焼きそばパンと不良少女
校舎裏にある五段くらいの小さな階段。それが俺に許された数少ないランチスペースだ。今日も今日とてそこに腰を下ろして、ひっそりと弁当箱を開ける。
箸を手に取り、手作りの出汁巻き卵を一切れ口に運ぶ。旨い。自画自賛だが、甘さ控えめの出汁勝負のそれは思わず笑みが零れてしまうほどの逸品だ。
誰かとこの喜びを分かち合ってみたい、そんな思いが芽生える程の出来なのだが、いかんせんぼっちの俺にはそんな機会など訪れないのだろう。
……そんな風に思っていたんだけど。
「……なんだよ」
ちらちらと俺を見て来る女に声を掛ける。ここ数日、実は半ぼっち状態が続いていたのだ。
倉崎綾音、クラスメイト。席は隣だが、寝るかサボるかなので会話をしたことは無い。そんな感じだからか、不良少女という噂がある。
そんな女が、何故か同じ校舎裏で昼飯を食べて、しかも俺の方に何度も視線を寄越して来るのだ。数メートル先のコンクリートに腰を下ろしている倉崎は、どこ吹く風と言う風に焼きそばパンにかぶりついている。
「……別に」
倉崎はそれだけ言って、俺から視線を外した。
不愛想な奴だ。それとその座り方パンツが見えそうだからやめた方が良いと思う。というかやめて欲しい。怖いけど、ちょっと言ってみるか。
「倉崎、その……パンツ、見えそうだぞ」
「っ! ごほっ、ごほっ! は、はあ!? どこ見てんの!? バッカじゃないの!?」
倉崎は焼きそばパンを握りつぶして立ち上がった。スカートの裾をぎゅっと掴み、顔を赤らめている。
「ご、ごめん! で、でも、見えてないから……」
「みっ、見えてたらぶっ飛ばしてたところよ!」
「物騒なこと言うなよ……っていうか、それ……」
「え?」
倉崎の持っていた焼きそばパンは、握りつぶされたことによってぼとぼとと焼きそばが零れ落ちていた。あとに残ったのは、一口齧っただけのコッペパンのみ。
「あ、ああ!?」
悲痛な声を上げて、倉崎は膝から崩れ落ちた。焼きそばの残骸を見つめながら、顔を歪める。
「そんなぁ……」
余程焼きそばパンが食べたかったのか、倉崎は項垂れてしまった。
これはヤバいのではないだろうか。今は落ち込んでいるが、きっと倉崎は怒りの矛先を俺に向けるに違いない。難癖をつけて俺から金を巻き上げるかも知れないことは容易に想像できた。
しかしどうする? この場から逃げたとして、その先にあるのは報復される未来だけであろう。なんなら専属のパシリにされるとかもっとひどい未来が待っているかもしれない。
それだけはダメだ。そんな屈辱を味わうくらいならぼっちの方が全然いい。というか、ぼっち最高だから。
そういう訳で、俺が導き出した答えはひとつ。
題して、「餌付けして仲良くなっちゃえ作戦」だ。
「その、これ……食べるか?」
「え……? い、いいの?」
俺が見せる弁当箱に倉崎が反応した。いいぞ、好感触だ。
「なんというか、俺のせいみたいなとこもあるし。ほら」
「う、うん」
弁当箱と箸を渡す。箸はちゃんと逆さにして渡した。間接キスになっちゃうからな。気持ち悪いとか言われたら心折れるし。
それにしても、案外すんなり受け取ってくれたなあ。もっと拒絶されるかと思ったんだけど……空腹には抗えないってことか。
箸を手に取り、倉崎は卵焼きを掴む。しかし、うまく掴めないようで取っては落とし、取っては落としを繰り返していた。
倉崎、箸の持ち方変。俗に言うバッテン箸というやつだ。
これは予想していなかった。苦戦する倉崎の表情には次第に苛立ちが見え始める。このままでは、また別の方向の怒りが俺に向けられるかも知れない。
「あ、あのー倉崎さん? 大丈夫そう?」
「も、もうちょっとで……取れる……っああ! もう!」
全然ダメじゃん……。
倉崎は絶望的にお箸の持ち方使い方というものがなっていなかった。恐らくこのまま続けていてもストレスが溜まる一方だろう。
