第3話「迎えに来たよ」
──ひと晩が経って、予想通りの吹雪に見舞われた森は一面の白銀に覆われる。その日もまたソフィアは変わらず自室で本を読みながら暖炉で火が爆ぜる音を聞き、ときどき窓の外の景色に目をやった。いつもと変わらない時間の過ごし方だ。
リズベットがいなくなって静かになったのを安堵する一方で、仄かな寂しさが余韻となって胸に響く。めずらしくいつもと違う時間が、あの明るい声が少しだけ恋しくなるような気分に締めつけられた。孤独には慣れているはずなのに、と。
それでも気の迷い程度で、いつまでも考えているわけではない。部屋を満たす煤のにおいに本を閉じて、少し居眠りでもしてやろうかと目を閉じる。ぼんやりと時間の中を揺蕩う感覚。気付けば本当に眠っていて、目を覚ましたのは夕刻だった。
「しまった、こんなところで寝ていたらいけないわ」
暖炉の火は消えている。普段なら感じない寒さにからだが小さく震えた。
城を囲む結界は彼女自身の肉体にも作用し、疲労などもほとんど感じず体温も常に一定に保たれる。空腹は感じないし、ときどき喉が渇いたり眠たくなったりする程度だ。年老い、衰えを感じることもない。だから彼女は違和感に即座に気付く。
「……なんで寒く感じるのかしら」
原因を探るために部屋から出ると、なおさら凍えそうになって部屋に戻る。ぱちんと指を鳴らせば紫煙がふわっと舞い、暖炉の火が焚き直された。彼女はすぐ傍まで近寄って温まりながらぼんやりと考える。
(このまま寒さを強く感じるようになったら死ぬのかしら。それも悪くないわ、どうせ何百年もこんな場所に閉じ込められていたんだもの。……でも、最後までひとりだなんて寂しいわね。誰にも見つからず永遠にひっそりとここで骨になるのかしら?)
孤独に生き、孤独に死ぬ。そんな人生の始まりと終わりに感慨深さを感じて、フッと笑い声が漏れた。最後までスケアクロウズ家に反発しながらも魔女となり、自決することもないままに辿ってきた運命の道筋をひどく後悔しながら。
めそめそと泣き出してしまいそうになる。誰かに懺悔したくなる。胸の中に詰まって吐き出せないでいる悔恨がいつまでも彼女を苦しめていた。
「こんなことなら、最初から死んでいればよかったのに」
ぽつりとつぶやく。誰に聞かせるわけでもなく。ただ静かに部屋の中で響いて崩れていくように声は消える。寒さが縛り上げるようになってきて、ため息が出て涙が目に滲む。この止まったままの時間がいつか動き出してくれるのではないかと信じ続けるのも限界がきていた。実年齢的にはたった二十年ほどの人間が、不自由ないとはいえ孤独に過ごすに数百年はあまりに長すぎた。
そんな孤独を遠慮なくどたばたと城の中を駆ける靴音の響きが薄氷のように踏み割っていく。ソフィアはそれがリズベットのものだとすぐに分かって扉を振り返った。
ほぼ同時に、バンッ! と音を立てて豪快に扉が開かれる。
「やっほー、ソフィア! ちょっと時間掛かっちゃったね、ごめんよ」
手に抱えた毛布をソフィアに投げて渡す。
「ここもじゅうぶん寒いけど外はもっと冷えてるから着て。そんなドレスなんかじゃ風邪を引いちゃうでしょ、さすがに季節間違ってるよ?」
くすくす笑って指をさす。ソフィアはそんなことに構いもせず、彼女が目の前にいるのが信じられないとばかりに見つめながら言った。
「どうしてあなたがここにいるの?」
そう問われてリズベットは口先を尖らせ恥ずかしそうに頬を掻く。
「やっぱり何か返したくてさ。宝石を売って馬車を買ったのよ、貰い物のお金でなんてダサいかもしんないけど……君がすごく寂しそうに見えたから」
あっ、と思い出したようにリズベットが手を叩く。
「君の言っていた結界の要になってるっていう石像? あれを探すのに苦労したんだ、なにしろ敷地が広すぎるし雪が積もりすぎてさ! でもほら、これ」
ズボンのポケットから取り出したのは紅くうっすら輝く結晶の破片。ソフィアが目を丸くして驚くのは、それが石像に埋め込まれていた魔力の塊のようなものだからだ。そのせいで石像を壊すことはおろか彼女には触れることさえできずにいて、なんの魔力も持たない平凡な人間だけが壊すことができた。
リズベットは彼女から宝石を受け取り、それを資金に、高すぎて手も出なかった幌つきの馬車を購入。そのうえ石像を壊すための大きな金槌だけを買って城まで戻り、彼女に会う前に四つの石像すべてを破壊した。その証拠として結晶の破片を持ち込んだ。彼女を城から連れ出すために。
「ねえ、ソフィア。アタシは君にもっと広い世界を見てもらいたい。……アタシも昔はただ親の言うことだけ聞いてれば良いって思ってたけど、違うんだ。昔、出会ったひとに言われてね。『誰にでも譲れないわがままがあるでしょ?』って。だからアタシは家を飛び出して旅人になった。君はどう、そんなわがままはないの?」
言われてソフィアはぎゅっと毛布を抱きしめる。目に浮かんだ涙がこぼれ、彼女は顔をくしゃくしゃにしながら。
「……出たい。ここを出て、もっといろんなところを見てみたい。私も旅をしてみたい! なにも知らないまま孤独に生きるのはもういやなの……!」
だったら。リズベットは優しく頭をぽんと撫でて──。
「行こう、ソフィア。アタシが、君の知らない世界を見せてあげる」