第32話「順調な日々」
リズベットの優しい言葉にモイラは静かにうなずく。
「届けてくれてありがとうございました、本当に」
「いやいや、気にしないで。アタシたちもお世話になったからさ」
今日だけでどれほどのことを教わっただろう。時間は短く、やったことは少ないかもしれないが、彼女たちにとってはとても大きな出来事で有意義な時間だった。明日からもそうやって楽しい時間を過ごせるのだから、感謝の気持ちは彼女たちのほうが強い。
ケーキを食べ終え、コーヒーを飲みながら歓談は進み、もうすっかり外も真っ暗になって作業員たちが仕事も終えて休んでいる頃になってリズベットたちもそろそろ宿に戻ることにした。名残惜しくはあっても翌日のことを考えれば休む必要がある。
「モイラ、彼女たちを見送るついでに話があるから君は片付けを」
「わかりました。おふたりとも、今日は来て下さってありがとうございました」
深々と頭を下げられて「そんなこと。また会いに来るよ、もう友達でしょ!」とリズベットはほんのちょっぴり照れ笑いをしながら返す。
「では行きましょう、玄関先までになりますが」
「ありがとうございます。ソフィア、もう飲んだ?」
「ええ。行きましょうか、長居もしていられないものね」
応接室を出る。暖炉の火が消えた商館の中はいささか冷えたが、外は風が出ていてなおさらだ。馬車の見守りをしてくれていた男も、彼女たちが来るとげんなりした表情で迎えて「遅すぎる、凍えるところだった」と肩をすくめてジョークを飛ばす。
「ごめんごめん、あんまりにも楽しくてさ。お礼は今度するよ」
「楽しみにしてんぜ。じゃあ、エドワードさん、俺はこれで」
「ああ、ご苦労だったね。明日は休んでいいよ、疲れただろう」
めったともらえない休日に男は喜び、軽やかな足取りで帰っていく。
「今日は差し入れをありがとうございました、コールドマンさん」
「こちらこそ。お店を紹介していただいたおかげで良い経験も積めたんで」
御者台に乗り込み、ソフィアが隣に座ってから手綱を握り締める。いざ出発──と言ったところで、エドワードが「あの、ひとつよろしいですか」と呼び止めたので、持ちあげた手綱をゆっくり下す。
「どうかしましたか? あ、もしかして忘れものとか」
「いえ、そうではなくて。薔薇の銀細工についてお話が」
今日の一件はエドワードが想定していたよりも大きく動き、より良い方向へ進んだらしい。その礼に、彼は魔女が集めている銀細工の件を彼女たちにも頼む。
「もう数はほとんど少ないそうですが、集めるのに時間が掛かっているようです。ケトゥスという港町に銀細工の情報提供者がいらっしゃいますから、詳しい話を聞いてお手伝いしてもらえませんか? 魔女様もきっと喜んで下さるかと」
彼女たちが盗品を取り返してくれたことも含めて信頼できると踏んだのだろう。リズベットたちに「多額の報酬をお約束いたしましょう」と良い笑顔を向ける。それは商売人としての顔であるのをリズベットは見抜きながら「喜んで」と返した。
彼女の快い返事に、エドワードは一枚の紙をポケットから取り出して渡す。
「ケトゥスの港に停泊している小さくておんぼろの船があって、この紹介状をみせれば小さい島へ渡してくれるはずです。そこで情報提供者の方と会ってください」
「わかりました。……えっと、いつ頃までに向かえば?」
「一週間は滞在するそうです、間に合うようでしたらいつでも」
聞いてすぐ、リズベットはソフィアを見る。本当ならもう少し長めにウェイリッジの観光を楽しむつもりだったが、予定を少し早めなくてはならないかもしれない。そんな想いを視線ひとつで受け取ったソフィアは「ケトゥスも楽しみね」と言った。
「だ、そうです。数日中には出発しますから、そのときはいちど挨拶に伺いますね。アタシたちもバシッと銀細工見つけてきますんで!」
「頼もしいかぎりです。ではよろしくお願いします、コールドマンさん」
言葉を交わすのもほどほどにして、仕事を請け負ったら出発した。宿への帰り道、リズベットは「あのカレアナ商会から仕事とはね!」と大喜びだ。
「良かったわね、リズ。大きな商会との繋がりがあれば他の町でも仕事を受けやすくなるでしょうし、モンストンではオルケスとも仲良くなれたから、あなたもすっかり大物になったんじゃないかしら? もう有名人と言ってもいいくらいに」
「アハハ、それは言い過ぎ! でも本当に良い結果になったよ!」
それもこれもソフィアに出会ってからすべてが変わったとリズベットは言う。あまりに順調すぎて喜びのあまりに寒さも忘れ、興奮気味に頬が火照ったように赤い。
「明日も、もっと良い事があると良いね~!」
「本当にね。思わず期待してしまうくらい、毎日が楽しいもの」
「じゃあ期待しちゃおうよ。明日は今日より良い日になるってさ!」




