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銀荊の魔女─スケアクロウズ─  作者: 智慧砂猫
第二部 スケアクロウズと冷たい伯爵
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エピローグ③『悪魔の夜②』

 彼女の恐ろしさをクレイグが思い知ったのは、そのすぐあとだ。


 言われたとおりに牢から飛び出したときに誰のすがたも見えない地下牢──看守さえ見当たらない──を抜けて地上の空気を吸い、冷静さをもっておぞましさを感じる。ほかの誰かの気配がないのだ、どこにも。恐ろしいほどの孤独だった。


(……夜、だからか? それにしては王城のなかも静かすぎる)


 どこへいっても誰に会うこともない。巡回の時間が過ぎたのかと思いつつも警戒して歩き回る。十分もすれば、シトリンはかならず追い掛けてくるだろう。城のなかで息をひそめるよりも広い街中に出てしまったほうが逃げ切れると考えた。


 ひとまず移動するのに馬は使えないかと厩舎に顔を出してみたが一頭も見当たらない。仕方なく自分の足で移動を始め、追跡がないか注意を払って隠れながら敷地のそとへ。彼は自分の目を疑い、唖然とする。


「誰もいないのか? 王都だというのに何が起きてる?」


 奇妙なほど静か。馬車も走っていないし、酒場は息を止めたように静かだ。いつもなら酒を飲んで泥酔しながら歩き回る厄介者さえおらず、世界に自分ひとりだけなのかと恐ろしくなった。しかしゆっくり考えている場合ではない。夜明けまでの数時間を逃げ切らなくてはならないのだから、いくら広いとはいえ油断はせず慎重に、と行動を開始した。


 近衛隊のなかでもクレイグは特に巡回に力を入れていた。頭のなかにしっかり叩き込まれている地図は自然と彼の向かうべき場所を最適化させる。


 そうして隠れた誰も知らないような貧民区の小さな空き家などに隠れても、彼女はやってくるのだ。「このあたりにいると思ったのですが」そう言っては去っていきホッとするのも束の間、すぐに戻ってきて探し始める。念のため確保しておいた逃げ道からさらに入り組んだような場所に身を潜めても彼女はかならず近くにいた。


(どうなってるんだ……どこへ逃げても隠れても、まるでぴったりくっついてくる。同じ足跡をたどるみたいにぴったりとだ! なんて気味の悪い女だろう、あれは。いったいどこへ行けばいい。それにどうして町には誰もいないんだ……?)


 普段から冷静なクレイグもこうなっては落ち着かない。苦虫を噛み潰す思いで選んだのは、エイリンを沈めて殺した河川沿いにある水路だ。通りからは目につかず隠れるにはうってつけ。隠れられそうな場所を選ぶから逆に見つかってしまう可能性も含めて、いざとなれば暗闇でも自分の感覚を頼りに地下水路へ逃げ込めば見つかるまいと思った。


「あら、遅かったですね。散策は楽しめましたか?」


 水路に足を踏み入れようとした瞬間、待ち構えていたとばかりにシトリンがすがたを現した。なにを考えているかも分からない瞳が彼を映す。


「ど、どうして俺がここに来ると分かって……」

「はて。あなたは自分の選択が安全だとどうして(・・・・)思ったのです?」


 彼女は黒い革の手袋をして、ゆっくり彼に近づいていく。


「や、やめろ! 近寄るんじゃない!」


 念のため手に入れていた一本のナイフを向ける。オクタヴィアには届かないものの、近衛隊では実力者である彼には刀剣でなくてもじゅうぶんだ。いざとなれば素手でシトリンを押さえ込み、どうにかするしかない。殺すという選択もあった。


「そうやってまた誰かの口封じをすれば済むと思っているのですか、エイリン令嬢のように。あなたという人間は、どこまでも薄汚く残酷で罪悪感の欠片もない」


「生きていくには必要な知恵だ。お前さえいなくなれば済む」

「平穏な日常に戻れるとでも? 愚かな話です」


 彼女の傍から紫煙が漂い始める。警戒して身構えるも、クレイグはすこしずつ自分のからだから力が抜けていくのを感じた。視界はかすみはじめ、立っていることが出来ず、数度咳き込んだあとで体勢を保てず仰向けに倒れた。


「いいですか、クレイグ。よくお聞きなさい」


 彼は力が抜けて動けず視界はハッキリしていない状態だったが、しかし意識は保たれたままシトリンが語り掛けてくるのを聞く。


「他人の明日を奪っておきながら自分だけがのうのうと生きていられるなんて勘違いも甚だしい。どれだけ罪深くとも神はあなたが懺悔をすれば聞き入れてくれるでしょうが、生憎ながら関わるべき相手を間違えましたね。私は神でも遣いでもない。ただ純粋な、あなたと同じ、いえ、あなた以上の邪悪。それこそが私ですので」


 彼の首を掴んで持ち上げる。見目に華奢な女性とは思えない腕力と締め上げる握力は、いまに折れてもおかしくない。ただでさえ呼吸も難しいほどだ。もがこうとしても力が入らず、まるで人形のようにぶらんと手足は垂れたまま。


「だれひとりとして納得できなかった。あの裁判で、心優しいソフィア様やリズベット様でさえ憎しみと苦しみを抱いた。……きっと私がこんなことをしても喜ばないし、得もないでしょうが──奪ったモノの大きさを知らぬまま生かすつもりはありません」


 彼女はクレイグを捕まえたまま、流れる川の前にやってきて彼の頭を水のなかに沈めた。ゆっくり、ゆっくり。もがくこともできず強烈な息苦しさと水の侵入してくる痛みに死の恐怖を覚え、発せない言葉に頼ろうとし続ける。


「ひとつ大事なことを言い忘れていましたが」


 いちどだけ彼女が引き上げて彼に聞こえるよう言った。


「これからあなたは『自殺』するんです、あなたがエイリンを殺したのと同じ手段で。ご安心を、クレイグ。あなたのような失態は起こり得ません。なぜなら────」


 それは今まで誰にも見せたことのないようなシトリンの邪悪な微笑み。心底から嘲り、死を祝福する者の表情。その喉から発せられた声にクレイグは驚く。


『私はお前と同じ存在になれるから』


 自分の声だった。いや、それだけではない。幻覚かとも思ったが、彼の前にはたしかにいるのだ。鏡の向こうにいる自分自身が現実に飛び出してきた、と感じるほどの衝撃が走り、絶望と恐怖、そして助からないという諦観に青ざめた。


『安心したまえ。この喉が発する声も、この手で書く字も、そしてお前が過去に刻んできた記憶のすべてさえも私は共有している。魔女にも紐解けぬ呪いを遺書に刻み込んでやろう。その魂が永遠に輪廻へ還らぬように、だ』


 この期に及んでもなお、クレイグは思った。なぜ、どうして、自分がひとり殺したくらいでここまで残酷な運命を辿らなくてはならないのか。シトリンは元の姿に戻り、かつてない怒りに思考と感情を握りつぶすための言葉で矢を放つ。


「エイリンが死んだのはお前らのせいだ。無様に、そして凄惨に、彼女が苦しんだ以上の罰を与えてやる。部下の魂共々、永遠の暗闇を彷徨え、クレイグ・オルディール」

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