唐揚げと箸の持ち方
結局、五限目も六限目も倉崎は机に突っ伏していた。しかし、ただ寝ているわけではないことを俺は知っている。
耳めっちゃ赤かったからな。あれは絶対恥ずかしくなってただけだ。
そして珍しく帰りのHRまでいた倉崎は、終わると同時に逃げるように帰って行った。結局一言も話さなかったことに少し安堵している自分が居た。
それで、翌日の昼。いつもの場所に弁当を持って行くと、倉崎が居た。
しかし今日はコンクリートの地面ではなく、階段の端っこに座っている。
「あ……来たんだ」
「ま、まあな」
ぎこちない動作で倉崎とは反対側の端に腰掛ける。倉崎は相変わらず焼きそばパンを食べているようだ。
弁当箱を開ける。今日の自信作は唐揚げだ。夜のうちに下味をたっぷり染み込ませた鶏肉を揚げたから、旨いことは間違いない。
箸を取って手を合わせる。そうして唐揚げを掴もうとした、その時だった。
「な、なんだよ」
焼きそばパンを齧りながら、じーっとこちらを見る倉崎と目が合ってしまう。
「べ、別に……」
倉崎は慌てて視線を逸らした。
その様子から俺は確信する。
間違いない。倉崎は俺の弁当が食べたいのだ。そうに違いない。そうであれ。
そして俺はそれを予期してもう一膳箸を準備して来ている。仕方ない奴だなあもう。そんなに食べたいんだったら素直に言えよな。
「倉崎。ほら、これ使えよ」
「え? ……ちょ、ちょっと、何してんのよ?」
俺は弁当の蓋に唐揚げを一個乗せると、箸と共に倉崎に差し出した。
「まあ食えよ。絶対旨いから」
というか食べて欲しい。渾身の出来だから旨いって言って欲しい。俺の承認欲求を満たしてくれお願いします。
なんて邪なことを考えていると、倉崎は受け取ってくれた。箸を持って唐揚げを見る。
あ、待って、忘れてた。こいつ箸使えないじゃん。
このまま唐揚げを掴もうものなら、恐らく唐揚げは蓋から飛び出して大地に立つことになるだろう。三秒ルールは屋外では適用されない。よって、落ちたらもう食べられない。
「ちょ、ちょっと待て、倉崎。昨日も思ってたんだが、箸の持ち方間違ってるぞ」
「え? そうなの?」
不思議そうに俺を見る倉崎。その様子に少々呆れつつも、俺は倉崎の隣に行き、自分の箸を見せた。
「箸はこうやって持つんだよ。一本は鉛筆みたいに持って」
「こ、こう?」
「そうだ。それで、もう一本はその下にこうやって通して」
名監督ばりの指導体制に入る。親指の付け根から通した箸を薬指で支える、という工程を倉崎に見せると、倉崎も見様見真似でなんとか同じように出来た。
ここまでは倉崎にも出来たようだが、問題はここからだろう。
「それで、こっからなんだけど。動かすのは鉛筆持ちの方だけ、これ鉄則な。ほら、こんな風に」
俺は倉崎に箸を動かして見せた。動いているのは上の一本だけで、下の箸は固定されている。
「こうすれば箸が交差する事が無い。バッテン箸にならないってことだな。まあ習うより慣れろって言うし、とりあえずやってみてくれ」
倉崎は俺の箸と自分の箸を見比べながら、箸を動かし始めた。
「んん……難しい。なんか手が疲れて来る」
「最初のうちは皆そうだ。時間はかかるだろうけど、絶対箸はちゃんと使えた方がいいからな。頑張りたまえよ」
「なにその言い方っ。なんか腹立つ」
「うん俺も思った」
危ない危ない、あんまり軽口を叩いていると倉崎の機嫌が悪くなりそうだ。倉崎の凶暴性はパンツの件で明らかになっているからな。
「なにそれ。ふふっ」
しかし予想外なことに、倉崎は笑っていた。え、さっきのどこに笑う要素があったの? と逆に心配になってしまう。
まあこれは新たな発見だな。倉崎も一応笑うらしい。教室では一度だって彼女が笑ったところを見たことが無かったんだけど。
それにしても普段は何であんなに不機嫌なんだろう。今目の前に居る倉崎綾音という人物は、確かにちょっと棘があるようにも見えるけど、普通の女の子の様に見える。これなら不良少女なんていう噂は流れないだろうに。
まあ、それは俺も同じか。こうやって会話は出来るものの、やっぱり自分からはなかなか声を掛けられなくて、友達もいない。最初から魅力的な人間ならばこんなことにはなっていないだろうから、きっと俺と同じで、倉崎も生きづらい人種なんだ。
「ねえ、これ出来てる?」
倉崎が箸を動かしながら俺に見せて来る。若干バッテン箸に戻ってしまっていた。
「ちょっと力が入ってるな。こうだよ、こう」
「んん、こう?」
「いや、違うな。こう」
「こう?」
「いや、あともうちょい」
「~~ああっ、もう!」
「おおお、おい!」
倉崎は集中力が切れてしまったのか、箸を唐揚げにぶっ刺してしまった。そのまま乱暴に口に運び、鼻息を荒くしながら咀嚼する。
渾身の唐揚げがぁ……
「倉崎、力技だな……」
「悪い? 食べられればなんだっていいでしょ」
「原始的な考え方だなおい」
間違っては無いのかも知れないけど、やっぱり人間という社会的生物にはテーブルマナーも必要だと思いますよ? まあ、こんな講釈を垂れたところで倉崎にとっては煩わしいだけなんだろうけど。
というか、せっかく旨い唐揚げを作って来たんだから味わって食えよな。どっちかというと、俺はそっちの方が気になってしまっているのかも知れない。
倉崎を見る。小さな口をもぐもぐ動かしていた倉崎は、ごくりと唐揚げを飲み込んだ。
「どうだ? 旨いか」
「……うん」
「おお、そうだろ! わかってんなぁ~」
こくりと頷く倉崎を見て、俺は思わず舞い上がってしまった。
やっぱり人に褒めてもらえるのってすっげえ嬉しいなぁ。もういっそ毎日倉崎に食ってもらうか。うんそれが良い。
「なあ、倉崎。これから毎日俺の弁当食ってくれないか?」
「んなっ……」
俺は何の気なしに倉崎にそう言ったのだが、倉崎は硬直してしまった。
ん? そんな変なこと言ったか? 俺はただ毎日弁当を食って欲しいと言っただけなんだが……
――いや。これはまずいことをしてしまった。
冷静に考えてみると、俺が言ったことはもうほぼプロポーズに等しい。待ってすごい恥ずかしくなって来たぞ。
「ち、違うんだ倉崎! 別に深い意味があった訳じゃなくて、ただ純粋に弁当を食べて欲しかっただけで……!」
「ごちそうさまっ!」
「お、おい!」
倉崎は俺に箸を返すと、すたすたと歩いて行ってしまった。
せっかく貴重な味見役を見つけたのに、こんなことになってしまうとは……これは一週間は引きずる奴だわ。
半泣きで倉崎の背中を見ていると、倉崎はピタリと足を止めて振り向いた。どうやらそんなことにはならないらしい。
「明日も楽しみにしてるから」
そう言って、倉崎は今度こそ見えなくなった。俺はぼっち飯に逆戻り。
「はあー……」
何はともあれ、また弁当を食べてもらえるようである。