第39話「事件は終わった」
危機を乗り越え、ひと安心に多少の無理もできる。銀の荊が瓦礫を押し退け、そとからの陽射しにすっきりと澄んだ気持ちが胸に溶け込む。
「はあ、生き返ったって感じだわ」
「まさに生き返ったひとならここにいますけど」
「それは嬉しいんだけれど、胃が痛いジョークね」
「実際に死んでましたから。それで、このあとは?」
「そうね……いろいろと考えてはいるけれど」
腕を組んで遠くを見つめながら。
「ひとまずロッチャに戻ることにするわ。オルガを連れて帰ってあげないといけないし、もうハンデッドも逃げてしまったでしょうから」
本来ならば捕らえているべき男を、町のなかなら悪だくみもするまいと油断していたのが失敗の原因だ。すぐにでも追いかけたくはあったが、オルガを無事に送り届けてからハンデッドの行方を探せばいい。ソフィアには見つけ出す自信があったし、シトリンも彼女の言い分に対して否定をすることはなかった。
「私はこれで失礼します、ほかにやるべきこともありますので」
「忙しいのにごめんなさい。今日はありがとう」
「いえ。ではまた、次はゆっくり話ができるといいですね」
シトリンが去り、眠っているオルガの傍でしばらく待っているとリズベットが大勢を引き連れてやってくる。医者だけでなく自警団やオルガの仲間たちまでずらりと揃って、だ。事態を聞いて、いてもたってもいられなくなったらしい。
「ごめんね、待たせて。オルガさんの怪我は?」
「大丈夫よ。でもしばらくは目を覚まさないって」
かなりの危機的状況だったのでシトリンに頼ったことを耳打ちで伝える。リズベットはぽんと手を叩いて納得すると「言わないほうが良さそうだね」と医者をちらと見る。
「心配をかけたわね。さあ帰りましょ、もう全部終わったから」
ハンデッドは逃がしてしまったが、なにはともあれ大局的にみればすべて無事に済んだのだ。今後の計画は戻ってからじっくり練り直せばいい。今を急ぐ理由などない。ゆっくり休んで頭をよく使える状態にしておこう、と話した。
ロッチャに戻ったあとはオルガをルーカスの家に運び、ソフィアも体調が優れないためリズベットの看病のもと、その日は部屋から出ることはなかった。ただ魔法を使った反動だけだと思っていた彼女は額に怪我をしていると指摘をされて、自分が坑道で岩盤の破片が頭部にぶつかったのを思い出すことになる。
幸い、ひどい怪我ではなかったものの、流血した時間はそこそこだったので気分が悪くなるのも当然といえば当然だ。
「ずいぶんと酷くやられたね。ハストン卿ってば思った以上に用意周到だったわけだ。……ふたりとも無事に帰って来てくれてホッとしたよ」
馬車を走らせたリズベットは爆発音を聞き、その後ハンデッドと遭遇してはいた。そこで捕まえる選択肢もあったが、彼から『はやくしないとお友達が死んでしまうかもな、もっとも助からないと思うが』と言われて、彼を気にしている余裕がなかったのだと申し訳なさそうに頬を掻く。
「アタシ、いつも肝心なときに役に立たないね。手助けしたいと思っても上手くいかないばっかりで、ソフィアに負担をかけちゃってる」
「……馬鹿な子ね、そんなの気にし過ぎよ」
ベッドに座り、自分の傷口を触れて塞ぐ。流した血は自然の治癒力に任せて、傍の椅子にすわって項垂れるリズベットの肩をこつんと拳で優しく突いた。
「たしかにまわりのひとはあなたを見て『なにもしていない』と思うかもしれない。でもね、精神的な支えっていうのはそもそも目に見えなくて、私が感じていることは私にしか分からないものよ。誰かの評価を気にするくらいなら私の声を聞いて」
ほかの誰が何を言おうともソフィアにとってはこれ以上ないほど彼女の存在は大きく、傍にいてくれるから頑張ろうという想いも湧いてくる。リズベット・コールドマンという自分を変えてくれた人間の代替など世界のどこにもいないのだ。
「でも調子に乗っては駄目よ。お互い、最大限は尽くさないと」
「もちろん分かってる。今日もすごく急いだんだよ?」
「ええ。おかげで助かったわ、のんびりしてたら倒れてたかも」
とにかく疲弊しきっている。流血に、魔法の使用を重ねて、ラルティエで刺されたとき以来のからだの重みがあるとソフィアが冗談めかす。リズベットにしてみればちっとも笑いごとではないのだが。
「今日はとにかく、もうゆっくり過ごしましょ。……オルガも目を覚ますのに数日は掛かると言われているから、あとは待つしかできないわ」
「そっか。じゃあ、ぐっすり眠って、それからいろいろ考えよっか!」