんだ」
彼女が目線を送ったのは、窓の傍でのんびりしている鳩だ。ふたりはウェイリッジを馬車で走っていた時に手紙を運ぶ鳩を見かけたのを思いだす。
「たしかウェイリッジではシャルルと話をしていたんだったか。あのときは用があったから急いでいてな、邪魔をしてしまって悪かった。それにこんな遠い場所まで」
彼女が謝罪を口にすると、ソフィアはぶんぶん首を振った。
「そんなことありませんわ、魔女様。私たちはこうしてあなたにお会いし、言葉を交わせることにどれほど喜びを感じたことか……!」
これはソフィアの夢であり、リズベットにとっても光栄極まる出来事だ。魔女ローズは優しさに溢れているが、ちまたではあまり他人を寄せ付けない性格とも聞いたことがあったので、やはりどこかに不安はあったのだろう。拒絶されるかもしれない、と。
「大げさなやつだな。……さて、リズベット。実はシャルルがここから近い浜辺で私の従者と魚釣りでもしているだろうから、探して呼んできてくれないか?」
「えっ、あ、はい! すぐに探してきます!」
ウェイリッジではゆっくり話す機会を得られなかっただろうとローズは気を使い、リズベットに探しに行かせる。そして部屋にはソフィアとふたりきりになり、恥ずかし気に俯く彼女をほほえましく思いながら声をかけた。
「あまりスケアクロウズの血を引いているようには見えないな」
ドキっとしてソフィアは顔をあげ、とたんに青くなる。
「も、申し訳ありません……。魔女様にとっては顔も見たくないであろうとは思いました。けれど、あなたに伝えたいことがあって、その……!」
心臓が膨らんで破裂しそうな気分だった。今にも冷ややかな視線を向けられるのではないか。自分のせいで彼女を不快にさせてしまったのではないか。どきどきして、リズベットが傍にいてくれたらと思わずにはいられなかった。
しかし魔女がソフィアに向けたのは、そんな感情とは程遠い言葉だ。
「モンストンでの仕事ぶりはもう知っている。よく取り返してくれた、こうして直接会って礼を言えるのは喜ばしいことだ。……ソフィア、スケアクロウズの名を継いでいるのが、お前のような人間で良かったと心から想う」
憧れの存在。希望の光。ソフィアの願いのすべてが詰まったような女性から贈られた言葉に、彼女は泣きそうになるのをグッとこらえた。
「あ、あれは……その、スケアクロウズが生み出した負の遺産です。取り返すどころか、あんなものが出回ったことにどう謝罪をしたらいいのか」
「だからこうして手伝いに来てくれたんだろ」
言われてソフィアは「それはそうなんですが」と頬を赤くして俯く。
「薔薇の銀細工の在り処は私のほうで突き止めている。残りも早急に回収したいが、いささか手間取りそうなんでな。いくらか手分けして集めてもらえると助かるんだが──その前に、お前がさっき言っていた『伝えたいこと』から聞かせてもらおう」
ただ銀細工を回収したり、魔女に会うだけのためにリズベットと旅を始めたわけではない。彼女の傍にいて広い世界を見て回りながら、自身が今日まで生きてこられたことへの感謝を伝える目的があった。
緊張に何から話したものかと頭を巡らせて、こほんと咳払いをする。
「まずはこれを見て頂けませんか、魔女様」
差し出したのはボロボロの本。いつ散らばってもおかしくないような擦り切れそうなほど読み込まれたソフィアの魔導書だ。受け取ったローズはそっと開いて読み始め、「よく出来ている」とうなずきながら褒めた。
「なぜこんなものを持っているのか聞いても構わないか?」
「はい、もちろんです。少々長くなりますが……」
これまで自身の身に何があったのか。スケアクロウズ家内部での対立、そして記憶を頼りに魔導書の複製品を完成させ今日までを城に幽閉されて過ごしてきた事実をありのまま伝え、リズベットがすべての結界を壊してくれたのだと嬉しそうに話す。
辛い過去も今はパートナーのおかげで思い出に変わっていた。
「大変だったな、ソフィア。……そして今日までよく生き延びてくれた」
「そんな。あなたの魔法が私をリズベットに引き会わせてくたんです」
どれだけ感謝をしてもし足りない、とソフィアは頭を深く下げる。ローズはすこしだけ考えるそぶりを見せると魔導書をテーブルに置いて表紙を手でなぞり──。
「では私から、お前の時間が動き出した祝いをやろう」
ぱちんと指を鳴らす。紫煙がふわっと舞い、ボロボロだった魔導書はみるみるうちに美しいすがたへと生まれ変わる。まるで製本されたばかりのように。
「これは今日からお前が使え、ソフィア。もうひとりの魔女として」




