エピローグ③『魔女はやってくる②』
日常を捨てた者たちの温床のなかで、たったひとりを捕まえるためだけに魔女が来たのか。ハンデッドは怒りと疑問を隠し切れず、顔を赤くして「ふざけるな!」と机を勢いに任せて強く叩く。
「レディ・ローズ! あんたはここがどんな場所か分かっているくせに、私ひとりを捕まえて連れていくと言うのか!? これだけの悪がはびこる町で!」
ローズはちっとも興味なさそうな顔でコーヒーを飲む。
「子供みたいな理論を語るのが好きなんだな、ハストン。あまり大きな声を出すと迷惑が掛かることも考えないほどの熱意とは思わなかったよ」
カップをそっと皿のうえに置いて彼女はにやりとする。
「だが生憎と、私は頼まれたこと以外にわざわざ首を突っ込む趣味はなくてね。──生意気を言っている暇があったら、裁判で自分の弁護をする準備でもしておけ。その薄汚い口で語る言葉にどれだけの価値があるかは分からないがな」
ぽん、と彼の肩に手が置かれる。ずっしりとした革の手袋の感触に振り返れば、ローズが連れて来たと思われる王都から派遣されてきた近衛隊が数名いて、彼を王都へ招待するために優しく──しかし侮蔑的な視線を向けて──笑いかける。
「ハストン、女王陛下の御命令です。大人しくご同行下さい」
「……う、ぐ……! な、なぜこんなことに……」
がっくりと項垂れてしまう。その様子を見てローズはフッと鼻を鳴らす。
「お前は……お前が思っているほど賢くはないし、周りはお前が思っているほど馬鹿ではないということさ。後悔も反省も必要ない、もう後にも先にも道は失せたんだから」
連れていかれるのを見向きもせず、注文したケーキが届くとひとくち食べてから「もうふたつお願いしても?」と追加を頼む。
それからすぐに「お待たせ、ローズ!」と綺麗な長い金髪を揺らしてやってくる女性のすがたがある。その表情は明るく、天真爛漫なのが見ているだけで伝わってくるようだ。傍には、すらりと背の高いメイドらしき女性もいた。
「シャルロット、シトリン。遅かったじゃないか」
「道で変なひとたちに絡まれちゃってさ」
「私が丁重にお断りしておきましたので、ご安心を」
「無事ならいいんだ。さ、座ってくれ。注文も済ませた」
「わ、嬉しいなあ。ここのケーキ美味しいんだって聞いたよ」
「今さっきひとくち食べたんだが、美味しかったよ」
「え、じゃあボクも先にひとくち!……あ、おいし」
「だろう。仕事も済んだし、あとはゆっくり話でもしよう」
全員が席に着き、ローズはすぐに本題へ入る。
「それで、ハストンと取引していた連中は調べがついたのか?」
「ええ。何人かは証拠も押さえてあるそうです」
ソフィアたちの働きによって捕まったのはハンデッドだけではない。彼の邸宅を徹底的に捜索したところ、ドラクマ商会をはじめとする取引を示す手紙や契約書などの類が多数見つかり、ヴェルディブルグ領内では大貴族も関わっていたのが確認されている。彼が悪事をする際には後ろ盾となっていくらかもみ消したこともあるだろう。
アニエス女王の命令で現在はさらに徹底的な調査が行われている。
「ちなみに同じく逮捕されたドラクマ商会のグラネフからも、ハストン以外の数名との繋がりを示す証拠が見つかったそうです」
「たしかそのひともソフィアたちが捕まえたんだよね?」
「本人はそんなに話が進んでいるとは露ほども知らないでしょうけど」
たった数人から芋づる式に次々と罪人が捕まっていて、それがソフィア・スケアクロウズとリズベット・コールドマンの手柄であることは、彼女たちと懇意であるアニエス女王やオクタヴィア近衛隊長が事実として伝えている。そのためか城内のみならず各地で〝魔女の代理人〟は本人のあずかり知らぬところで高い評価を受けており、今後もさらに伸びていくだろう予測はつく。
ローズはその事実を誇らしく受け止めた。
「初めてにしては上出来すぎるくらいの成果だな。本人にとって良いことなのかまでは知らないが……まあ、これなら今後もいくつか任せても問題ないだろう」
「でもいいのかなあ。ボクたちばっかり好きに旅して」
窓のそとに見える曇り空を見上げて頬杖をつく。シャルルは自分たちばかりが楽をするのはソフィアたちに申し訳ないような気がしてならなかった。彼女たちには〝永遠〟を知ることができないから。限られた世界で生きる短い時間を取り上げている気分になってしまうのだ。限りない世界で生きる魔女のほうが向いている、と。
「疲れたと言えばやめさせてやるさ。自分たちの歩くべき道は自分たちで決めるものだ、私たちが考えるべきことではない。限られた時間でどう過ごすのかを選ぶのは今を生きる者の特権なんだ。私たちが永遠を生きるのを選んだように」
ローズは多くの人間の生と死を目の当たりにしてきた。世界中の生きている人間の誰よりも。そしていつかソフィアやリズベットの最期にも立ち会うことになるだろう。どう生きて、どう死ぬか選ぶ権利があるのなら、彼女たちが少しでも幸せだった、楽しかったと思えるように、困っていればときどき手を差し伸べればいい。必要がなければ黙って見守っていればいい。
「いずれにせよ、こうして穏やかに過ぎていく時間は悪くないものだ。せっかくだから最後まで見届けることにしようじゃないか、魔女の代理人の物語を」
そう言ってしずかにコーヒーを飲み干す。
曇り空に小さく晴れ間が差した。