第18話「許してあげない」
もういちどだけの機会か、荊はするりと彼のからだを放す。慌ててルクスは膝をついたままの姿勢で指輪を外した。「これでいいか!? いいよな!?」声を荒げるのをソフィアはひどく冷たい目で見つめながら受け取る。
操られていたリズベットはふっと意識を失ってベッドに倒れこむ。
「ええ、大丈夫そうで良かったわ。それで、これをどこで?」
「……早くに亡くなった父が保管していた。手紙といっしょに」
ロマーリア家が没落したあと、彼らは元の立場に戻れずとも魔道具ひとつあれば富を築けると自分たちの行いを省みたりはしなかった。だがある代から『こんなものを使うのは間違いだ』として保管され、代々にわたって『これが誰かの手に渡るのはよくないから』と秘匿し続けていたものを遺品の中からルクスは見つけ出した。
「……手紙は魔女に託そうとする内容だったが、連絡手段は極めて少数の人間しか知らないうえに、今じゃ誰ともやり取りなんかしてないって話だ。だから返せなかった。これは俺に与えられたチャンスだと思ったんだ、誰だってそう思うだろ!?」
荊が彼の首にぐるりと巻き付き、ソフィアは彼を強く蔑む。
「ええ、その通りね。愚か者はいつだって自分に都合の良い解釈をするものよ、ルクス。でもあなたの言う通りこれが本当にチャンスだったとしたら……棒に振ったわね、下らない肉欲なんかに溺れて正しき者の言葉に耳も貸そうとしなかったから」
ソフィアは右手の中指に指輪をはめて、また彼の顔を掴む。
「ま、まってくれ……あ、謝るよ! リズベットにしてきたことも、俺が今まで積み重ねてきたことも! お願いだ、反省してるから……ゆ、許してくれ、頼む!」
懇願し涙を目に浮かべて必死の形相をするルクスに彼女は尋ねた。
「本当に反省してるのかしら、そんなに許してほしいの?」
「あっ、ああ! もちろんだ、指輪だってもう……!」
指輪がなければルクスは平凡な男に過ぎない。これまで多くの人を騙してこれたのは、魔法の指輪という奇跡でもあり災いでもある道具のおかげだ。彼自身には大した学がないし、なにかに秀でているわけでもない。ネフェル家に取り入れたまでが彼の運の良さでもあり悪さでもある、結果さえ平凡なものだった。
多少のルックスはあっても得られるものは少ないだろう。これからは心の平穏のままにネフェル家の人間として生きていければそれでいいとさえ思った。
────それは大きな間違いであり、あってはならない贅沢だ。
「だめよ、絶対に許してあげない。たとえ魔女が許してもね」
彼が積み重ねてきた悪行は、多くの人々を根幹から傷つけるものだ。自らの欲を良しとして他者を貶めることに後悔なく生きてきた。そして今度は自分が傷つく番になった途端に振り返ったとしても、あまりに遅い。
「いいことを教えてあげるわ、ルクス。この指輪であなたが出来るのはせいぜい自分の言葉が正しいと錯覚させたり、多少の行動を操る程度でしょう。でも私くらいになれば記憶だって操れる。さて、では導かれる答えは何だと思う?」
彼には皆目見当もつかず、首を横に振るばかりだ。小刻みにからだを震わせ、ソフィアに恐怖するばかりの臆病者に彼女はハッキリと告げた。
「教会では告解と言って、神から赦しを得るために罪を告白する信仰儀礼があるそうね。……でも、あなたが罪を告白する相手は神でもなければ聖職者でもない。ただ何も知らず、何も考えることさえ許されないまま過ごしてきた人たちよ」
多くの人々が傷つけられてきた。彼は自分に矢が向けられると途端に命乞いをして許されようとしているが、ではこれまで犠牲になった女性たちはいちどでも〝やめてほしい〟と拒否を口にさせてもらえたのだろうか?
「きっと知らないままのほうが幸せかもしれない。でも遠くない未来にあなたは彼女たちを必要としなくなるわ、パンの包み紙を丸めて捨てるみたいに簡単にね。そうなったとき、その子たちはどうやって生きていくのか考えたことないでしょう。それなら正しい道も知らないまま暗闇を彷徨わされるよりはマシだと思わない?」
指輪のはめた手からふわっと紫煙の輝きが広がる。
「あなたの言葉は常に真実を語るようになるわ。せいぜい上手い逃げ道でも探して言いくるめてみることね、今までのようにはいかないと思うけれど。でも今は寝ていなさい、日が暮れて私たちがいなくなるまでね。ああ、それから────」
その瞳に宿ったのは憎悪あるいは殺意にも近い感情だ。彼女は冷徹に、しかし声を荒げたりすることもなく静かに彼へ告げる。
「──私たち、とくにリズには何があっても近寄らないで。すべてを語るまでネフェル家を出ることも許さない。地獄に落ちてみるといいわ、ルクス。どんな綺麗な町よりも、あなたに似合う最高の場所よ」




