第1話「銀荊の魔女」
窓から見える景色は銀世界に包まれた森が広がっていて、陽光に煌めいている。ひとりの女性が凍り付いた窓の傍で温かなコーヒーを飲みながら、しっとりとした時間を過ごす。片手にはやや小さめの本。ぼろぼろの何回も繰り返し読まれたものだ。
ぱちぱちと音がするのは薪が炎に焼かれて細かく爆ぜているからで、暖炉が部屋を暖め始めたばかりなのか女性の息は白く揺蕩っている。
しかし彼女の服装は、そんな身も凍える季節とは真逆に肩の露出したデザインの黒いドレスにやや厚手だろうという程度のブーツを履いているにとどまりっていて、見る者ならば目を疑うようなものだった。
「……冷めてしまったわね」
どたどたと響いてくる足音を聞きながら、彼女はぬるくなったコーヒーを飲み干して、カップの底に残ったどろりと溶け残った砂糖を目に映してからテーブルに置いた。
同時に、いきなり部屋の扉がばんっと開かれて彼女はため息をつく。
長い銀髪を手で梳きながら心底目障りそうにして言う。
「部屋に入る前にノックしなさいと教えたでしょう、リズベット」
目を向けた先にはリズベットと呼んだ女性は肩まで伸びた紅い髪を紐で軽くまとめながら、急いで窓の傍までやってくる。
「ごめん、忘れてた。それより森のほうはどうなってる?」
「もう盗賊はいないわ、安心しなさい」
「……そっか。ありがとう、本当に助かった」
窓の外を眺めながらリズベットは胸をなでおろす。
「まさか薬草探しに来て盗賊に目をつけられるなんて思わなくてさ。……もう誰も住んでない城だって聞いてたけど君がいてくれて良かったよ、ソフィア」
リズベットは旅人だ。各地を転々としながら様々な依頼を受けて生計を立てている。昨日にいたっても体を痛めたという老人から『調合に使う薬草を探してきてほしい』と言われて森にやってきていた。──ところが、そこで問題が起きてしまう。事前に良くないうわさは耳にしていたが、運悪く盗賊団にでくわしてしまったのだ。
命からがら逃げ延びた先は誰も住んでいないと聞かされていた城で、使っていないなら身を隠すのに使えるだろうと入った矢先に今度はソフィアに出会い、今に至っている。
「でも驚いちゃった。君が何百年も生きてる魔女だなんて」
「不思議なことではないわ。魔女とは元来そういうものだから」
ソフィアは自らを魔女だと名乗り、実際に盗賊団を相手に銀で出来た荊が鞭のようにしなり、縄のように縛り上げたのをリズベットは見ている。彼女の手首にある荊の腕輪が大きくなったり小さくなったり伸びたり縮んだりと目まぐるしい変化をして、屈強な鍛えられたからだつきをした盗賊の男たちも化物と出くわしたとばかりに怯えて逃げ出した。
ひと晩は吹雪になりそうだとソフィアが彼女を泊めることにして──さすがに助けておいて放り出すのは気が引けた──勝手に出て行くだろうと思っていたら部屋に飛び込んできたので、今朝からいささか機嫌が悪くなっている。
「用が済んだのなら出て行って、読書の邪魔をしないでちょうだい」
「そう怒んないでよ。なにかお礼がしたいのさ、アタシは」
「……なんでもいいけれど、ここにいても食事は出てこないわ」
「だったらアタシが作ってあげる! キッチンはどこ?」
城はひとりで暮らすには広すぎて、どこに何があるかなど初めて来たリズベットには想像もつかない。口頭で伝えても理解するのは難しいだろう。仕方なさそうに椅子から立ちあがって「こっちよ、来なさい」と手招きしながら歩く。
何百年も暮らしていれば地図も頭に入っているので、ソフィアのあとをついていけば最短ルートでキッチンまでやってきた。
「あるものはなんでも使っていいわ、好きなようにして」
「わーっ、すっごい広いね! あれが食糧庫?」
「そうよ。いろいろ入ってはいるけど、私は料理をしないから」
やる気満々のリズベットが服の袖をまくってピタッと止まる。
「あれ? じゃあ普段なにを食べて生きてるの、どんぐり?」
「私をリスか何かだと。食べなくても生きていけるのよ」
せいぜい水を飲むくらいで、あとは何を食べなくても良い。みずからの肉体に掛かった魔法による効力だと彼女は言う。リズベットは、その話をする彼女がどこか寂しそうに見えて「そっか」と深くは聞かずに食糧庫の取っ手を握る。
「じゃあ任せてよ、ソフィア。君に食事ってものがいかに楽しいかを、このアタシが腕によりをかけて作る料理で教えてあげちゃおう!」
気合の入るリズベットが食糧庫を開けるのを見て、ソフィアは不思議にも笑みがこぼれる。
「そ。じゃあ楽しみにしているわ、あなたの料理とやらを」