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蔵王の気持ち

 時刻は二十一時を過ぎている。随分非常識な客だ。

 気分も最悪な状態で、正直なところインターホンに出る気も起らない。

 けれども、習慣というのは恐ろしいもので、しぶしぶながらも受話器を手に取った。


『雅世様からのお届け物です』


 インターホンの向こうの声は、女性だった。

 葛葉はごくりと息を飲んだ。


「お届け物って、もしかしてさっき、おばあさまが電話で言っていた……」

『はい。投函とうかんさせていただくべきか悩んだのですが、ちゃんと葛葉様の手元に渡ったことを確認するよう申しつけられておりますので、御在宅ならば直接お渡ししようと』


 葛葉は顔をしかめた。

 当然と言えば当然かもしれないが、随分と信用がないらしい。

 とはいえ、葛葉が受け取るまで、きっとこの女性は帰らないだろう。

 こんな夜更けに、ずっと外に立っていられるわけにもいかない。

 嫌々ながらも、葛葉は玄関の扉を開けた。

 目の前に現れたのは、セミロングの黒髪の可愛らしい娘だった。

 年は葛葉よりも十歳近くは下に見える。けれども、若者らしい快活さなどはなく、どちらかと言えば感情のない人形のような目を持つ娘だ。


「随分と仕事熱心なのね」


「お褒めの言葉として受け取らせていただきます」と言いながら、女性は葛葉に封筒を手渡してきた。


「それでは任務は完了しましたので、これで失礼します」


 特に愛想もなく、淡々と作業だけこなす女性を見ているうちに、何かが引っかかった。


「待って」


 呼び止めると、女性は「なんでしょう?」と首を傾げて立ち止まった。


「あなた……もしかして、うちの会社の総合案内にいなかった?」

「はい。所属しています。申し遅れましたが、名を後藤稟ごとうりんと申します」


 どうりで見覚えがあるわけだと、葛葉は頷いた。

 何しろ、この女性は何度となく蔵王に話しかけていた受付嬢その人だ。

 制服を着ていないこともあって、一瞬誰だかわからなかった。


「もしかして、蔵王に何度も接触してたのはそのため?」

「はい。雅世様からのお届け物や、連絡などの際に」

「そうだったのね」


 心なしか、胸のつかえが少しとれるような感覚を覚えた。

 そんな葛葉をじっと見ていた女性――稟がぽつりと言った。


「差し出がましいようですが、一つ宜しいでしょうか。蔵王さんは身の程をわきまえておられますよ」

「どういうこと?」


 葛葉が訝しげに目を細めて問うと、稟はスマホを取り出した。

 そしておもむろに、何らかの音声ファイルを再生した。


『葛葉様に懸想けそうされているわけではありませんよね?』

『そんなことあるわけないでしょう』

『そうですか。では、私の勘違いだったようですね。でもよかった。私、蔵王さんのことを、憎からず思っておりますので』

『へえ。それは光栄だね』


 それは、稟と蔵王が会話していると思しき声だった。

 耳に飛び込んだ瞬間、胸の奥にずしりと重い何かがのしかかる。


「……これを私に聞かせて、何になるっていうの?」

「葛葉様が蔵王さんに想いを寄せていらっしゃるのではないかと、気になりましたので」

「もしそうだったらどうなの?」

「届かぬ想いを抱き続けることはつらいだけですから、真実をお伝えしたまでです。早々にお忘れになって、虎月家の長女としてのお務めを果たされることを、雅世様も願っておられます」


 稟はちらりと葛葉の手の中にある封筒に目を遣った。


「今回のお見合いのお相手は、決して悪い方ではありません。雅世様も、よく考えて相手を選んでおられます。気乗りしないでしょうが、是非一度目を通していただければと思います。そして、ご自身にとっても、大切な方にとっても、最善の選択をなさってください」


 女性はそのままスマホを鞄にしまい、ぺこりと頭を下げると、廊下の奥に消えていった。

 葛葉は手にした釣書をぎゅっと握りしめて、扉を閉めた。

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