第2話「スケアクロウズ家」
リズベットの言葉にほんのわずかな期待を抱き、ソフィアは部屋に戻る。部屋は暖かくなり始めていたが、まだいくらかひんやりとしている。彼女は変わらず椅子に座って、ぼろぼろの本を手に読書を再開した。
しかし残念ながら想像していた通りとはいかない。しばらく待って部屋に帰ってきたリズベットが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら並べたのは、料理というより廃棄物だ。明らかに味は狂っているだろうし、ものによっては炭と化していた。
「……あなたに期待した私が愚かだったわ」
「えへへ、ごめん。実はあんまりしたことなくて」
「追い出さないだけありがたく思いなさい」
出てきたものは鼻をつまむほどの焼け焦げ具合だが、リズベットの厚意があったのは事実だ。多少は甘やかしてやろうとソフィアは深いため息をつきながら「片付けて、あなたが遊んだおもちゃの始末くらいはしてもらわないと」皿を押す。
「ごめんよ、アタシってば料理下手でさ。好きなことは好きなんだけど、それならいっそどこかに連れ出して食べさせてあげれば良かったね」
自分でもがっかりしているのか最初から処分しようとしたが、作ると言った以上は出さないままというのも悪いと考えて念のため報告に来たらしい。ソフィアにしてみれば出されるよりも処分してくれたほうが良かったのだが。
「もういいわ、過ぎたことだし私には必要ないから」
「あ……ごめん。じゃあいっしょにお出かけしない!?」
町まで出れば各地を転々とするリズベットなら案内できる。骨とう品店の芸術品を眺めるのでも、美味しい料理を出してくれる店も知っている。だからソフィアが喜んでくれる何かがあると彼女を誘う。しかし反応はいまいちだった。
「遠慮するわ。……私はこの城から出られないから」
「それってお留守番みたいなこと?」
「いいえ。結界があるのよ、私を外に出さないためにね」
城の周辺に設置された像が四つ存在する。それぞれが強力な魔法によって保護されており、ソフィアには破壊することができない。城は彼女を外に出さないようにする檻として機能していた。もう何百年も、だ。
そのかわり空腹にもならないし年老いることもない。退屈だが慣れた日々になっていた。擦り切れてぼろぼろになった本は読まなくても文章が浮かんでくるし、外の景色は絵画を眺めるようにいつも同じ風景が流れている。いつしか彼女自身の感情さえも変わらなくなっていった。同じように退屈だ、退屈だと繰り返しながら。
「スケアクロウズ家は平凡な貴族だったのよ。だけれどある日に、世界でただひとつしか存在しない魔導書を盗みだしてしまった。──偶然にも魔法を使う才能があったから。でも結果的に使い方を誤ったことで魔女の逆鱗に触れたの」
価値のあるものを集めるのが趣味だったスケアクロウズ家の当主は、どうしても魔導書が欲しくてたまらなかった。魔女の貴重な品ということもあって触れるのは難しかったが、それでも悪知恵を働かせて奪い取ってしまう。
しかし、そこで発覚したのがスケアクロウズ家の類稀な恵まれた才能。天から与えられた奇跡と言っても良く、本来魔女以外にしか扱えない魔導書にある秘術の多くを行使することができた。それが私利私欲にまみれたスケアクロウズ家の黒い歴史の始まりだ。金を稼ぎ、地位と名誉を欲しいままに生きてきた彼らの行いは看過できるものではなく、『お前たちには過ぎた道具だ』として魔女の怒りを買ってしまった。
いちど頼ってしまえば、あとはずるずると続いていくだけ。魔法なくしてスケアクロウズの血筋を存続できないと考えた末に、ひとりの娘を魔女に仕立てて、自分たちは悠々自適に過ごそうとする。それに反発したのがソフィア・トリシュ・フォン・スケアクロウズ。現在に至るまで城に幽閉され続けている世界に二人目の魔女だ。
「結局、私以外は誰も生きていない。関わりのあったひとたちは老いていき、自分だけが空白の時間に取り残されたみたいにぽつんと変わらないまま孤独になったわ。私のために結界を壊すと言った子も最後は逃げてしまった」
彼女は自らが魔法を律するのを嫌ったが、スケアクロウズ家の支配しようとするあくどさに対しては抵抗した。左腕の手首に巻き付く銀の荊を『武器』として振るい、城から出ない代わりに家族やそれに仕える従者共々寄せ付けないようにした。
そのうち『魔女は恐ろしい存在』として認識され、最後まで残った従者も味方をするふりをして最終的には城を出てしまった。気付けばソフィアはたったひとり。ときどき盗賊のような者が来ることはあってもリズベットのような普通の旅人は近寄らず、言えば彼女は城を訪ねた──事情はあれども──数百年ぶりの客だった。
「……湿っぽい話をしたわ。この汚い料理を片付けたら城にある好きなものをひとつ持ち帰って、すこしはお金になるでしょうから。退屈しのぎの礼よ」
遅くなってからではまた吹雪がやってくる。それまでにリズベットに帰ってもらおうとして、彼女もそれを理解したのかすこしだけ残念そうに「うん、わかった。ありがとう」必要以上の言葉は掛けず、静かに片づけを始める。
昼を過ぎた頃、雪は積もったままで馬もおそらくは盗賊団に取り上げられてしまっただろう、とリズベットは城にある大き目な宝石ひとつを「これにするね」と懐にしまいこみ、ソフィアに玄関まで見送られながら去っていった。