いる、いない、いる
いつも起きる時間に起きて、顔を洗って朝ご飯を食べて着替えてから、わたしをわしゃわしゃしてお仕事に行くのに。
行くはずなのに、お兄さんがいる!
昨日が日曜日でたっぷり遊んでもらったので、今日は絶対月曜日。平日だけど今日はお休みなのかな? わーい! お兄さんだお兄さんだ~!
わたしをいっぱい撫でたあとで、水を補充してお気に入りのタオルをわたしの前に添えた。噛みかけのガムまで追加される。まるで、そこにいなさいとでも言いそうな手際だ。
お兄さん自身はマグカップにコーヒーをいれてテーブルに置くと、開いたパソコンの横へなにかの資料を用意する。
カタカタカタカタと軽やかなキーの音が響いて、お兄さんは真剣にパソコンへ向かい始めた。
お兄さんお兄さん、お休みなのに忙しいの? タオルの引っ張りっこしましょうよぅ。
足元にタオルを持っていっても、お兄さんはわたしの頭を揉んだだけ。
調べものかなにかで忙しいのかな。しょうがないなあ。足元でタオルをガジガジして待つことにする。ついでに横にあるお兄さんの足もくんくんしてからペロペロした。上のほうで吹き出す声がして、頭を足でむにむにされた。
でも、まだ終わらなさそう。つまらないなあ。
「まだダメだ」
しばらくして。空になったマグカップを持ってキッチンへ行くお兄さんに、ボールを咥えて見せるとつれない言葉が返ってきた。
えー。なんでよう。昨日もしてくれたのに。
プピィとボールも鳴いた。
お兄さんはうっと固まったけれど、長い長いため息をついてからまたパソコンに向かってしまう。えー……遊ぼうよぅ。
カタカタ、カチリ、カタカタカタカタ。
静かな音を聞きながら、わたしはしかたなくガムをかみかみして過ごす。
お兄さんはいるのにいないみたいでつまらないなあ。いつもお家にいるときはこんなじゃないのに。
「はい、春日井です」
突然お兄さんの声がして、パッと体が起きる。
『お疲れ様です、塩沢です。さっきの質問事項と打ち合わせの件ですが資料は届いていますか?』
「届いています」
知らない人の声! だぁれ? お友達ですか? なんだかとっても穏やかでいい声ですね。
きゅうきゅう、くんくぅん。
お兄さんの足元で、膝に乗ろうとしてもちろん乗れなかったりお兄さんの足の間をぐるぐるしたりすると、少しだけ焦ったお兄さんに離れなさいと手で押しやられる。
わたしは必死に押し返した。負けてなるものか。
わふわふ、きゅうん。
『春日井さん、もしかして犬飼ってます?』
「……はい。すみません、いつもは大人しいので出したままにしてしまいました」
失礼します、と言ったと思ったらひょいとわたしを捕まえてゲージに入れた。3秒くらいで閉じ込められてしまったわたし。
お兄さんはすでにパソコンの前に戻っている。
『知らなかったなあ。小型犬?』
コムギです! わふん、くーんくんくん。
「中型です。失礼しました」
お兄さんお仕事してたんですね。お家でお仕事することがあるのかあ。でも、お兄さんがそこにいるのに全然遊んでくれないのは嫌だなあ。わたしもいるのになあ。
お兄さんはしおざわさんと話を再開する。
二人が真剣に打ち合わせをしているのを聞きながら、わたしはタオルを噛んでぷすーと息を吐く。
あまり口数が多くないお兄さんだけど、今は会社の人とポンポン言葉を行き来させている。頭の回転が早いのかな。すごいなあ。
でも、わたしはつまらないです。
『――じゃあ企画書の件は以上で。明日、一度進捗報告をしてください。集計表のマクロ化は大丈夫そうですか?』
「はい。それも一緒にお渡しできるようにします」
『助かります、それじゃあ今日はこれで』
「はい、ありがとうございました」
お話は終わったらしい。わたしはタオルを抱えながらお兄さんを窺う。
カタタタタとキーを打って、マウスをカチカチして。しばらくするとパソコンが閉じられた。足音がゲージの前までやってきて、お兄さんの匂い。カシャンと扉を開けてくれる。
「コムギ。終わったぞ」
ごろんとしたまま、タオルかみかみ。
「もう撫でられるぞ。ボールもできる」
本当に?
タオルかみかみ、もみもみ。
「コムギ」
タオルをやめて上目になると、ちょっと困った顔のお兄さんが自分の膝をぽんぽんと叩く。
わたしはよいせと体を起こした。
尻尾が勝手に左右に揺れてしまう。
「おいで」
わふっ! くんくんきゅうん。
勢いよくお膝にダイブしたあと。
目一杯撫でてもらってからボールも綱引きも気がすむまでやってくれたあとでお散歩も忘れなかったお兄さんに、明日からは邪魔をしないようにしようと思い直すことにした。