第40話「リタの行方を追って」
厨房の近くまでやってくると吸い寄せられるような甘い香りが漂ってくる。お菓子が好きなソフィアは気分が良くなり、もしかしたらを期待する。
「失礼します、すこしお時間よろしいですか?」
オクタヴィアがやってくるのに、厨房にいたメイドや料理人が目を丸くする。彼女が訪ねてくることなど基本的にはないので、なにか問題があったのかと心穏やかではなかった。しかし傍にいたソフィアたちが「良い香りね、お菓子は?」と顔を出したのを見てくすっと笑う。悪い話ではないようだ、とホッとした。
「さっき焼いたクッキーの余りがありますよ」
ふくよかな男は厨房の責任者なのだろう。ふふんと自慢げにして一歩前に出ると、皿に盛っていたクッキーをソフィアたちに差しだす。
「頂こうかしら。……ところでリタはこちらに?」
「リタですか? 彼女でしたらさきほど出て行かれましたよ」
いっしょになってクッキーを焼き、冷めるのを待っていたらしい。ラッピングを済ませたらパーティに参加せず巡回をしてまわる近衛隊の面々に配ってくるのだとニコニコしながら厨房を出て行った──というのがほんのすこし前のことで、どうやら入れ違いになったようだ。「どうします?」とオクタヴィアが耳元で尋ねる。
「うーん、そうね。せっかくだし探しに行ってみましょうか」
聞きたい話はすべてリタにある。厨房の人々にドレスの裾を持ちあげて「美味しいクッキーをありがとう」と礼を述べてから出て行き、すぐにリタを追うためにソフィアは扉がきちんと閉まっているかを確認してから指をパチンと鳴らす。
紫煙がふわっと舞って、どこかへ導くように流れていく。
「……ソフィア令嬢。これはいったい?」
驚くオクタヴィアの前に、またしてもひょこっとシトリンが出る。
「彼女は魔女ローズのお墨付き。もっと簡潔に言えば魔女代理、世界に二人目の魔女です。……ご本人曰く、あまり公表したくないとのことですので、できれば口は閉ざしておいていただけるとありがたいですね。あ、ちなみに私はローズ様の侍女です」
最後にしれっと自分のことを良い感じに話したが、オクタヴィアがその部分をはっきり意識することはなく、視線が向かったのはソフィアのほうだ。
「第二の魔女……ああ、だから女王陛下と親し気に話していたのですね。普通は恐れ多くて委縮しがちなものですが、どうにも立場が違うと思いました」
「大した自慢にもならないわ。偶然そうなっただけよ」
シトリンが思いきり足を踏まれて「ヴッ」と声をあげる。ソフィアはすこしムスッとした表情で彼女を横目に見た。
「さ、行きましょ。ぐずぐずしてると時間ばっかり過ぎていっちゃうわ。リタに話を聞くにしても疲れているのにあまり迷惑は掛けたくないから」
行方を示す紫煙を辿って歩きだす。彼女の足跡はジグザグで、巡回警備中の近衛兵が休憩がてらにクッキーを食べて雑談しているのも見掛けつつ──オクタヴィアに「食べながらでも出来る」と注意を受けたが──、そのうち出会えるだろうとのんびり構えていると、気付けば仮眠室の前まで戻って来ていた。
「あら。またここ? 仮眠室に入った形跡があるわ」
「でもソフィア様。いったん入ったあと、そとへ出たみたいですが」
既に仮眠室にはクレイグのすがたもない。誰かがいないかと探しに来て、いなかったので出て行ったのか。それともいっしょになって出て行ったのか? ふと気になって扉を開けた瞬間、オクタヴィアがいちばんに気付く。
「煙草のにおいがする……はあ、どうしてなんだ?」
どれだけ注意しても彼らが煙草をやめることはなかった。これほどまで近衛隊の内部では治安の悪化が起きていたのかとオクタヴィアが落胆するのも無理はない。しかし今日までそれらもクレイグひとりの顔を立てるために我慢を続けて来た。町の治安維持のために彼らの不満を解消する必要がある、と言われて、一理あったからだ。
だが今回はどうだ。ついぞ注意喚起を無視するに留まらず、気高き近衛隊の人間ともあろうものが王城内での喫煙ときた。長く耐えたほうだ、と彼女も怒りが収まらない。
「ソフィア令嬢、不躾を承知でお願いしたいのですが……誰が煙草を吸ったか探せますか? リタの件を後回しにさせてしまうのですが、どうしても捨て置けなくて」
幸い、吸殻は落ちていない。誰かが吸ってきちんと処理をしたのだろう。部屋のなかに充満した臭いには気が回らなかったようだが。
「別にいいわよ、そんなにかしこまらないで」
リタから聞きたい話は急を要するものではないし、急いだところで労働後の彼女を束縛するような真似は望んでおらず「明日にしても良い」とさえ言った。
「ああ、でもそういえば言おうと思ってたことが」
ソフィアが申し訳なさそうな笑みをオクタヴィアに向ける。
「私、別に令嬢でもなんでもないのよ。ただの庶民なの」