第9話「魔女の真似事」
失礼かどうかよりも、いきなりだったのでふたりは驚いた。決して嫌な顏ひとつ浮かべたりせず、チャントは「いいよ、俺たちに絶対必要なものじゃない」そう言って自分の首に下げたロケットを彼女に投げ渡す。
「金は要らない、俺たちはじゅうぶん生活に満足してるからな」
「そうそう。別に困ってないからね。貰っちゃっていいわよ」
中に入っている写真だけ抜いてくれさえすれば、新しいロケットを買ってもいいとふたりは言う。
「ありがとう。どうしても必要だったし、リズの役にも立ちそうだから」
「よく分かんねえが力になれるのなら全然。それより飲めって!」
チャントがぶどう酒のボトルを持ってソフィアのグラスへ注ぎにやってくる。彼女は平然と飲み、顏をわずかに紅くすることもなかった。
「うう、そろそろ眠くなってきちまったなあ……」
「お開きにしようか、リズベットも寝ちゃったしね」
料理もほとんど四人で食べきり、アイリーンはチャントを自室に連れて行こうと肩を貸す。
「ソフィア、悪いけどリズベットを運んであげられる?」
「ええ、大丈夫よ。部屋は二階だったかしら」
「正解。あがってすぐの部屋だから」
「助かるわ。おやすみなさい、アイリーン」
「おやすみ、ソフィア。朝食は用意しとくよ」
自室へ戻ったのを見送ってから、床の上でぶどう酒のボトルを抱えて眠るリズベットに手を伸ばす。腕輪から一瞬、ふわりと紫煙が吐き出されるように舞った。荊は彼女を傷つけないよう形を変えて棘に触れさせず持ち上げ、それから両腕に抱える。
「ほら、リズ。風邪を引いてしまうから行きましょう」
「んん……うん、ベッドで寝るぅ」
「まったく。見栄を張ったわりは弱いんだから」
部屋へ連れていき、ぐうぐうと眠る彼女をベッドに優しく寝かせて、ソフィアはひとまず窓辺に置いてあったひとり掛けのソファに座ってひと息つく。預かったロケットから写真を抜き取り、机に伏せた。
「リズ、私はすこし用があるからゆっくり寝ていてくれる?」
傍に寄り、リズベットの頬を指先で優しく撫でる。
「あなたが喜んでくれるかどうかは分からないけど、魔女の真似事をしてみようと思うの。……いつか会ったら謝らないとね」
勝手に魔法を使って、もし誰かに見られでもしたらという不安はあったが、今回の仕事はソフィアに関わりの深い話だ。スケアクロウズが保身のために生み出した魔法の遺物は自らの手で回収しなくてはならない。そうした決意のもと、彼女は宿を出た。
夜も更けて長く、町は歩く人々のすがたもなく眠りについたように静かだ。その中でソフィアは片手にロケットの紐を絡めてから指をパチンと鳴らし、低くかざす。ロケットにふわりと紫煙がまとわりつき、やがてどこかへ導こうと道を薄ぼんやりと光らせる。どこかへ続いているらしく、ソフィアは後を追い掛けた。
小さな町とはいえ歩くには十分すぎるほどの広さで、みちしるべとなる紫煙の輝きを数十分掛けて辿り、やがて辿り着いたのは町の片隅にあるおんぼろ宿──とても人が泊まる場所には見えない──の前に到着する。
「ふうん、町の近くにでもいるのかと思ったら目立たない宿を選んでいたのね。たしかに隠れ家にするには最適かしら。──それとも」
扉には鍵が掛かっているが、ソフィアが触れれば紫煙が舞ってカチャリと音をたてる。ゆっくり押し開けば軋んでもおかしくなさそうな扉は意外にも沈黙を貫いた。紫煙の輝きは平屋のぼろ宿の廊下へ続く。
みればうっすらと一室の隙間から光が漏れている。近付いて覗いてみたが、すがたは確認できない。その代わり、誰かの話す声が漏れてきた。
「それにしても質のいい銀細工もあったもんだ。見たところ年代物だが、どこでこんなものを手に入れたんだね?」
「ウェイリッジで忍び込んだカレアナ商会で貰ってきてやったのさ。大切な品だから売れないなんて話してるのを耳にしてね。良い拾いもんだったぜ」
男たちの愉悦に満ちた笑い声が聞こえてくる。ソフィアはもうすこし覗けないかと扉に手を振れる。紫煙が舞い、また扉は音も立てず静かにうっすらと隙間を開ける。覗き込んでみれば、気付いていない様子で酒をあおぐふたりの男が目に映った。
ひとりはいくらか立派な衣服に身を包み、銀細工を放っては掴んで遊んでいて、もうひとりは憲兵の制服を着ていた。商人はどうやら憲兵のひとりに金を渡して門を抜け、その後に遠い町から盗んできた銀細工を売りさばいていたようだ。
「しかしエワルド、俺が憲兵の連中を騙していられるのも限界だ。ダルマーニャ子爵殿は鼻が利く方でな、そろそろ町を出たほうがいい」
「……おお、アイヴァン。あんたが俺のダチで良かったよ、おかげでいい儲けになった。明日の昼には此処を発つ予定だ、安心してくれ。俺も嫌な予感がしてね」
そこまで聞いてソフィアは、もう聞く必要はないと静かに宿を出た。魔法を使って彼らに気付かれでもしたら困るのは彼女のほうで、ひとまずは明日を待つことにして帰路に着く。居場所は既に掴んでいて追跡も難しくない相手だ。名前も知れたので、あとはリズベットと共にオルケスに直接会えば済むだろう。
夜風にぶるっと小さく身を震わせながら、何か一枚でも羽織ってくるべきだったと後悔した。