第41話「過去は取り戻せないとしても」
────三日後。
午後になってもまだオルガは目を覚ましておらず、穏やかな寝顔を確かめてからソフィアたちはロッチャを出るために買い物をして準備を済ませ、いよいよ出発直前となって町の門にはたくさんのひとが集まって来ていた。
魔女の代理としてやってきたときからそれなりの人気はあったが、今や盛大な見送りで救世主のような扱いだ。
「わはは~、アタシたちふたりの見送りにしては多いね!」
「聖人にでもなった気分よ。大したことはしてないけれど」
「みんなが納得してくれたなら大したことだと思うよ?」
すっきりとしないのは、やはり丸く収まっただけに過ぎず最終目的が果たせなかったからだ。いつか必ず借りを返さなくてはと決意して、馬車を動かす。声援に手を振ってロッチャの町を離れていく。大きな仕事がひとつ片付き、近くの町まで行ったらローズに送る報告の手紙を書かなくてはならない。
森へ入り、木漏れ日のなかを駆け抜ける。──突然、リズベットが手綱を操って馬が走るのをゆっくり止めた。
「よう、挨拶もなしにどこへ行くつもりだい」
ローブを着て素顔を隠した誰かが馬に跨り、彼女たちの前で道を塞ぐ。
「……はあ、もしかして寝たふりでもキメてたのかしら」
「お前らが出発の準備に出たときにちょうど起きたんだよ」
フードをおろして顔を見せたのはオルガだった。ルーカスに事情を聞かされ、目を覚ましてすぐにふらつくからだを無理に動かしてまで、先回りして森のなかで彼女たちをしっかり見送るためだけに待っていたのだ。
「寂しくなるな。できればずっといっしょに居てほしかった」
「ふふ、光栄な言葉だわ。でも行かなきゃ」
「分かってる。もう引き留めたりしないよ、オレも馬鹿じゃない」
本当はいっしょに旅をしてみたい気さえした。しかしこれまでの何もかもを清算するためにオルガはロッチャに残ること選んだ。
「感謝してもしきれねえ。あのときオレは確かに死んだはずだ。でも生きてる。……どうやって助けたかなんて聞いても答えてくれやしねえんだろうけど、これだけは言わせてくれ。本当にありがとう、貰ったこの命は絶対に大切にするよ」
「どういたしまして。……元気でね、オルガ」
「お前こそ。それからリズベットもな!」
「えへへ。手紙とか書くから楽しみにしててよ」
「オレも書くよ。またロッチャにも遊びに来い」
約束を交わしてオルガは帰路に着く。ふたりを横切って振り返ることなく、まっすぐロッチャを目指した。本当は涙もろい自分を見られるのが恥ずかしかったから。
なにもかもが気に入らなかったこれまでが、なにもかも覆って愛しく思うほどになった。ソフィア・スケアクロウズとリズベット・コールドマンのふたりがやってきて、陽射しの当たらなかった世界に光が満ちた。こんなにも幸運で良いのか? とさえ感じる喜び、愛した者が去っていくことへの寂しさに涙が溢れたが、彼女の表情は実に晴れやかなものだった。
「いやあ、また新しい友達ができたねえ」
「ええ。旅の楽しみが増えたわ。また来ましょう」
「いいね。次来るときには、もっと良い町になってるよ」
「あの姉弟なら間違いないわね」
ふとグレーダイヤモンドのネックレスを手にして眺める。
「……魔女の代理、か。こんなふうに旅をして、いつか終わるときが来てしまうんだと思うと寂しいわね。ときどき城で過ごした数百年を思い出すわ」
「永遠に続けばなあって思うときあるよね」
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。瞬きよりもはやく、風が吹くように。そしてふたりは過去を振り返りながら、今を楽しく生きようと改めて思った。いくら願ったところで過去には帰ることは出来ないのだ。たとえ魔女であっても。
「いろんなものを失って、いろんなものを得て……。アタシたち、いろいろあるけど良い人生送ってるよね」
「贅沢がすぎると言われたら返す言葉もないわ」
馬車が揺れる。経験の軌跡を辿りながら、移り変わる風景をしっかり目に焼き付けた。
「そういえば最寄りの町って観光はできるのかしら」
「うん。噴水広場があって、大道芸人とか詩人が来てるらしいよ」
「あら、それは面白そう。王都だけじゃないのね、ああいうの」
「王都は場所取りも大変だから、あえて違う町を拠点にしてるんだ」
「へえ。みんないろいろ考えてるのねえ……」
多くの人々は自分の芸に磨きをかけて、いつの日か人気者になる夢を見ている。ソフィアはふと自分の夢は何かと考えてみたが、特に思い当たるものはなかった。どちらかといえば既に叶っているとも言えたからだ。
「アタシたちもなにか芸を身につけてみる?」
「……それも悪くないわね。参考に見に行ってみましょうか!」
「あはは、楽しくなってきたね! 行こう行こう!」
過去は取り戻せないとしても、ふたりにはまだまだ明日がある。新しい夢を見つける時間もたっぷりと。前を向いていれば何かが見つけられると信じたふたりの旅は、これからも続いていく。
ロッチャで暮らす人々も、同じように明日を見ているのだろう。