初めの一歩
オレンジがかった茶色い、革製の首輪とお揃いのリード。
お兄さんが届いたダンボールから取り出したものは、そんなお散歩セットだった。
それわたしのですね? お兄さん、わたしのわたしの! やったー!
くるくるしたり反復横跳びしているわたしを踏まないように歩いたお兄さんは、ガジガジとわたしを撫でてからお座りさせた。そのまま尻尾が動くから床掃除の名人になれそう。
そんなわたしの首に首輪をあてがって長さを調整してくれているのに、はやくはやくとうずうずしてしまう。お兄さんつけるの遅い~まだ? まだまだ??
ちょっとてこずった様子のお兄さんは恨めしそうにわたしを見たけれど、きゅっとベルトの端を整えてポンと頭を撫でてくれた。
「ん」
満足そうってことは似合ってるんですね? え~鏡見たいなあ、お外行けばお店の窓とかで見えるかなあ。見たいなあ。やっぱり外に行ってみたい!
首輪もしたし、リードもあるし。
これはもう散歩するしかない。お散歩お散歩。
「夕方になったら散歩に行こう」
えー! 今から行きましょうよぅ。お昼食べたばかりだから、夕方なんてまだまだ先じゃないですか。お兄さん、行こうよぅ。
「慣れるまでは、人通りが少ないときがいいだろう」
誰彼構わず吠えたりなんてしないから、ね! ね!
「……まだ少し早い」
わたしいい子にしますよぅ! お兄さんお兄さん、お散歩お散歩!!
きゅうん、くぅん、くんくん。
お兄さんはぐっと押し黙ってわたしを見つめる。
わたしは玄関とお兄さんとを行ったり来たりして猛烈アピールを開始した。ほら、明るいほうが歩きやすいかもしれないし、お兄さんも食後の運動になりますし、お散歩! 首輪もリードもあるんですよ?? お兄さーん!
右手にはリード。
肩から黒いショルダーバッグ。
足元はスニーカーと、首輪をつけたわたし。
やったーやったー! お兄さん渋々でしたがリードを繋いで、ただいま玄関です。
リードの金具が小さくて頼りないとお兄さんが不満げでしたが、通販で買ったからね、しょうがないですよ。それより早く早く。
舌を出して見上げるとお兄さんと目が合う。
ため息をひとつこぼしたお兄さんは、眼鏡をくいと整えてから玄関を開けた。
ぱあっと視界が開ける。
天気はよくて、絶好のお散歩日和でしかない。うれしくてうれしくて思い切り駆け出すと、ピンッと首が締まった。ぐえってなる。振り返るとじと目のお兄さんがいた。
そうでした、お兄さんを置いては行けませんね。
「コムギ」
鍵を閉めたお兄さんに呼ばれて足元に戻ると、ひょいと抱えられて廊下を進み階段を下りていく。
廊下も階段も自分で行くのになあ。お兄さん心配性だなあ。
建物から出ると、車も人もたくさんいる道だった。自転車がビュンと通ったのを確認すると、そっとお兄さんが地面にわたしを下ろした。
むわっと地面の匂い。家の中と違って風で髭が揺れて、いろんな匂いがそこら中にある。
くんくん嗅いで、一歩踏み出す。
足の裏が地面を蹴るのが新鮮で、足取りは軽い。とてとて歩くとお兄さんもわたしの隣に並んでくれた。
「それは食べられない」
道の途中に捨てられていたタバコの吸殻をくんくんすると、すかさずお兄さんが取り上げてエチケット袋に捨てる。
はーい。タバコ食べません。
お兄さんの顔を見上げてまた歩く。舌が出ちゃうのってなんでだろうなあと思うけど、勝手に出ちゃうから気にしないことにする。
大きい通りからすぐに曲がって人通りの少ない道になった。自転車が来たのを端によって避けたり、お店から出てきた人とぶつからないようにしたり、お兄さんがリードを短めに持って見張ってくれた。
わたしは目の前のことに夢中になって危なかった。お兄さんすごい。
「そろそろ帰ろう」
街路樹の植え込みに寄り添って用を足したのに、ペットボトルの水をかけたお兄さんが言うので、わたしも渋々それに続く。
まだ大した距離を進んでいない気がするけど、犬の身では意外とたくさん歩いた気もする。もしかしたらお兄さんも疲れたのかもしれない。それならしかたないなあと思うわたしは、ハッハッハッと息が切れた。
見上げるとお兄さんと目が合う。
びゅんびゅん尻尾が動くわたしの頭を撫でてくれたのに、ますますうれしくなって帰りの足取りも軽くなる。
これからまたお散歩楽しみだなあ。ちゃんとわたし用のレインコートも買ってあるって知っているのです。天気関係なく毎日お兄さんとお出かけできると思うと、今からでもうきうきした。
お兄さんの運動不足解消にわたしも一役買えそうである。