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出汁巻き卵と幸せの味

 翌朝、教室に入ると既に倉崎(くらさき)は着席していた。普段は二限目から出席したり遅刻ギリギリなんてことがほとんどなのだが、珍しいこともあるもんだ。


 俺の席は廊下から二列目の一番後ろ、そして倉崎の席はその隣、廊下側一列目の一番後ろだ。こんな席にいるもんだから、友達がいない俺たちはほとんど人と会話することが無い。


 そういう訳で何もすることが無い俺は、いつも文庫本を読んでいる。席に着いた俺は、学生鞄から本を取り出して机に置いたのだが、驚くべきことに俺に話しかけて来た人物がいた。


「……おはよ」


「……え? ああっ、おはよう」


 声が小さくて一瞬誰に話しかけられたのか分からなかったのだが、隣を見るとほんのりと頬を赤くした倉崎が目に入った。ちらちらと俺を見て来ていたから、倉崎が話しかけて来たことは間違いないだろう。


 倉崎はシャープペンシルを二本使って消しゴムを掴んでいた。恐らく箸の練習をしているのだろう、まだまだ上手く掴めてはいないが良い傾向だ。

 というか、筆記用具持ってたんだな。使ってるの見たこと無いんですけど。


 倉崎はその後話しかけてくることは無く、箸の練習に集中しているようだったので俺は文庫本を開いた。大体ライトノベルを読んでいるが、周りの人に見られるのが恥ずかしいので書店で貰ったブックカバーを付けている。


 小説に目を落としながらも、時折倉崎の方に視線をやると、「ああっ」とか「うっ」とか小声で言いつつ真面目に練習を続けているようであった。


 やっぱり素直なとこあるんだよなあ。昨日は俺がうるさく言い過ぎたせいか、途中で集中力が切れて唐揚げをぶっ刺してしまったが、こうして練習に励んでいるところを見ると、箸がちゃんと使えるようにはなりたいようだな。


 程なくして、担任の先生が入って来た。軽く朝のHRを終えて、五分間の休み時間。席を立って友達のところに駆け寄る生徒や、教室の隅でうるさく駄弁る陽キャ集団たちが出現する。

 しかし俺と倉崎はさっきから何も変わらない。そもそも五分しかないのにみんなよくやるよ。


 なんて考えていたんだけど、俺の休み時間はいつもとは一味違うらしい。


「ねえ、あんたさ」


「え? ああ、なに?」


 声を掛けて来たのはもちろん倉崎だ。頬杖を突いて二本のシャーペンを動かしながら、俺にちらちらと視線を送って来ていた。


「その……怖くないわけ? あたしのこと。不良だとか……思わないわけ?」


「なんだそんなことか。怖くねえよ、不良かも知れないとは思ってるけど」


 最初は怖かったけど、今は怖くない。怖く……うん、大丈夫、直視できてる。相変わらず髪は痛んでるし、服には所々皺があるけどまあそれ以外はちょっとやさぐれオーラの出てる普通の女の子だ。


「ふ、不良じゃない! ……と、思う、けど」


「なんで自信なくなっちゃってるんだよ。そこはちゃんと主張しなきゃダメなとこだろ」


「うん……でも、どうせみんなあたしの話なんて聞いてくれないし」


 倉崎はしょんぼりと俯きがちに言った。

 まあそりゃあなー。仕方ねえよなー。こんな感じで可愛いところもあるけど、傍から見たらやっぱり目つき悪いし、やさぐれてるし、ビッチ臭もあるし、近づかない方がいいと思われても仕方ないと思う。


 しかし、俺にはそんなことは関係ない。なぜなら友達が居ないから。そして弁当を食べて欲しいから。俺にとっては、弁当を食べて「うまい」と言ってくれるだけで十分なのだ。


「安心しろ、俺が聞いてやる。それで倉崎が不良じゃないって分かったら、学校中に『この子は不良じゃありません』っていう倉崎の写真付きの貼り紙をしてみんなに教えてやるから」


「指名手配じゃんそれ! 絶対やんないでよ!?」


「努力はしよう。約束はしかねるが」


「なによそれ! わかった、そんなことしたらあたしもあんたの弁当の写真貼りまくって『ドブみたいな味でした』って書いてやるんだから!」


「なっ、お前恩を仇で返すつもりかよ!? 俺の弁当のどこがドブみたいな味だよ!」


「そっ、それはまあ……おいしかったんだけど……」


 頬を赤らめるな頬を。こっちまで恥ずかしくなっちゃうだろ。

 どうも倉崎は俺の弁当を本当に旨いと思ってくれているらしい。ああもう可愛い奴め!


