第43話「待ち伏せ」
もう足音を立てても気にしない。遠ざかっていく足音も彼らが自らの話声で上書きをする。もう声も届かないところまで離れてから、紅玉の指輪を通じてシトリンに「ねえ、さっきの話は聞こえてたでしょう?」と呼びかけた。
指輪がぼんやりと輝き、ふわりと紫煙が舞う。
「聞こえていましたよ。ずっと傍にいましたから」
ソフィアの背後にシトリンはいて、ぴったりついて歩いている。
「それで私はリタ様かオクタヴィア様か、どちらに?」
「リタは任せて。あなたはオクタヴィアのほうへ」
「いいんですか? 私、こう見えても強いですよ」
決してソフィアが非力と言っているわけではないが、ひ弱なリタを守るのならば自分のほうが適任ではないかと思ったらしい。
「だから私が行くのよ。クレイグがどっちへ向かうか分かるでしょ」
「……あ、それもそうですね。了承いたしました」
近衛隊のオクタヴィアは副隊長職であり、剣術の腕前は相当なものだ。クレイグが部下と役割を分けるうえで彼女の存在は大きく、リタにはおそらく大した人数を割くまいと予想し、まだ全快とも言い切れないソフィアが向かう。
「話してくれるかどうかは分からないけれど……」
「あら、それでしたら魔法を使えば手っ取り早いのに」
「ふふっ。そんな都合の良い魔法なんて──あっ?」
思わず足を止めてしまうほどだったのは、都合の良い魔法が存在するからだ。真実以外を口にすることが出来なくなるような魔法が、たしかにある。長い年月を孤独に過ごしたせいで使う機会のなかったものが彼女の記憶から掘り起こされた。
「……はあ。からだは年老いてるわけでもないのに、どうしてこうも記憶力が悪いのかしら。自慢にしてるつもりだったんだけれど」
「そういうこともありますよ。でも良い口実ができましたね」
それもそうだとソフィアがにやりとした。近衛隊は常に複数人で行動しているため誰が敵で誰が味方か分からない。いくら聞き出したいからといって、なんの容疑もなしにおいそれと魔法を使って証拠を集めるのは難しい。
だが今夜は違う。クレイグを中心とした敵だけが揃っていた。
「聞き出すための大義名分があればこっちのものよ。本当はクレイグのほうへ私が行きたかったけれど私だけでどうにかなる相手かも分からないから……あなたには申し訳ないけれど今回だけ頼らせてちょうだい、シトリンさん」
気弱な言葉ではなかった。クレイグのところへ行きたいのは今も変わらない。ただ肉体的に負担の大きい状態のなかで無理をして自分が失態を犯せば元も子もない。ここまでの努力をゼロにしないために彼女の協力は必須だ。どんな手段を使ってでもすべてを明らかにするという強い決意がそこにあった。
「……ええ、お任せください。必ずお役に立ってみせましょう」
「じゃ、またあとでね。こんど美味しいものを奢るわ」
「それはそれは。楽しみにさせてもらいますね」
いちど別れてソフィアはリタのもとへ駆ける。メイドたちは王城内にあてがわれたフロアがあり、多くは部屋を決まった人数でシェアしている状態だ。指を鳴らして漂わせた紫煙の伸びた先を辿ってひとつの部屋の前に立った。
「……ここね。よし、ちょっと同室の子がいたら悪いけれど」
数回ノックする。元気のないリタの声が聞こえた。
「どちらさまですか?」
「私よ、リタ。すこしいいかしら」
カチャリと扉が開く。顔をのぞかせたリタが笑顔で迎える。
「どうしたんですか、今日はもう解散だって言ってたのに」
「あなたに会いたくて……というのは冗談なんだけれど」
まだ誰もやってきていないか周囲を警戒しつつ、部屋の中に入って扉を閉めた。鍵を掛け、リタ以外がいないことにすこしだけ安堵する。
「いい? 信じてもらえるか分からないけれど、あなたは命を狙われてるわ。その理由は……まあ、説明するまでもなくさっきのことが原因よ」
「えっ!? そ、それってクレイグ様たちが?」
動揺が隠せず大声を出してしまい、咄嗟に口を手でふさぐ。
「ええ、本当ならここから逃げるべきなんでしょうね。でも彼らには捕まえて聞き出したいことがあるの。そのために、あえてここで待ち構えたいのだけれど協力してくれないかしら? あなたにとっても聞きたい話かもしれないし」
何がなんだか分かっていないといった雰囲気のリタだが、コクコクと頷いた。ソフィアが嘘を言っているふうには感じなかったし、理由もない。優しく褒めてくれる彼女のすがたに『絶対に嘘をつくはずがない』と信じたからだ。
「わ、私は何をしたらいいですかソフィア様?」
「何もしなくていいわ。ここを貸してくれさえすれば」
荊の腕輪が部屋の灯りできらりと光る。
「ひとつお願いがあるとしたら、他言無用ってところかしら? 今からあなたが目にするのはたぶん、今日まで経験してきたなかでいちばん驚く出来事でしょうから」




