第4話「さよなら、故郷」
城の前に停めてある馬車に必要な荷物を積み、結界の効力が失われたソフィアには毛布に包まっているよう言って、必要なものを城から運び出すのはすべてリズベットが行なう。
待っているあいだ、ソフィアは自分が城の外にいることを不思議そうに──そして心から嬉しそうに微笑んで──景色を眺めて感じ、肌に触れる寒さを忘れた。
(本当に結界の効力が切れてる。これでスケアクロウズの歴史も終わりね)
ソフィアの錆び付いていた時間はようやく動き出す。
いつもの青空は、彼女の瞳に美しく映った。
「ねえ、ソフィア。この本はどうするの?」
毎日読んでいたぼろぼろの本。思い出の品ではないかとリズベットが念のため持ってきたものを彼女は受け取り、そっと開く。
「これはね、私が独自に記憶をたどって作った〝魔導書の複製品〟なの。もう中身を見なくたって覚えているわ。……でも、持って行く。これのおかげで私は生きていたから、見せたいの。世界のどこかにいる本物の魔女に」
世界に本物の魔女はひとりだけ。スケアクロウズはただ模倣しただけの誤ちの存在であり案山子にしか過ぎない。ソフィアは自分が今日まで生き永らえてこられたのは魔女あってのことだと礼を言い、それからきちんと謝罪をしたかった。間違った歴史を紡ぎ、私腹を肥やしてきたスケアクロウズの最後の生き残りとして。
「魔女様ってのは世界各地を転々としてるなんて話だから、そのひとを探す旅ってのも悪くないね。アタシも稼ぎはそこそこあるから手伝うよ」
「……ありがとう、リズベット。でも迷惑にならないかしら」
今までリズベットは自由に旅をして過ごしてきた。誰に邪魔をされるでもなく好きなときに寝て、好きなときに起き、悠々自適な時間を謳歌する。そうして生きてきた彼女の旅に自分が加わっては、余計な気を遣わせてしまうではないかと不安だった。
「なーに言ってんのさ。こう見えてアタシ、結構稼ぎあるんだから」
荷台に乗り込み、隅に置かれた布袋の口を結ぶ紐をほどく。中にはぎっしりと銅貨や銀貨が詰まっていて、取り出した中には数枚の金貨も混ざっている。
「コツコツ貯めてるから一年は遊んで暮らせるんだ。君を連れて世界のどこかにいる魔女を探す旅なんて、すごく楽しそうじゃない?」
世界を旅する魔女に負けず劣らず、彼女もあちこちを旅していて顔が広く、依頼を受けては報酬を受け取りながら生活している。何人かの貴族ともつながりがあり、暮らしていくにはじゅうぶんなコネクトを持っていた。
「盗賊団に襲われたときはヤバかったよ。君が助けてくれたおかげで、町で預けてたお金も持ち出せたし万々歳さ。……馬車を買ったら一文無しになっちゃうから、君からもらった宝石は結局売っちゃったんだけどね。そのお礼みたいなものだよ」
等級の高い馬車を選んだ──最初からソフィアを連れていくつもりだった──ために自費ではとても足りず、まんがいちと思って貰っていた貴重品が非常に珍しいものとして買い取られたので、費用はほとんどソフィアが支払ったようなものだとリズベットはからから笑う。旅の費用を半分は負担しているのと同じだと言って。
「そういうわけだからさ、アタシたちの二人旅を楽しもう!」
バシバシと背中を叩かれながらソフィアも笑う。
「そうね、楽しみましょう。よろしく頼むわね、リズ」
親しみを込めてそう呼ぶとリズベットは嬉しそうにする。御者台に移って手綱を握れば、ついに出発だ。雪道を走り静かな森を抜け、遠ざかっていく城を荷台から振り返り過去に別れを告げ、ソフィアの新たな人生が動き出す。
「どうしたの、ソフィア。もしかして忘れ物でもあった?」
「ううん、違うの。……ただもう帰ることはないんだなって」
スケアクロウズが築き上げてきたものはソフィアという魔女が檻から解き放たれて、もうそこにはない。ただひとりで暮らしてきた城が故郷としての役割を果たすことも。
「アハハ、そうだね! でもさあ、人生ってそんなもんだよ。アタシだって今は帰る場所なんてないもん。親と喧嘩して飛び出してきちゃったからさ」
境遇こそ違えど現状は似ていて、帰るべき故郷など持っていない。だがリズベットはそれでいいと思っていた。故郷など定めた場所でなくても、暖かく迎えてくれる人がいる場所はどこでも彼女には故郷と呼べたから。
「アタシたちは旅人だ、帰るべき場所はこれから自分で作ればいい」
「……ええ、そうね。とても楽しみだわ」
「へへーん。アタシもすっごく楽しみ! 二人旅なんて初めてだしね!」
屈託のないまぶしい笑顔に寒さも忘れて、揺れる馬車の乗り心地を感じながら二人の旅は始まった。ソフィアは表情にあまり出さなかったが、心からの感謝と喜びを想う。リズベットならどこまでも連れていってくれそうだ、と。