矢野の人助け
「矢野がログハウスに行ってたのが、セイには意外みたいやった。アレが気になった」
薫は高級弁当に舌鼓を打ちながら、話し始めた。
「早速、山田社長に事件当日、前後、矢野に変わったところは無かったか聞いた」
鈴子は、大いに有る、と答えた。
「事件の翌朝、私は、ここに来た。
8時半やった。矢野がおったんで、びっくりした」
事務所のオープンは10時。
矢野は10分前が出勤時間だった。
鈴子が事務所に来るのは不規則。
殆ど矢野一人で店番していた。
「このソファにもたれて、徹夜したみたいな疲れ果てた顔で」
矢野は、事務所に泊まったと言った。
鈴子は、泊まった理由は聞かなかった
「プライベートには一切干渉しない性分やし、あの子が、ここを自由に使うのに文句もないから……
ただな、あの朝、あの子、変な臭いがしたんや。生臭かってん」
鈴子は、この事実を薫に伝えた。
「少なくとも、死体処理には関わってると、思うやろ。ほんで、今朝来て矢野に会った。まず、こう聞いた。『徳田が君に申し訳ないことをしたと言っている』と」
「えっ、徳田さんが、真実を喋ったのか?」
「いいや。誘導に決まってるやん」
「誘導、ねえ。(ただの嘘じゃん)」
「大それた事をやらかして、神経衰弱やったようで、ペラペラと一気に白状しました。私も一緒に聞きました」
鈴子は、多分、矢野が事件に関与していると、感づいていた。
徳田が連行されてから、温厚で明るい人柄が、一変して
無口で笑わなくなったから。
「で、矢野君は実際、何をやらかしたんですか?」
御馳走は食べつくした。
箸を持っていた手は、膝の上。
酒も飲み尽くした。
矢野が語った事件の真相を、ゆっくり聞こう。
「徳田はここまで散歩に来ていて、矢野と親しくなった。事件の日、矢野は仕事の帰りにログハウスへ寄ると約束していた」
その日、徳田は、河原を2度訪れている。
(最後の散歩に行ったんだ。
ゆっくりしか歩けないラッシーと)
最初に彼らを見た時、様子が変だと感じた。
妙な場所にテント。
車座に座って、4人深刻な顔つきで話し合っていた。
少し離れた処では女の子が携帯電話のゲームで遊んでいた。
気になって、夕方再び見に行った。
雨が降り出していた。
大粒の雨だ。
なのに、彼らは数時間前と同じ体勢で、
まだ、何かを話し合っている。
子どもも、同じように、雨に濡れながら、ゲームをしていた。
異様な光景だった。
徳田は、声を掛けた。
(君ら、青い顔して、どうした? まるで自殺の相談をしているみたいだな)
冗談っぽく言ってみた。
すると、Bが
(そうなんです。入水の予定が、浅い川では難しいのですね。予定を変えて車を使おうかと……ダムに行こうか、高速道路にしようか……なかなか、決められないのです)
生気の無い顔で、言った。
徳田はギョッとした。
見れば他の連中も、Bと同じように
感情のない、思考停止した目をしている。
「雨も降ってきたし、家に来ないかと誘った。すると、皆黙って素直に着いてきたらしい」
まるで命令を待っていたロボットのように
機械的な動きで、荷物をまとめて、着いてきた。
(フライパンと焼きそばの食材が入ったクーラーボックスも)
ログハウスには、矢野が居た。
徳田は簡単に事情を話す。
そして、当然、彼らの自殺を止めようと
2人で説得した。
「しかし、説得できなかったと、矢野は言っている」
「説得できなくて、自殺に協力したの?……子どもまで殺したのか?」
「話を聞いているうちに、コイツラは死んだ方がいいと思ったらしい」
「それ、酷くないか。きっと辛い状況なんだろ。普通は可哀想だと思うだろ。悩みを解決する手段を客観的にアドバイスするだろう」
「俺も、そう思う。だが矢野は違った」
(被害妄想の塊ですよ。徳田さんと親身になって、長い時間、話を聞いたけど、アイツラの口から出てくるのは恨み辛み、ばっか)
Aは、貧しい家に生まれた不幸を呪っていた。おかげで自分はクズだと。
Bは、元妻を殺したい程憎んでいた。妻の浮気が原因で別れたらしい。
2年も経つのに、胸を掻きむしられるような屈辱感が、寝ても覚めても抜けない、と言った。
Cは、中学の時虐められた話を、昨日のことのように泣きながら語った。
Dは、自分は子どもの時からアイドルになろうと決めていたのに、なれなかった。
娘に夢を託したが、自分と違い醜く普通に喋る事もできない。
テレビやネットでアイドルを見るのが、どれ程苦しい、悲しい事か、と。
事故死を装いたかったのは
Aは、自殺した負け犬と思われたくないプライドがあった。
Bは、子どもに生命保険を、大金を与えたかった。
Cも、母親には金を残したかった。
Dは、事故を装う気は無い。誰かと一緒に死にたいだけ。
(それとね、アイツら皆、このクソ人生をリセットしてゼロからやり直す、って言うんですよ)
「つまり、死んだら終わり、とは思ってなかったんや。魂は不滅で、生まれ変われると信じていたらしい」
「……そういう考え方もあるんだ」
「どんな説得も聞く耳持たずや。心は来生に向いてるんやから。
早く生まれ変り、別の世界に行きたいと」
徳田と矢野は明け方まで、説得に努力した。
そして、疲れた。
どうでも良くなった。
始めに抱いた同情心は嫌悪感に変わった。
(面倒くさくなった。勝手に死ねと。でも、高速道路走って事故死に見せかけるって言うから、野放しにもできない。……ふと、農薬があるじゃん、と。でね、此処ですっきり死んで、水難事故を偽装できるかも知れないと、アイデアが浮かんだ。……アイツらに話してみました。全員、それでいいと、言いました)
矢野が焼きそばを作った。
ソースに農薬を入れた。
(コレを食べたら、死にますよ。さあ、もう一度、よく考えてください。
本当に死んでいいのか、子どもの事は母親が決めなさい、)
徳田が彼らに言った。
彼らは頷いた。
「それで、食べたんだ」
「そうや。ほんで死んだ。徳田が最期の言葉と、皆が食べ始めるまでを、矢野は動画に残してる。毒と知って食べた証拠は在る。矢野達は約束通り、事故死に見せかける偽装をした」
(最悪ですよ。汚いし、重労働だし。土砂降りの中、2人で何してんだ、と……全く、とんだ災難でした。結月さん、俺、何も悪いことしてない。人助けしたんですよ。……俺達、何にも得してない。アイツラのせいで、最低の事をさせられて……でも、何かの罪になるんですか?……犯罪者ですか?)
「完全犯罪のつもりやった。予定が狂ったが、徳田が罪を1人で被ってくれた。自分が捕まるなんて想定外。ショックで狼狽えていた」
「もう一度雨が降れば遺体は流され、完全犯罪だったかも」
「そうやで。そもそも、あの日セイを呼び出したから、予定より遺体発見が早まったんや」
「矢野君、ミスったんだ。でも変だな。人間を切った男が犬を切れなかったなんて」
「それはな、自分は人殺しではないと、確証を得たかったんやで」
「……俺が、人殺しは見れば分かるから?」
「うん。セイが無反応で安心したと言っていた」
「いや、あの時は……俺、犬しか見てないから」
「成る程な。そんで分からんかったんか。とにかく矢野は、墓穴を掘ったんや」




