第38話「悪魔に頼ってでも」
ソフィアは、それでも諦めたりしなかった。
「まだよ、ここで死なせてたまるものですか」
魔法ではとても命までは救えない。既に灯火の消えた命を取り戻すことも。しかしそれらはあくまで『魔法』という手段に頼った場合のみだ。王都ラルティエではひとりの尊い命が無情にも奪われたあとだったが、今だけはひとつの可能性があった。
(本当なら頼るべきではないだろうし、頼りたくはなかったけれど……)
ほかに方法が思いつかず、魔女からの強い信頼を受けて担った仕事を途中で諦めざるを得ないのは申し訳ない気持ちにもなったが、目の前で大切な仲間を失うよりはずっといい。彼女の指輪がわずかな紫煙を纏って紅く光り輝いた。
「──ずいぶんとお困りのようですね」
背後に気配。最近はよく聞き慣れた透き通るような声。ソフィアは振り返らないまま「お願い、彼女を助けてほしいの」と懇願する。
「意味、分かってます? たしかに魔法では死んだ人間を生き返らせることはできません。魂そのものを扱うのは死神か、あるいは悪魔か。幸いにも肉体が残っているので簡単に蘇生はできるでしょう。──ただし代償は払ってもらわなくては」
悪魔が力を行使するのは慈善事業ではない。主従の契約を結んでいたとしても不変の事実だ。レディ・ローズという永遠を生きる存在だからこそシトリン・デッドマンは力を与え続けられるし、寿命を得続けられる。──ではソフィアはどうか。城にいた頃であれば無限にも近い時間を得ていたが、今の彼女は『魔女代理』の肩書を持っているに過ぎない、ほとんど普通の人間だ。
「それでも救えないよりはマシよ。死後に私がどうなろうとも、あるいは今すぐに寿命を削られようとも、ここで引き下がれば私が私ではなくなってしまうわ」
「……そうですか。実に潔い考え方ですね、あなたらしい」
シトリンはオルガのからだに触れる。赤黒い光が周囲に満ちていく。
「だからこそ信じて任せた甲斐もあるというものです。悪魔ゆえ見栄えがろくでもないですが、ご安心を。──あ、そのネックレス貸してもらえますか」
「えっ、と、これを渡せばいいのね? はい、どうぞ」
ローズから贈られたグレーダイヤモンドのネックレスをシトリンに渡す。彼女がそれを握り締めると、いっそう赤黒い輝きが強くなっていった。
「ローズ様が贈ったのはただのネックレスじゃないんです。彼女の魔力が籠められた、いわゆる魔法石と呼ばれる道具です。使えば効力を失いますが、あとでまた魔力を注いであげれば再利用だって出来る便利な代物なんですよ、これ」
死んだ人間を蘇生させるために必要なものはふたつ。魂が宿るべき肉体と膨大な魔力だ。血を多く失って息絶えたオルガの肉体をより良い状態へ再生させてから魂を肉体に納めなおす過程で、生半可な量の魔力では不十分になる。シトリンが力を使うには契約者の魔力が必要となり、ソフィアのような『たまさか魔法がすこし使える程度』の魔力では話にならなかった。
グレーダイヤモンドのネックレスに注がれたローズの魔力は強烈で、ソフィアとは比べ物にならない。そのうえ誰より優先されるべき主人のものとなればシトリンがほかの契約者とのあいだで力を行使するのにも用いることが出来る。
「そんな貴重なものをどうして私たちに……」
「最初から、この状況は予見されていましたので」
断片的だが未来を見通す能力がシトリンにはある。今回、ローズが依頼を受けてソフィアに任せるときから〝誰かが怪我をする〟というのは分かっていた。まさかそれが死ぬほどの大怪我だとは誰も思っていなかったが、まんがいちに備えて死人を絶対に出したくないローズの方針で魔法石のネックレスを用意し、オルケスに届けさせたのだ。
「お伝えしなかったのは申し訳ありません。ただ、ソフィア様たちにとっては最初の大きな仕事ですから、可能なかぎりすべてをお任せしておくつもりだったんです。どのような判断をするのかでさえ委ねて見守るはずでした」
結果を見て、彼女たちがこれからも大きな仕事を任せられる人材かどうかを確かめるのが目的だった。誰かが傷を負ったときソフィアがどう判断をするのか? もし自分の力だけでは助けられないとしても助けたいと願ったら? その判断が魔女にとって正しいものであれば、魔法石はかならず必要になる。
想像よりもやや枠組みから外れるかたちでシトリンが使うことにはなったが、概ね想定の範囲内だ。オルガ・クレリコの命を再び芽吹かせるのにソフィアの魔力を要することなく、魔法石に注がれている魔力だけで補うことができた。
「さて。処置は済みましたが、いちど離れた魂が肉体と完全に癒着するまで、おそらく数日は目を覚まさないでしょう。私の仕事はここまで……あとはソフィア様ご自身の魔力だけでじゅうぶんですよね?」
オルガのからだに熱が戻っていく。小さくはあるが呼吸も始めるとソフィアは安心して胸をなでおろし、入り口を塞ぐ瓦礫の山をぎらりと見つめて。
「ええ、ここからは私の仕事よ。さっさと外に出ましょう!」