第20話「慌ただしい一日を終えて」
食べ終えた食器を片付けてもらい、リズベットはテーブルに地図を広げる。プラキドゥム山脈と、その周辺の土地を示す大きな地図だ。
「プラキドゥム山脈にはいくつかのルートがあるよね。アタシたちが調べたところ、そのうち安全に物資が運べるのは正面の切り拓いた山道を含めて二か所だけだ。このどちらかに警備を集中させておいて、あえて手薄なルートを作ろうと思う」
「手薄なルートを。物資の略奪を狙わせて捕縛するわけか」
「うん。本人は出てこないだろうけど……繋がりはできるはず」
ハンデッドに警備の情報を漏らしたあと、手薄なルートにはすべて憲兵団を少数だけ配備する。ただし露骨ではない程度に、だ。襲撃の規模は大きくならないだろうと推測するリズベットにオルケスは首を傾げた。
「もともと雇っていた連中が勢力の外になったとして、ハストン卿が率いる私兵の数は把握できていないんじゃないか? どちらかを厳重にするつもりなら、憲兵団も自警団もそれほどの人数は割けないぞ」
「そこは問題ないよ。むこうもそんなに居ないからね、絶対に」
もし私兵を多数投入できるのなら、わざわざ盗賊に声を掛けるまでもない。多額の投資金は自分への目を向けさせないための細工として使われ、ロッチャに足を運ぶのも本人と従者程度だ。大勢を引き連れていればオルガからの情報もあったはずで、奪われた物資の見張りもふたり──おそらくはいても数える程度の人数で交代しながら──で管理されていた。それは彼自身が接触する人数を極力絞ることで裏切り者が出たり、自分への警戒心が向くのを逸らすためだとリズベットは推測する。
「森のどこかに兵を隠してるとしてもオルガたちよりずっと数は少ないのは確かよ、オルケス。秘密というのは数が多ければ多いほど漏れやすいものだから」
ソフィアはこのときスケアクロウズ家のことを思い出していた。いくつも生み出された魔道具の売買が生んだ小さな綻びから魔女に知れたのは偶然ではない。今回のハンデッドの件は、それに類するものだ。彼は警戒心が強く蛇のようにじりじり這って獲物を掻っ攫おうとしていたが、手を出す相手を間違えてしまったと言える。
「……まあ一理ある。ハストン卿はもともと黒いうわさが絶えないから、奉公先としては選ばれにくい。それが理由で給金は悪くないそうだが」
鼻で笑った。オルケスには他人を金で雇っても、ぞんざいに扱うというのは考えられない。ハンデッドは金をちらつかせて雇用した人間を奴隷のように働かせているのを彼もうわさでは耳にしていたので、ソフィアたちの話を聞くと反吐が出る思いだった。
「つまりあれだな、連中をおびき出して捕まえたあとで洗いざらい喋ってもらえばいいわけだ。ハストン卿が慌てふためくすがたが目に浮かぶ」
「でしょ、でしょ。で、その具体的な配置の話なんだけど──」
話は順調に進み、最終案は翌朝にルーカスも加えて決定したあと、陽が暮れるまでに準備を済ませる流れになった。ほどよく纏まったところで疲れを残してはならないとオルケスが席を立ち、床で寝ている部下たちを蹴り起こす。
「おい、飲み潰れるなよ。二日酔いでもされては困る」
「起こし方が乱暴ね。蹴ったら可哀想よ?」
「よく鍛えてるもんでな。軽い起こし方ではビクともせんのだよ」
やれやれと呆れながらも、表情は愉しげだ。
「それでは、また明日。君たちの活躍に期待している」
「ええ、ありがとう。また頼りにさせてもらうわね」
宴も終わり、酒場は静かになる。店主に挨拶を済ませ、代金を支払おうとすると「ダルマーニャ子爵様から既に頂いております」と言われて、ふたりは顔を見合わせた。話に夢中になっているあいだに彼が済ませていたらしい。
「しっかりしてるものね、お酒を浴びるほど飲んでたのに」
「そのうえなんにも言わないんだもん。明日、礼を言っておかないと」
退店して、そのあとはのんびり馬車でルーカスの家へ。帰って来てみるとまだ灯りがついていて、ルーカスはふたりを待っているあいだに部屋の片づけをしていた。「おかえりなさい」と出迎える彼の目はすこし眠たそうだ。
「ベッドメイキングは済ませておきましたから、いつでもお休みになれますよ。寝る前になにか温かいものでも飲まれますか?」
「いいえ、このままゆっくり眠るわ。でも気にしなくて良かったのに」
「僕はあまりお手伝いできませんから。任せっきりは心苦しくて」
申し訳なさそうにして頭を掻く。自分だけが町で彼女たちに働かせてばかりなのが落ち着かず、なにかできないかを考えたときに拠点として使いやすいようにしておくことだった。「すみません、これくらいしかできず」とやんわり頭を下げる。
「そんな。十分助けられてるよ、アタシたち」
「ふふ、だといいんですけど。それじゃあ、また明日に」
「ええ。オルケスが来たら私たちも話に参加するわ」
「お願いします。ゆっくり休んでくださいね」