第26話「順風満帆」
もう少し、もう少しと言い聞かせて家に戻り、朝までいちども目を覚まさずに深い眠りでからだを癒す。魔法を使ったソフィアの体力はかなり消耗していて、雨のなかであったこともあって熱っぽさがあり、息もやや粗さが目立った。
リズベットが心配をしても彼女は平気なふりをする。魔女から託された仕事なのだから自分がやり遂げなくてはどうするのだ、と胸に提げた薔薇の首飾りを握って。
時刻は午前十時頃。朝食を用意したと呼ばれてふたりが食堂へ行けば、そこでルーカスから憲兵団の尋問の結果を子細に書いた手紙が渡された。
「上手く行ったようね。私たちが出るまでもなく彼らは誰に雇われたかをきっちり話してくれたみたいよ。全部を解決するのは時間の問題だわ」
「良い感じだね。あとは彼が町に戻って来るのを待つだけかぁ」
食事をしながらルーカスが話を聞いて首を傾げた。
「ところで気になっていたんですが……ハストン卿の悪事を暴くまでは分かります。しかし雇われたならず者たちを捕まえたら、どうして彼が戻って来ると?」
わざわざ捕まったものたちのために戻って来る意味が分からない彼に、ソフィアは水をひとくち飲んで口を潤してから話す。
「彼らが真実を話したとしても、ハンデッドはきっと雇ったのを認めたうえで『彼らが勝手にしたこと』なんて言い訳をするに決まってるわ。実際に証拠がないもの」
ヴェルディブルグという国で罪に問いたければ証拠が必要だ。憲兵団や近衛隊が現行犯で捕縛するといった例外も存在するが、今回の件に関してはハンデッドが直接、彼らの悪事に対して指示を出していた証拠がなければ難しい問題だ。実際に王都では現在の制度に疑問視する声が上がっていて見直しが検討されているとはいえ、今の段階ではその制度を悪用して逃れる者はまだ多い。
ハンデッドはまさに筆頭とも言える罪人だとソフィアは言う。
「そのためにオルガたちを味方につけたのだけれど」
「姉さんたちがいると、何がどう変わるんです?」
「ええ、実はそのことであなたにも話しておかないと」
これまでオルガたちが奪った物資はハンデッドが既に大半を流してしまい、彼女たちも知らなかった事実に協力関係は解消されていること。加えて残っていた物資は回収され、見張りだった私兵二名も捕らえている状態で麓の森に潜伏中だと伝える。
「なぜわざわざ隠す必要があるのですか。ああ、もちろんハストン卿を焚きつける意味があるのは理解できますが、今もまだ置いておくには……」
まだ納得のしない彼にリズベットが「実はだねぇ」と胸を張った。
「アタシたちは、そのひとたちを使ってハストン卿を追い詰める手段を考えてるんだ。現行犯として捕まえられるように仕向けるためのね」
「えっ。できるんですか、そんなことが。あれをどうやって?」
興味を示されて、リズベットは饒舌になる。
「多くの場合、闇市場で流すときは小さくて目立たない商会や行商人を使うんだ。表立っているような商会は流通ルートを精査するからバレたらタダじゃ済まないしリスクも高い。そして取引のときは時間帯や場所を選ぶ。たとえばロッチャだと山を下りれば少し離れた場所だけど町があるし、麓の森は広くて背の高い木が多く草も生い茂っていて人目に付きにくい。こっそり会うにはうってつけでしょ?」
傍でソフィアもトーストをかじりながら頷く。手についたパンくずを皿のうえに落として「オルケスの尋問は素晴らしい成果だったわ」と嬉しそうにした。
「報告によれば、ハンデッドが近くの町で懇意にしているドラクマ商会が関わっているらしいわ。商会長のグラネフは、その手の取引では有名だけれど表向きはかなりまともな商会を装って、見目に派手な生活を好むわけでもなく羽振りは多少いいけれど無理のない範囲でまともな雰囲気だそうよ。ま、その生活もここまでね」
通常、商売相手とのやり取りの記録は残すものだ。互いに腹の底で何を考えているか分からないことも多く、なにかあったときの保身にもなる。ひっそりと貴族相手に取引をしているドラクマ商会ならばなおさら他人など信用してはいまい。だからこそ自分たちの計画はかならずうまく行くという自信があった。
「物資はハストン卿がひとりで運べる量じゃないし彼が働くわけじゃないみたい。雇ったひとたちが運んで、取引のときだけハストン卿が現れるんだって。そこで護衛も兼ねて私兵がふたりほど交代で加わってるって報告がある」
オルケスがまとめた報告の手紙を改めて再確認する。
「物資を奪った翌日には一部を森へ運んで、そこで取引を済ませてるらしい。ってことは、たぶん今日も本来なら顔を合わせる予定があったはず。だから今日、オルガたちに会って取引を進めさせるつもり。──もちろん捕まえるためにね」
ハンデッドが物資を奪うために私兵を動員したのなら町の商会へ行く前にロッチャへ足を運び、そこで夜を待つのだろう。具体的なことは雇われの身には知らされておらず、あくまで最低限の仕事をさせているといったふうだ。
「たぶんハンデッドも森に来るでしょうけれど、彼を捕えられなくても問題ないわ。グラネフさえ押さえてしまえば証拠はいくらでも出てくるから」
ナプキンで口を拭き、軽く折りたたむ。
「じゃあ、そろそろ行ってくるわね。もしロッチャにハンデッドがいるようなら彼が町の外に出られないよう門は閉じておいて、そのほうが後が楽なの」
「わかりました、すぐに自警団の方々と探して足止めをしておきます。……あの、行く前にひとつだけ、お願いをしてもよろしいですか?」
「……? ええ、全然構わないけれど何かしら?」
彼は気恥ずかしそうに頭を掻き、それから深く頭を下げた。
「どうか姉さんのことをよろしくお願いします」
大事なひとりだけの家族。彼に遺された唯一の血の繋がりだ。自分の知らない場所で危ない橋を渡っていると分かって、ずっと落ち着かなかったらしい。彼女たちは優しく微笑んだ。
「大丈夫、なにがあっても怪我ひとつさせないから」
「アタシたちに任せといてよ!」