第37話「煙草」
「私と話が、ですか?」
オクタヴィアが不思議そうにするのも無理はない。彼女たちに会うのは初めてで、わざわざ会いに来て話がしてみたいと言われるとは思っていなかった。せいぜい借りている部屋の場所まで案内するくらいだろうと考えていた。
「ええ、できればあまり人目につきたくないのだけれど……」
「ふうむ。わかりました、ではこちらへどうぞ」
意外とは感じつつもふたりを案内したのは城内にある近衛隊の仮眠室だ。普段は開放されていて近衛隊所属であればだれでも利用可能になっている。「今は巡回中で誰も使っていないはずです」と扉を開けた瞬間、オクタヴィアが険しい表情をした。
休憩中と思しき兵士ふたりがぎょっとして何かを隠す。
「ふっ、副隊長!? ず、ずいぶんおはやい……」
「最初に言い訳をするとは良い身分だな。隠したものを出せ」
ソフィアたちに向けていた表情や声色とは打って変わって、悪魔さえ恐れを抱きそうな雰囲気が彼女を取り巻く。兵士たちは諦めて自分たちが隠し持っていた煙草を差し出してがっくりとうなだれる。
「まったく……どこからこんなものを仕入れてくるんだ。我々近衛隊がどれほど規律に厳しくあるべきかは理解しているだろう? 今回は客人がいるから、あえて見逃しておいてやるが次はない。さっさと巡回に戻れ」
副隊長に見つかったとあっては彼らもすごすごと退散するしかない。これならパーティに出席しておくべきだったと愚痴をこぼす背中にオクタヴィアは鼻を鳴らして不満をあらわにする。どうせ次も同じことを繰り返すに違いない、と。
「近衛隊の者が大変失礼をいたしました」
彼女が深く頭を下げる。
「いいのよ、気にしなくて。にしても煙草だなんて驚いたわ」
「何年か前からときどき見かけるようになったんです」
がっかりした様子で頭に手を当てた。オクタヴィアが近衛隊に入って来たのは五年ほど前の話で、副隊長の任に就いたのはそれからたった二年のことだ。それから知ったのは隊の内部で──極めて少数だが──喫煙や夜遊びといった規律に害する者がいるという目を疑いたくなる実態だった。
「厳しく取り締まってはいるんですが、クレイグ隊長は彼らを『まだ若いから』といって甘やかすばかりで。近衛隊とはもっと厳格であるべきなのに」
はあ、と大きなため息をつく。愚痴はまだ止まらない。
「去年の今くらいの時期には町中でボヤ騒ぎもあって、誰かの吸った煙草が原因だったとか……。結局、犯人はどこかへ逃げてしまって分からずじまいですが。近衛隊のなかにも隠れて吸っている者がいるとうわさもされていて困りものですよ」
ソフィアは話を聞いて愛想笑いを浮かべていたが、話を聞いている途中でオクタヴィアが手に持っている煙草を見て、ふと気づく。
「それ、ちょっと見せてもらえないかしら?」
「え? ああ、はい。いいですよ」
まさか持ち帰る気ではという疑いのまなざしに「あとで返すから」そう言って煙草を手に、まじまじと見る。記憶が確かなら、それは彼女が路地裏でリズベットといっしょに見つけた吸殻と同じ種類のものだった。
「オクタヴィア。その去年の今頃にあったボヤ騒ぎって、場所は?」
「ええと……たしか大通り沿いにある小さい路地裏でしたが」
「そこって少し入ると曲がり角になっていて見通しが悪いんじゃない?」
「よくご存じですね。……あの、それがどうかしたんですか」
彼女の言葉はソフィアの耳に入らない。手にした煙草が昼間に路地裏で見たクレイグたちのすがたを思い起こさせる。
「煙草……ボヤ騒ぎ……犯人は見つかっていない……。事件が起きたのは今から一年前……だとしたら、その頃エイリン令嬢はどうしていたの?」
「えっ。ああ、エイリン令嬢は、その」
彼女たちはエイリンが亡くなっているのを知らないと思ったオクタヴィアは、どう言い訳をしたものかと思案する。「大丈夫よ、エイリン令嬢が亡くなった件は知っているから」とソフィアは隠したりしなかった。
「当時、ボヤ騒ぎがあった頃には生きていたか聞きたいの」
「そうでしたか、失礼いたしました。ボヤ騒ぎの頃にはまだ生きてらっしゃいましたよ。ですがエイリン令嬢が何か事件と関連でもあるんですか?」
彼女の不安そうな表情。さきほどのクレイグへの不満や抱いている近衛隊の理想から、少なくともエイリン殺害に関与している可能性は限りなく低いだろう。彼女なら味方になってくれるかもしれない。ソフィアはちらとシトリンをみた。
返事は小さい頷きで返されて、よし、と意気込む。
「ある、と思うわ。あなたエイリン令嬢とは仲が良かったんでしょう。──もし彼女が自殺ではなく殺されたかもしれないって言ったら信じてくれる?」