第49話「届けられた声」
法廷内がざわつく。裁判官として迎えられた大貴族たちはソフィアが魔女の代理と聞いて驚いた。世界に魔女はひとりだけ、それが常識だったからだ。
ひとりがこほんと咳払いをして手を挙げた。
「つまり魔女の弟子……と思ってよろしいですかな?」
「そのような認識で構いませんわ。しかし今は重要ではありません」
大事なのは、と証拠品を手に高く掲げる。
「この捏造された証拠から真実を暴くこと、それが最も大切です」
警備をしている近衛隊の女性に声を掛けて小さなテーブルを用意してもらい、遺書や日記を並べて置く。その前にソフィアは、先に自分へ質問をした老齢の男に「すこしご協力願えますか?」とやんわり声を掛ける。
「む……。私がなにをしたら良いのだろうか」
「私がこれから行うことが嘘ひとつない証明をしたいのです」
座ったままで結構と言って彼の額に手を伸ばす。指先でこつんと突いて、彼女は「いくつか質問にお答えいただけますか?」と尋ねた。そのとき彼らには極めて普通の質問にしか感じられなかったが「あなたのいちばん嫌いな人物を挙げてください」そう言われたとき、男は心底気まずそうな顔をして拒否しようとしたが、口は勝手に動きだす。
「ハストン卿だ。昔は友人だったが、いつも媚びているのが目に見えて分かる男で昨夜は私が遠方から帰ってくるなり訪ねて、アニエス女王陛下に帰らされただの、あいつは若すぎて政治が分かっていないといつもより激しい罵詈雑言を口にしていた」
慌てて口をふさぐ。いくら嫌いとはいえ陰口を叩いたり、告げ口をするのを彼は嫌うらしく、いささか憤慨した様子でソフィアに目を細める。
「そう怒らないで。これは私が魔法を使えるというデモンストレーションに過ぎず、人によってはうまく言い方を変えてすり抜ける者もいます。しかし何も知らないからこそ効果はハッキリと出たはず。皆様もご理解頂けましたね?」
ちらと傍聴しているシトリンに上手く出来ていたかを尋ねるような視線を送る。親指を立てて返されて胸をなでおろす。
彼らを信じさせるためには必要な行いだったが、クレイグも馬鹿ではないので、半端なことをすればうまく掻い潜る可能性もあった。だから遺書の嘘を暴き、誰もが納得できる結末を用意する。退路を断ち、彼を最も重い罪で裁くために。
「ここにあるのはまず、エイリンの遺書とされるもの。それから彼女自身が書いた日記や姉であるリズベット・コールドマンに送られた手紙。私たちは遺書が捏造されたものだと考え、本人がみずから書いたとされるものを用意しました。これらはアゼル・コールドマンの了解も得たうえでお借りしたものです」
ソフィアが遺書や日記帳に触れる。紫煙がふわりと舞い、書かれた文字がべりべりと音を立てながらはがれて宙に浮く。
「この魔法を使えば手紙は証拠としての効力を失われますが……これを聞き判決を下す場では最も効果的になるでしょう」
浮いた文字に手を伸ばす。握ったのは遺書の文字だ。彼女がぎゅっとした途端、法廷には声が響く。だれとも分からない者の声が。
『もう耐えられません。今までは平気なふりをしてきましたが──」
手紙の内容を読み上げる声は男のものだった。
「これは手紙の内容を書いた人間の声で伝える……そんな魔法です。ひとつに一度しか使えないので、まだまだ改良の余地はありますが」
故人の声を聞きたいという者のためにある魔法。ただし文字を潰してしまうので二度と元には戻らない。いつかは何度でも繰り返せるような魔法にしたい期待を込めたひと言。ここでも本来はまだ使いたくないとさえ思っていた。
「ハッ、下らん。その声自体、本当かどうかも怪しいな。お前が作った声を聞かせているだけじゃないのか。なんの証拠になるって言うんだね?」
口を挟んだクレイグが蔑み、小馬鹿にする。ソフィアが魔女だと分かっても彼女の手段などハッタリだと言いたそうにからだをぶらつかせて、ひどい態度をみせた。
「……私はエイリン令嬢のことをひとつも知らないわ、だから魔法を使って彼女の声を拾っても判別がつかない。──でもここには、そのエイリン令嬢とは仲の良かったひとたちがたくさんいる。たかが一年で忘れるような関係なのはあなたくらいよ」
浮いた文字、今度はエイリンの日記帳から握りしめた。
『今日はオクタヴィアに、お茶会の誘いを断られました』
そんなひと言から始まると、法廷の出入り口前に立つ彼女が赤面する。
『いつも時間が合わないと言って遊んではくれないけれど、でも私を見るときの優しそうな顔を見るとしつこくは言えなかった。めげずに明日も誘ってみなくちゃ!』
次の言葉を握りしめ、今度はアニエスのほうへ向く。
『女王陛下が『呼び捨てにして、私たち友達でしょ』と言った。さすがにそんなことは出来ないと断ったけれど、いつかふたりだけのときにこっそり呼んでみようかな? ふたりだけの内緒みたいにして! そうしたら喜んでくれるかしら?』
アニエスは両手で口もとを押さえ、今にも泣きそうな目をした。
「……間違いないわ、あの子よ。エイリンの声」
オクタヴィアも、そして裁判官たちもコールドマン家の令嬢に関してはよく知る間柄である以上、彼女の声だと分かってしきりに頷いていた。
「ほかにも王城で働くメイドのリタや、数名の友人に関してよく日記を書かれていたようです。なにより彼女は姉を大事に想っていて、家庭では問題も起きていなかった、むしろ逆であったとイレーナ令嬢などからの聴取も済んでいます」
くるりとクレイグに向きなおり、鋭く睨みつける。
「これが私から提示できる証拠。──ここからはあなたにすべて喋ってもらう」
椅子に座らされたクレイグの額に手を伸ばす。指先で小突き、紫煙が舞う。
「なんのためにエイリンを殺害したのか、ただのひとつも漏らさずに話しなさい」