第36話「紅髪の尋ね人」
宿へ足を運び、受付で船が夕刻にやってくるまでの滞在を許してもらうと事情を説明しに行くと、彼女たちは笑われる。決して馬鹿にしたようなものではないようで「初めて乗られた方なんですね、あれはいつものことです」そう楽し気に言った。
「どうぞ、ごゆっくりなさっていって下さい。ご夕刻まででしたら宿泊費などは必要ありませんし、事情もありますからレストランへも足を運んで構いません。休憩できるよう空いている部屋がまだありますので────」
受付の女性が優しく迎えようとする途中、誰かが言葉を遮った。
「その空いた部屋は俺が使わせろ、カーラ」
割って入ったのは、いかにもな雰囲気を漂う金髪の若い男。受付をしていたカーラは彼を見て「これはレナルド・クリプトン様。いらっしゃったのですね」苦笑いを浮かべた。
ソフィアがリズベットの袖を引っ張って「誰なの?」と尋ねる。
「クリプトン伯爵家のご子息だろうね、たしか当主の名前はヴィンセントだったはずだから。……ケトゥスだしね、これくらいのひとがいても不思議じゃない」
「ふうん。なんだか好きになれないわね」
レナルドはどうやら友人を連れてカナロ島にやってきたらしい。取り巻きのふたりも彼ほどではないにせよ貴族としては地位のある家柄に生まれを持っているのはすぐに分かる。彼は「はやく部屋の鍵をくれ」と言ってリズベットたちを一瞥する。
「ハッ、こんな庶民が部屋を使うなんてもったいない」
「……失礼だなあ。ま、アタシたちも泊まるお金なんてないけど」
ムッとして食って掛かるような物言いになると、お返しとばかりにレナルドは鼻で笑い「だうろな、さっさと港町に戻ってぼろ宿にでも身を寄せるべきだ。憐れんだやつが金を落としてくれるかもしれないからな」小ばかにする。取り巻きもいっしょになって彼女たちを馬鹿にするので、ソフィアがずいっと前に出た。
「ご子息がこの様子では、クリプトン伯爵家とやらも底が知れたものね。もしかして言葉遣いのひとつ教わっていないのかしら? だとしたら、少し可哀想ね」
「言わせておけば……小綺麗な服を着れば態度もデカくなんのか」
向き直ったレナルドはソフィアをぎろっと睨む。
「庶民様は良いよなあ! 安物の服を着て満足できるなんて、俺には恥ずかしくてとても真似できねえよ。……ああ、いや、まともな服を買う金もないのか。そりゃ可哀想に、俺様が銀貨をいくらか恵んでやろうかァ?」
リズベットが懸念していたとおりケトゥスには素行の悪い貴族出身者がいて、それはカナロ島のようなリゾート地にも足を踏み入れている。あまりの厄介ぶりに「ソフィア、外で待とうよ。相手にするだけ時間の無駄だ」彼女の手を引こうとする。
「そうね、リズ。行きましょ、なんだか馬鹿らしくなっちゃった」
立ち去ろうとする彼女たちの背中に向けて、レナルドは「庶民様にぴったりじゃねえか。あんたらは外で海でも眺めてな。眺められるだけでも幸せもんだぜ、貧乏人め」と馬鹿にして取り巻きを肘で小突き、大声で笑わせる。
彼女たちがなにも言い返さないので、ほかにロビーでゆっくりしていた貴族出身と思しき者たちも、顔を背けて関わらないようにしているが、笑っている者もいた。どこまでも見下されているのにいくらか腹は立ったが、想定していたのもあって我慢は利いた。
だが長居はしたくない。時計の針を進めれば、そのまま夕方になってはくれないものかとがっくりだ。そんなあたりの傍を通ったひとりの女性が声をあげる。
「それは申し訳ない。私の客人が粗相をしてしまったかな」
その女性は、まるで司祭や修道女を思わせる黒い衣服を着て、分厚い黒い表紙の本を後ろ手に持ちながらやってきた。ふわりとした紅髪のショートカットに深碧色の瞳が特徴的で、首には宗教的な印象ある衣服とは真逆のドクロのネックレスをしている。
ソフィアとリズベットは驚きに固まった。いや、ふたりだけではない。だれもが動揺したことだろう、特にレナルドは彼女を見てぽかんと口を開けて冷や汗を掻く。
「であれば私も部屋を取ったんだが、キャンセル料を支払って彼女たちと夕刻まで海を眺めてから帰るとしよう。それですこしは気も晴れるかな、レナルド?」
レナルドたちの顔がみるみる青ざめる。女性は彼らにとってある種の崇拝対象であり、なによりだれより抗ってはならない存在。世界にただひとりだけの魔女。
「──レディ・ローズ、このたびは大変失礼な振る舞いを……!」
「お前は誰に対して何を謝っているんだ?」
跪くレナルドに魔女は言った。とても冷ややかな嫌悪を込めて。
「私もぜひ見習いたいものだな。お前の親はどういった教育を施したんだ、持っている資産の大きさに比例した態度を取るなど礼節がよく出来ている。謝罪の仕方まで完璧だ、王都へ出向いたらヴィンセントにも伝えておいてやろう」
彼は慌てて顔をあげ、ローズの後ろで立ち尽くすソフィアへ視線を向けた。
「も、申し訳なかった。俺たちが間違っていた。長旅で疲れて、すこし気が立っていたんだ。どうか無礼な振る舞いを許してくれないだろうか、この通りだ!」
床に頭を擦りつけて謝罪するすがたに我に返るも、ため息が出そうになる。彼女は「別に大して気にしてないから。本当に海を眺めているのも悪くないもの」そう言って問題を引きずる気がないのを示す。
ローズはフッと鼻を鳴らして、ふたりに向き直る。
「来させておいて嫌な気分にさせたな。……ひとまず自己紹介はあとだ、私たちの部屋へ来い。そこでゆっくり話をしよう」




