第51話「報告」
帰り支度をして全員に挨拶を済ませて出て行こうとしたとき、シトリンが小さく手を挙げる。「私、すこし用があるので今日はこれで」そう言って、王城内で別れた。
「シトリンさん、用事ってなんだろうね?」
「……さあ、なにかしら。私たちは先に帰りましょ」
なにかよからぬことを考えているのはすぐに分かった。無表情からでもわずかに感じ取れる殺意のようなものがクレイグに向けられている、と。それは自分が貧民区で彼女に助けられたときの感覚に近い。おそらく何らかの不幸が起きるであろうとは思ったが、リズベットたちが不思議がるのに対しておくびにも出さず帰路に着く。帰りの馬車はイレーナが御者を務めた。
「お疲れ様、ソフィア。大変だったのになにも力になれなくてごめんね。……それどころか、君に迷惑ばかりかけちゃって」
「いいのよ。終わりよければ、って言うでしょ?」
リズベットとも再び繋がることができ、彼女のために家族の死の真相を突き止めた。アゼルとも揉めはしたが、彼のことを決して心底から嫌っているわけではない。そこに事情が見えるのならソフィアも別に彼を根底から否定するつもりはなかった。
邸宅まで帰ってきてイレーナが「着いたぞ」と疲れた顔をする。母親であるレヴァリーの介助もして、今回の件にも積極的に関わったおかげでずいぶんと疲弊しているのは確かだろう。やっと休める、と弱々しく笑っていた。
「戻って来たか。待っていたぞ、落ち着かなくてな」
玄関の前で出迎えたアゼルが彼女たちの明るい表情を見て結果を察するに、安堵の息を漏らす。どうだったと尋ねるよりも先に玄関を開けて「なかで話を聞かせてくれ」と、あのいつも冷たくあしらうような表情もなくやんわりと微笑む。
「父様、私は母様の様子を見てきます」
「頼んだ、イレーナ。疲れているのに悪いな」
「……ハハッ。ねぎらいの言葉なんて久しぶりですね」
ひらひら手を振りながら邸内でイレーナは別れる。ソフィアたちはアゼルといっしょにふたたび応接室へやってきて、まずはひと段落とソファにどっかり座った。
「上手くいったようだな。何か飲み物でも……」
「要らないわ。先に話が聞きたいでしょう?」
「気遣い感謝する。ではそうさせて頂こうか」
彼にとってなによりも重要なことを後回しにさせるつもりはない。ソフィアは裁判で明らかになったクレイグの本性と、一年前にエイリン令嬢の身に何が起きたのかを細かく説明する。彼の表情が暗くなっていき、目に涙を浮かべた。
「そうか、そうか。あの子は最後まで真面目な子だったか」
「話せることはすべて話したわ。納得、できたかしら」
「ああ、とても。……しかしそれでもリズベットは渡せない」
アゼルはハッキリとそう言って真剣なまなざしを向ける。
「私は正直言って、もう歳だ。みな、私が老いてからの子ばかりで、レヴァリーのことを看てやれるのはイレーナだけ。そして彼女には家門を継ぐ意思もない。エイリンもいない今、継げるのはもうリズベットだけだ」
エイリンの死から立ち直れずにいるレヴァリーが正気を取り戻すには誰かがコールドマン家の名を背負い、ヴィンヤードの血を継いで新たな子を産む以外にないという彼の考えに真っ向から対したのはリズベットだ。
「アタシの人生なのに、どうして父さんに全部仕切られるの?」
もちろん妹の死は悲しいが、それとこれとは別問題として考えるようになったリズベットの強い言葉も、アゼルはかぶりを振って拒否をする。
「そうするしかない。お前がいやだと言っても、あの頃とは違う。……エイリンのためだと思って諦めてほしい、リズベット。そうすればみんな──」
彼の言葉を遮るように、部屋の誰でもない声が響く。
「もうやめましょう、あなた。私たちの想いを押し付けるのは」
部屋の扉を開けて顔を出したのはレヴァリーだ。その表情は以前にソフィアが会ったときとは別人のようにしっかりしていた。傍にはイレーナが困った顔で立っている。
「すみません、母様がどうしてもと聞かなくて」
レヴァリーがソフィアに向き直り、小さく頭を下げた。
「あなたがソフィアさんね。ちょっとついてきてくださるかしら」
「……ええ、喜んで。どちらへ?」
「この邸宅の裏庭よ。あなたにもエイリンに会ってほしくて」
アゼルは止めようとしなかった。なぜレヴァリーが突然やってきたのか。彼女の瞳を見れば、長年夫婦をしてきた彼にはひと目でわかったから。
レヴァリーに案内されて、ソフィアとリズベットは裏庭を歩く。美しい花々に囲まれた石碑は、賑わいのなかにあってひときわ静かに佇んでいた。
「エイリンの墓なの」彼女は言った。一年前、その亡骸を棺桶に寝かせて埋めたとき以来、誰もが現実から逃げるように花を供えるだけで終わらせてきた小さな石碑を前にして、どこまでも寂しそうな表情を浮かべて。
「イレーナから聞かされたわ、裁判の話。だからあなたをここに連れて来たの。……本当は分かってたのに、私はなにひとつ受け入れられなかった。でもあなたのおかげで今は前に進める。そのついでだけれど、ひとつ頼まれてほしいの」
ソフィアがスカートの裾を持ちあげて丁寧にお辞儀をする。
「私で良ければ聞きますわ、レヴァリー夫人」
レヴァリーは痩せぎすで病弱だ。陽の光に当たっているのも辛いだろう。それでもソフィアを連れて来てエイリンの墓参りをさせたのには意味がある。死者であり言葉を伝えることもできないエイリンがもし願うとしたら、ひとつしかないからだ。
「ありがとう、ソフィアさん。──どうかこれからもリズベットのことをよろしくお願いします。エイリンが憧れた美しい生き方をする大切な子だから」