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実家と私

 ぴたりと足を止め、稟が振り向く。


「……何でしょう?」

「雅世様が何の考えも無しに手を引くとは考えられない。ってことは、雅世様は何か、新しい別のことをしようとしているんだよね? でも、僕は何も知らされていないんだ。だから稟ちゃん、もし何か知っていることがあれば、教えて欲しいんだけど」


 あくまでにこやかに、穏やかに、それでいて有無を言わさぬ物言いに、葛葉は隣に立つ蔵王の顔を見上げた。


(蔵王も何も聞かされてないんだ)


 雅世はもともと、葛葉の見合い関連のことを蔵王に対して隠して進めてきた。そして、蔵王は葛葉を自分のものにするという選択をした。そのことで、雅世からすれば敵としてみなされた可能性もある。


「そのような指示は受けておりませんので」


 人形のように抑揚なく答えた稟に、蔵王は言葉を続けた。


「稟ちゃんは、僕のことをそれなりに評価してくれているよね? これでも一応、僕はずっと雅世さまの片腕として働いて来たわけだし、重要な決定にも関わってきたつもりだよ」

「それは、勿論です。蔵王さんより頭の回る人間はいないと思っています」

「なら」


 蔵王は再びにこりと笑った。けれど、その目は笑っていなかった。


「指示されたされてないじゃなくて、君の判断で、もし良ければ教えて欲しい。雅世様は、僕に内緒で何を進めようとしているのかな? 虎月堂の今後に大きく関わる決定なら、たとえ雅世様でも、独断で決めてしまうのはリスクが大きいと思うよ」


 稟は押し黙った。

 そしてわずかな逡巡の後、


「……菓匠、龍木」


 そう、ぽつりと呟いた。


「え?」

「競合他社と、合併するという話が出ていると聞きました。私が知っているのはここまでです」


 それだけ言うと、稟は今度こそ、足早にその場から去っていった。


「『菓匠 龍木』って……」

「ここ近年、京都で売り上げを伸ばしてる菓子メーカーだね。葛葉ちゃんも知ってる?」

「ええ。といっても、詳しい情報があるわけじゃないわ。あまりうちでも取り上げてないし。でも、ここ数カ月くらい、何度か営業の人が売り込みに来てるみたいなのよね」

「確か最近、京都市内にカフェもオープンさせていたはずだよ」

「でも、まさかその会社と、虎月堂が合併するってこと!?」


 突然ふって湧いた知らせに、空腹もどこかに飛んでいってしまった。


「あの頑固でプライドの高いおばあさまが、そう簡単にそんなことを決めるなんて思えないわ」

「そんな雅世様も納得できるような条件での合併なら、あり得なくもない気がするよ。雅世様が何よりもこだわっているのは、『虎月堂』を存続させることだからね」

「そりゃあまあ……そうだけど」


 むむうと黙り込んだ葛葉に、蔵王は優しく微笑んだ。


「まあ、何はともあれ、葛葉ちゃんは心配する必要はないよ」

「へっ? べ、別に心配してなんか……」

「雅世様なりに、虎月堂を潰さないために新しい案を考えてるっていうことは、もう今後お見合いを強要してくることもないだろうし。もしかしたら、正樹君の悩みも解決するかもしれないよ」

「えっ」


 言われてみれば、確かに。

 勢いのある他社と合併するということは、企業としての形態が多少なりとも変わってくるはずだ。


(もしかすると、正樹が無理に後を継ぐ必要もなくなる可能性もあるってこと?)


 そして自分も、無理な縁談を押し付けられることはない。そう考えると、いいことづくめな気がしてくる。

 例え、長い歴史を伝えてきた虎月堂の形が別のものに変わってしまっても、企業として倒産しなければ、それでいい。

 職員達が行き場を失うこともない。誰も犠牲になることもない。


(って、私、何をこんなに心配してるのよ)


 自ら虎月堂との関係を断ち切った自分には、干渉どころか心配する資格すらない。

 そう納得しているはずなのに、何故だろう。


(どうしてこんなに、心の奥底がもやもやするの?)


 ちらりと蔵王の顔を伺うと、一瞬、その表情が硬く見えた。だがすぐに葛葉の視線に気付いて、いつも通りの穏やかな笑みを向けてきたので、自分も慌てて笑みを返す。

 蔵王に促され、再び社内食堂に向けて歩き出しながらも、葛葉の気持ちが晴れることはなかった。

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