エピローグ①『在りし日の令嬢』
「どうかしら? リズベットお姉様みたいに似合ってる?」
鏡の前に立ち、髪飾りを指で触れる。エイリンの頭をイレーナが優しく撫でて「よく似合っている」と褒めた。もうすぐ女王陛下の誕生日パーティが開かれるというのでコーディネートも入念にチェック。気合はバッチリだ。
「良かった! イレーナお姉様はいつも褒めてくれて嬉しいわ」
「事実を述べているだけさ。それより父様に見せなくていいのか?」
「ええ、パーティの日はいっしょに行くから驚かせたくて!」
いつもは買い与えられたドレスやアクセサリーを選ぶエイリンも、自身が結婚するにあたって磨いたセンスを披露したいと自信ありげにふふんと鼻を鳴らす。
「君は頑張り屋さんだな。きっと父様も喜んでくれる」
「でしょう?……字は相変わらずうまくならないけれど」
「母様はとくに綺麗に書くものな。だが読めればいいさ」
エイリンの字は汚いわけではない。どちらかといえば綺麗なほうだが、コールドマン家のなかでは平凡と言える。彼女には苦手なものがいくつかあった。字を書く以外にも詩や編み物、音楽などを習うなかで得意だと言えるものは目立ってない。
毛先を指でくるくると弄びながらエイリンは口先を尖らせる。
「でも憧れるでしょう? 私はリズベットお姉様と比べると髪も紅くないし、ヴィンヤードの後継者として相応しいような誇れる部分がひとつでも欲しいのよ」
リズベット・コールドマン。魔女の血族であるヴィンヤードの後継者として最も相応しいとされたコールドマン家の令嬢──だった。しかしある日に彼女は家を飛び出してしまい、その後の後継者には話し合いの末にエイリンが選ばれた。
問題があったのは血の濃さだ。ヴィンヤードの血を色濃く受け継ぐ者は魔女のように紅く美しい髪を持って生まれるが、エイリンは残念ながら白金色。〝コールドマン〟としての血を継いでいた。染めても同じにはなれない決定的な違いだ。
だからか彼女は自分がどこの誰と婚姻を結ぼうと大勢が認めてくれるような才能か、あるいは誇れるような何かがひとつは欲しいと思っていた。
「イレーナお姉様は素敵よね、その黒く染めた髪」
「君も染めたらどうだ。父様は何も言わないだろ?」
「たぶん。でもヴィンヤードの後継者なら、らしく振舞わなきゃ」
「堅苦しい考えだな。だが婚約相手があれなら仕方ないか」
エイリンの婚約相手は近衛隊長の職に就いている。アニエス女王陛下からの信頼も厚く仕事の出来る男なので、エイリンの婚約者としてはじゅうぶんすぎる身分の人間だった。いささか堅苦しさの塊にも感じていたイレーナはあまり好いてはいないが。
「フッ、ああいう人間には裏の顔があるかもしれんぞ」
「まあ。オルディール卿に可愛い一面があったら面白いわね」
「……そういう意味じゃないんだが、まあそれも良いな」
ふたりでくっくっと腹を抱えて声を殺しながら笑う。エイリンのドレスの試着を終えたあとは、外出の準備を手伝った。
「今日もまた、いつものカフェに行くのか?」
「うん。名前は知らないんだけれど、良いお友達が出来たの」
「君は本当に良く好かれる子だ。相手は男性か、女性か?」
「女性よ。凛とした振る舞いをされる方なのだけれど……」
ほぼ無表情だがおしゃべりで、甘いものが大好きだという。エイリンは自分とデザートの趣味が合うからと頻繁に会いに行くほどの仲だ。
「先日はオクタヴィアにまたお茶会を断られてしまったから」
「そういう君も他の令嬢からの誘い、断ってるじゃないか」
「ふふっ、最近はね。でも前はよく参加してたのよ? 楽しいもの」
エイリンと比べてイレーナは周囲と関わるのが苦手で、天真爛漫な彼女に向けて羨望のこもった苦笑いを贈った。
「元気が良くてなによりだよ。さ、そろそろ行かないと約束の時間に遅れるとか言ってなかったか? アニサが御者と待ってるぞ」
「あら、そうだったわ。イレーナお姉様と話すのが楽しくて」
嬉しいことを、と思いながら彼女を玄関まで送り届ける。
「じゃあ行ってくるわね!」
「気をつけてな。楽しんでこいよ」
「もちろん! 夕方までには戻るから!」
馬車から手を振ってイレーナと別れ、席にすとんと腰を落とす。
となりに座っていた侍女のアニサが「相変わらず仲がよろしいですね。あたしも故郷にいる家族のことを思い出しちゃいますよ」と笑う。
「私、みーんなのことが大好きだもの。あ、それならアニサの家族も今度旅行に連れてきてあげたらどうかしら? お父様には私から言ってみるわ!」
「……ほんと、エイリンお嬢様は優しいですねえ」
「うふふ。それほどでも!」
馬車がガタゴト揺らして町中を走り抜ける。晴れ晴れとして気持ちの良い空。揺蕩う雲を馬車のなかから見上げてエイリンは言う。
「今日も良い日になると嬉しいわね、アニサ。とても良い日に!」