仕方ないが、あれをするしかなさそうである。
「倉崎、箸貸して」
「まだ……もうちょっと……ああっ!」
「いいから」
「あ!」
俺は倉崎の言葉を聞かずに無理矢理箸を奪い取った。
こいつはあれだな、UFOキャッチャー無限にやる奴だな。キャンブルにハマったら一番ダメなタイプだ。
そんなことを考えながら、俺は難なく卵焼きを一切れ掴み上げた。左手で受け皿を作りながら、それを倉崎の方に向ける。
「ほら、あーん」
「なっ……! こんなこと出来るわけ」
「はい」
「むぐっ」
倉崎が拒もうとしたところで、開いた口に卵焼きを入れた。
なんだか妹に同じことをしてたのを思い出すなあ。そのせいか、俺は全く恥ずかしさを感じなかった。
倉崎には悪いけど、子供にご飯を上げている感覚だ。言ったらぶん殴られそう。
頬を赤らめつつも、倉崎は素直にもぐもぐと口を動かしていた。今気づいたけど、倉崎は口が小さいらしい。口いっぱいにして食べる様子は何だかリスみたいで可愛いと思ってしまった。
ごくりと飲み込んだ倉崎は、俺の方を見る。その目は感激したようにキラキラ輝いていた。
「……うまい」
「ほ、ほんとか?」
「うん。ね、ねえ、もいっこちょうだい……?」
そう言って倉崎は俺の袖を引っ張る。あーんと口を開いて次の料理をねだって来た。
「あ、ああ、どんどん食え!」
俺は嬉しくなってしまい、次はハンバーグを切って食べさせてやった。それも倉崎は旨いと言う。
なんだこれ、めちゃくちゃ嬉しいぞ?
自分の料理を褒められたことに、俺は自分が思っていた以上に感動してしまったのだ。どうやら承認欲求を満たしたくて堪らなかったらしい。
それにしても、倉崎は本当に旨そうに食べてくれるので食べさせ甲斐があるな。気付けば俺は、ほとんどの品を倉崎の口に運んでいた。
「……ねえ、よかったの? あんたほとんど食べてないんじゃないの?」
弁当を片付ける俺を見て倉崎が言った。
「ああ、いいよ。あんまり腹減ってなかったし、それに倉崎が旨そうに食べてくれたからな」
「そ、そっか。ふーん」
倉崎は照れるようにくるくると髪を指に巻き付けている。
話してみて分かったのだが、倉崎はどうもそんなに悪い奴じゃないらしい。言動は分かりやすいくらいに素直だし(子供じみているとも言うが)、俺のことを罵倒することも無い。素行は悪いのかもしれないけど、根は良い奴なのだろう。
「それじゃ、俺行くから」
五限目が始まるので、俺は弁当箱を持って立ち上がった。いつもは昼食のあとは図書室で時間を潰すのだが、今日は思ったよりも時間が過ぎていたらしい。
「あっ、ま、待って」
倉崎が俺の小指をきゅっと握った。それだけで俺の鼓動は跳ね上がってしまう。
不意打ちは心臓に悪い。ぼっちの女子接触率は極めて低いのだからもうちょっと気遣って欲しい。
「にゃ、にゃに?」
ハチャメチャに噛む。しかしこれは仕方ないだろう。ただでさえ人との会話が少ないのに、女子と、しかもこんなシチュエーションにいきなり突入してしまったのだから。
倉崎を見る。茶髪に染めた髪は少し痛んでいるし、服には所々皺が付いている。荒んだ印象を醸し出すその見た目は、男からはきっとモテない部類に入るだろう。
しかし、甘い息を漏らしながら頬を赤らめているその様子は、どこからどう見たって可愛い女の子だった。もしかしたらモテ男からすれば大したことは無いのかもしれないが、俺のような男ならば十分ドキドキさせるには足る雰囲気だ。
心臓がうるさい。呼吸が浅くなって来る。何か言いたいことがあるなら早く言ってくれ……
「あ、ありがと」
「へ? ……あっ、倉崎!」
そう言ったっきり、倉崎は駆け出してしまった。倉崎が居なくなっても、心臓は相変わらず大忙しだ。
「なんだよ……」
すっかり調子を狂わされてしまった。席が隣ってことを忘れたんじゃないだろうなあ……。
平常心で居られるだろうか。自信は無いが、俺はとりあえず教室に戻ることにした。