 と、そんな小声の会話を繰り広げていると、チャイムが鳴って教師が入って来た。一時限目は現代文だ。本を片付けて教科書とノートを用意する。


 起立と礼が終わると、俺は黒板を見た。今は中島敦の『山月記』をやっていて、今日は第二回目の授業に当たる。小説の授業は面白いので、現代文は割と好きだ。


 ――しかし、倉崎はそうでもないらしい。


 倉崎は授業開始早々、机に突っ伏してしまった。しかも何故か顔をこちらに向けている。


「ばーかばーか」


 ついでにさっきから俺に対して小声でばかと連呼して来ていた。


 なになに、何がしたいの? 俺を怒らせて先生に怒られるところが見たいの?

 しかし残念だったな! 俺はそんな見え見えの罵倒で怒るほど短気じゃないんだよ!


「ばーかばーか」


 はいはいわかったわかった。俺はバカですよー。


「ばーかばーか」


 うんうん、その通りだ。お前の言うとおりだよ倉崎。


「ばーかばーか」


 ……なんかさすがにイライラして来たな。こう何度も同じことを言われるってのも結構腹が立つらしい。

 そう思った俺は、小声で倉崎に話しかけた。


「おい倉崎、いい加減静かにしたらどうなんだ?」


「……好き」


「はいはいわかったから、静かに……って好き!?」


 俺は思わず立ち上がってしまった。クラス中の視線が俺に集中する。


「どうかしましたか、柾木(まさき)くん?」


「い、いえ、すみません……」


 先生に声を掛けられて俺は席に着いた。他の生徒も俺の方をちらちら見ていたが、先生が授業を再開したので黒板に向き直った。


「……ばかっ」


 そして倉崎は頬を赤らめながらそれだけ言うと、俺から顔を背けてしまった。


 なんだよそのばかは……! めちゃくちゃ可愛いじゃねえかこんちくしょう!




 ……とまあ、これが俺たちの始まりだったんだけど。







  ※ ※ ※







 その後、俺は毎日倉崎に弁当を作るようになった。後になって聞いてみたのだが、あの好きは倉崎なりの告白だったのである。

 あと、校舎裏で食べるようになったのは偶然ではなく、もともと俺のことが気になっていたからということらしい。


 季節は秋。肌寒くなって来て校舎裏で食べるのもそろそろ限界になってきた頃だ。


 倉崎と出会ったのが春、こんなに時間が経っているのに、俺は女の子と付き合うことが正直まだよくわかっていなかった。それはどうやら倉崎も同じようであった。


 しかし、今こうして、綺麗な黒髪を風に揺らして、綺麗な制服に身を包んだ彼女が、美味しそうに俺の弁当を食べている。もうそれだけで十分幸せな気がした。


「やっぱり悠人(ゆうと)のご飯は相変わらず美味しいねっ! あたしは幸せ者だなあ」


「何言ってんだよ。俺も食べてもらって嬉しいからウィンウィンだ」


「ふふっそうかもね。どう? あたしのありがたみが身に染みるでしょ?」


「それはもう染み染みだ。この出汁巻き卵みたいにな」


「なによ、それっ」


 俺が箸で持ち上げた出汁巻き卵を見て、綾音(あやね)が笑った。


 二人一緒に卵にかぶりつく。旨い。相変わらずそう思った。


「……ねえ、悠人。あたしたち付き合い始めてそろそろ半年じゃない? だから、その……キス、してみたいなあって……」


「ごほっ、ごほっ! そそそ、そうだな、確かに!」


 来た、ついに来た。思ったより奥手だった綾音からまさかのアプローチだ。

 いや、思えば俺からはあんまり行動を起こしていない。情けないが、こうして付き合い始めたのも綾音のおかげだった。


 ならば、ここは男を見せる時だ。俺がしっかりとリードしなければ……!


「い、行くぞ?」


「う、うん」


 綾音が目を閉じる。俺はがしっと綾音の肩を掴んだ。ゆっくり、ゆっくり、顔を近づけて行く……


 そして、やわらかい感触が唇から伝わってくる。綾音は一度体をビクッとさせたが、やがて身を任せるように唇を合わせた。

 数秒間の口づけの後、俺たちは惜しむようにゆっくりと顔を離した。


 至近距離で視線を交換する。


「えへへ、なんかドキドキするね」


「ああ、そうだな。俺も心臓バクバクしてるよ」


 そう言って、俺たちは笑った。








 ファーストキスは何の味? なんてよく言うけれど、俺たちは迷いなくこう答えるだろう。


「出汁巻き卵の味」ってね。

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