第8話「絶対に裏切らない」
宿に戻ればアイリーンが支度を済ませてふたりを待っていて、顔を見るなり「おかえり、いいタイミングだよ」頬杖をつきながら小さく手を振って迎えた。温かな料理の数々が狭いテーブルを隙間なく埋めて、カウンター席に人数よりも多い食器の用意がある。
「うわーっ、すごいねアイリーン! 帰ってくるまでに全部?」
「まさか。今朝から用意してたんだよ。本当は今日──」
リズベットたちに続いて店の扉が開かれ、言葉が途切れた。
「会いに来たぜ、愛しのアイリーン!」
見るからに気の良さそうな背の高い男が短い金髪を手でさあっと梳きながら、小脇に紙袋を抱えている。アイリーンはすぐに彼へ飛びついた。
「遅いよ、チャント! 今日はサプライズゲストもいるんだ!」
チャントと呼ばれた男が抱き着いてきたアイリーンの頭を撫でながら「ごめんよ、忙しくて」と視線をリズベットたちに向けて顔を明るくする。
「おお、リズベットじゃないか。モンストンに来てたんだな!」
「ひさしぶりだね、チャントさん。相変わらずラブラブだねえ」
「もちろん。もうすぐ結婚もするんだよ、式の準備も進めてる」
チャントはモンストンのエリス商会で馬車から積み荷を降ろす手伝いなどして生計を立てており、アイリーンと付き合ってもう五年になる。互いに落ち着いてきて『もうそろそろ』と相談しあって、今は順風満帆だと彼は照れながら言った。
「それで今日は休んでいいって館長から言われててさ。アイリーンとゆっくりお酒でも飲まないかって話をしてたんだけど、リズベットにも会えるなんてツイてるみたいだ。来るのは明日だって聞いてたから会えて嬉しいよ。お前にはいろいろ世話になったしな」
チャントとアイリーンが付き合う切っ掛けはリズベットだ。お互い、どこか距離のあった時期──知り合いとしての関係に留まっていた頃、彼女がたまさかどちらとも面識があり『趣味合いそうだよね』などと言い出したことが始まりだった。
甘い恋のキューピッドと呼ぶほどでもないが、感謝しているとチャントたちは話す。リズベットは嬉しさと恥ずかさが混ざり、頬をうっすら紅くして口もとをヒクつかせた。
「ま、まあいいじゃない。アタシよりもふたりが仲良くなったってのが大事だって! さ、食事にしようよ。アタシの友達もあらためて紹介したいからさ!」
それぞれ取り皿を持つと好きな場所に座って、のんびりと話しながら食事を進める。それがモンストン流の楽しみ方で、自然とチャントとアイリーンのふたりは広いテーブルで隣同士に椅子を並べて座った。
「ソフィア・スケアクロウズよ。すこし遠い場所から来たの」
ソフィアとリズベットは口裏を合わせ──盗賊に襲われたことは事実だとして──道に迷ったリズベットを家に泊めてから仲良くなって、いっしょに旅行をしているのだと話した。チャントは腕を組みながらうんうん頷き「こいつはいつもこうなんだよ」と妹を想う兄のような目を向ける。
「でも驚いたぜ、こいつに旅仲間ができるなんて」
すっかり時間も経ち、ソフィア以外は酔いに酔って顔を真っ赤に染めている。とくにチャントは茹で上がったような状態で、よく喋っていた。
「前の連れだったクソ野郎に騙されて有り金を全部持って行かれちまって、それきりずうっとひとり旅でよう。明るかったこいつが暗い顏をしてんのを見るのは辛かったんだが……良い友達が出来たみたいで本当に良かった」
飲み比べをすると意気込んでいたリズベットはそうそうに潰れ、カウンター席に座るソフィアのとなりで泥のようにぐうぐう眠っている。
「ええ、私も彼女と会えてよかった。ずっとひとりぼっちだったから……たぶん、親近感みたいなものがあったのかもしれないわね」
孤独。胸にぽっかりとある空虚が埋まる感覚。ずっと待ち望んでいたものを見つけたときの惹かれる想いに、ソフィアは「本当に嬉しい」とつぶやく。
「頼むわよ、ソフィア。あんたがいるだけでリズベットも本当に楽しそうなんだ。重いかもしんないけど、あの子が辛いのを我慢してるのは嫌でさ」
「任せて。すくなくとも私は自分から裏切ったりしないと誓えるわ」
知らない世界への扉。鍵によって固く閉ざされた向こう側。恋焦がれるように抱いた期待も消え失せ、きっと終わらない生涯を人形のように何も感じないまま過ごしていく運命だと諦めていた。だが救いの手は差し伸べられたのだ、リズベット・コールドマンという女性によって。
だから絶対に裏切らないと誓えた。命に代えても。
「……ところでひとつ聞いても構わないかしら」
ソフィアはそんな想いを胸にしまいつつ、ふたりが首から提げている銀のロケットを気にする。美しい造りのそれに、とてもわずかな違和感を覚えていた。
「それはどこで買ったの、エリス商会?」
チャントたちはロケットを指でつまみあげ、顏を見合わせて不思議そうにしながら「町に来てた商人から買ったんだ」と答えた。
「きれいなモンだったし騙されてもいいかくらいの気持ちで売ってもらったんだよ。ま、俺たちはもともと信頼しあってるから必要なんてないかもしれないが」
「……そう。すこしだけ見せてもらっても?」
「いいわよ、私のを貸してあげる」
首から外したロケットを受け取ったソフィアは、ぱちんと蓋を開く。蓋の内側に見覚えのある薔薇の刻印をみつけて彼女は目を細める。
「失礼を承知で申し上げるのだけれど、これを譲って頂けないかしら」