第53話「本当に大事なものは」
握手を交わし、ソフィアたちは邸宅に居座ることなく出発する。彼らのこれからに光が差すのを祈りながら、ようやく心地よい王都観光を──それでも今日を最後に旅立つ予定ではあったが──始めることができた。
すこしふたりで飲み物を買って歩き、ここしばらくを振り返る。
「正直、すごく疲れたわね。リズはどう?」
「アタシもいろいろありすぎて……」
エイリンが亡くなった事実だけでも衝撃的だったのに、続けざまに彼女が殺されたと知り、そのうえ犯人は元婚約者と来れば誰でも心の整理などつくはずもない。顔には出さないだけで、ふたりともかなりの疲労が溜まっている。
「でも全部上手く行って良かったよ。アタシはなんにもしてないけど」
「まさか。あなたのおかげで上手く行ったのよ」
近衛隊が複数犯であると最初に彼女が可能性を示唆しなければ、ソフィアは煙草の吸殻にはそれほど目もくれなかっただろうし、なにより王城ではクレイグ以外を警戒せず、ふいうちを受けて今頃は彼らの思った通りに事が進んでいたかもしれない。だれかひとりのおかげではなく、それぞれが役に立ったとソフィアは自信たっぷりだ。
「だと嬉しいな。エイリンに会えなかったのは残念だけど──」
彼女たちの会話に、正面から歩いてくる誰かの声が重なった。
「ソフィア様! 今日の裁判、聞きましたよ!」
前から歩いてきたのはリタだ。傍にはオクタヴィアもいる。
「あら、ふたりとも。王城での仕事はどうしたの?」
「私とリタはしばらく休むことになったんです」
本人たちはまったく恐怖など感じていなかったが、クレイグらに襲撃を受けた事実からしばらくは療養をすべきだとアニエスに言われて──おそらくは働き者であるふたりに休暇を取らせたかったのだろうとソフィアは察する──いちどは断ったものの強く押されたのもあり、今はエイリンの墓を訪ねるところだった。
「エイリン令嬢には世話になっておきながら何もしてあげられませんでしたから、せめて花を供えてひと言でも残していけたらと思いまして。レディ・ソフィア、あなた方はこれから町の観光をされるのですか?」
「ええ。全部終わったから、ようやくゆっくり見て回れるわ」
「明日にはここを発ってウェイリッジに戻る予定だけどね!」
あまりに知っている顔が多いと、のんびり羽を伸ばしていられない。会えば挨拶だけでは済まなくなるし、ふたりでゆっくり過ごす時間が欲しかった彼女たちは早々に王都を出て行き、馬車で旅を再開して自然に囲まれながら過ごすつもりだ。
これにはオクタヴィアも羨ましそうな顔をした。
「いいですね。ウェイリッジは治安も良いですし、ちかくにはミリアムウッドもあるでしょう? 現在は魔女様所有の地だそうですから、おふたりなら入れるのでは?」
ソフィアが思い出して手を叩く。
「そういえば聞いたことがあるわ。昔はミリアムの森と呼んでいて、たしか魔女様の友人が暮らしていたんでしょう?」
「はい。そのあとに魔女様が当時の女王陛下に口利きをしたそうです」
森の所有権を持っていた〝クレヴァリー・ミリアム〟という女性が亡くなり、今はただひとりの友人であったローズが『私の許可がなければ誰の立ち入りもさせないでほしい』と悼み、誰も荒らさせたくないという想いから管理を任されている者だけが定期的に足を踏み入れるだけとなっている場所だ。
「今くらいの時期になると、よく魔女様はウェイリッジを経由して訪れていると耳にしたことがあります。私もお会いしたいものですね」
魔女は誰にとっても尊敬の念を抱かれる。絶対的な自己のルールを徹底し、これまでに何人もの悪事が明るみになってきた。その気高さにオクタヴィアは幼少の頃から憧れてきて、剣の腕を磨き続け誉れある近衛隊の副隊長に就いたのだ。だからこそ魔女との繋がりがあるソフィアたちを羨ましがった。
「いいなあ、ソフィア様たちはこれから旅行かあ……」
「リタ。あなたも長期休暇を頂いたんじゃないの?」
「私は後輩が待ってますから! えっへん!」
働き者のリタはエイリンの墓参りが済めばすぐにでも王城へ戻って復帰したいくらいだった。ほかの同僚に任せても良いのではないかと提案はあったが『教え方が急に変わってしまうと後輩たちが困ってしまう』と、昨晩の出来事があったので自身が失敗しないためにすこしは休養を取るようにアニエスに勧められては断り切れず、二日だけ休むことにしたらしい。
その気持ちはオクタヴィアも同じだ。
「私も傾いた近衛隊の再建を急がねばなりません。休暇はいただきましたが、できるかぎりはやく復帰するつもりです。……さて、長話で引き留めてしまいましたね、今回のことはありがとうございました。私たちもそろそろ行きましょう、リタ」
「はい! 行きましょう、オクタヴィア様!」
軽いハグと握手を交わしてオクタヴィアたちを見送る。ふたりの明るく話しながら歩くすがたを見て、リズベットがすこしだけ寂しそうな笑みを向けた。
そこに見えたのは、もしかしたらあったかもしれない未来。
「……ねえ、ソフィア。アタシね、」
彼女の小さな手を握り、自分よりも華奢だと思った。
「言われたんだ、シトリンさんに。『本当に大事なものを手放して拾うことも出来ない未来を想いながら、自分に嘘をついて泣くのを我慢しているのがエイリンの憧れた姉のすがたですか』って、いつもみたいに無表情だったけどすごく怒ってて」
ぎゅうっと握る手に力がこもった。
「もう絶対に君の手を放したりない、エイリンが誇れるようなお姉ちゃんになる。──だからソフィア、もういちどだけアタシにチャンスをもらえないかな」
フッと笑ったソフィアが、とんっと優しく肩をぶつける。
「そんなの当たり前じゃない。これからもよろしくね、リズ」